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綱渡り

「歯は大事なんです。それに顎も」
「へぇ」
 カリムは脈絡なく切り出された話に、曖昧に返答する。話の筋が見えてこないな、なんて思いながら、海の友達の前にティーカップを置いた。
 この友達、人魚のジェイドとのお茶会は、40回、いや、それ以上を数えただろうか。普段はストレート派だという彼の嗜好を汲み、甘さは各自調整にしている。
「歯ってこれか?」
 カリムは目の前の紅茶に角砂糖を溶かしながら質問した。い、と歯を見せると、ジェイドは笑顔で頷く。
「ええ。捕った獲物の肉を食いちぎる歯です」
 なるほど、そちらではそういう捉え方になるのか。人間の歯は繊維質をすり潰したり噛み潰したりするためのものだから、すぐに食いちぎる、という発想にはならない。その差異に素直に感心した。
 ジェイドは人好きのする微笑みを動かさず、話を続ける。
「どの生き物も食べられないと死んでしまいますよね」
「そうだな」
「海では食材の調理方法も限られていますから、丈夫な歯が揃っていることは重要なんです」
 確かに一理ある、歯が溶けるというのは、彼らの中で死活問題なのかもしれない。
 けど、カリムの質問では、ジェイドの本心は引き出せないままだった。ジェイドの言葉はいつも蜃気楼みたいに遠回しで、カリムはいつも何となくで拾っている。
(アレかな? この前のもてなし用の茶が良くなかったか?)
 なんとか頭で咀嚼して考えついたのは、以前振舞った自国のお茶のこと。熱砂の国では当たり前に飲まれているが、確かに初めて飲む人は噎せこむ人もいる。
(その時も歯が溶けそう、って言っていたから)
 今回のこれは、甘いお茶を振舞ったことへの苦情かもしれない。「親切心から言ってくれた」と受け取って、カリムは眉を下げた。
「そうか、ごめんな。甘いのはもう出さないな」
「それは助かりますが、おそらく会話が食い違っています」
 ジェイドは冷静に指摘した。違っていたらしい。ではなんだろう。 
 唇の向こうに、尖った歯がちらりと見えた。
「カリムさんの歯は丈夫ですか?」
「オレ? うーん、ひとまず欠けたことはないから、丈夫なのかな」
「顎は丈夫な方で?」
「硬い肉も食いちぎれるし、たぶん!」
 総合的に見て丈夫だと思う、からそう答える。昔飲んだ強い毒でいくらか溶けているかもしれないけど、歯は全部欠けずにあるし、顎の骨も欠けていない。
「では、こちらに来られますね」
 ジェイドのツリ目の瞳孔が僅かに開き、その面に喜色を湛えた。
「こちら、ってジェイドの故郷の話か?」
「そうです」
「うーん、でも丈夫さだけじゃ無理だと思うぞ?」
「なぜですか?」
「歯の形が違う」
 ジェイドの頭についているものは小さな三角の歯だった。鋭角のエナメル質は彼が元の姿に戻った時もあったから、アズールの魔法薬は頭蓋骨の形まで変えなかったのだ。そうなると、逆も然りだろう。カリムが人魚になったとて、食物を食いきれなくて餓死するのがオチだ。
 ジェイドはお茶の種類を提案するように、カリムの懸念を噛みちぎる。
「リノベーションしましょう。ヒトの歯は面積が広いから、削れば鋭くなります」
 物理的には可能だろうけど、その提案はどうなんだろう。そんなことをしたら、今度は陸で暮らせなくなりそうだけど。
 カリムはさらに疑問を被せる。
「そこ変えても骨は砕けないと思うぜ?」
「こちらの身体になる時に、歯の組成も変質するので問題ないかと。食料を噛み砕くのに必要な筋肉もつきますし。そうでなければ、海で暮らす元人間は生きていけていません」
「どこで勉強してくるんだ、そういうの?」
「陸に上がる前に教育訓練を受けていますので、その時に。ああ、ちなみに陸から海に入る人間のためのカリキュラムもあるそうですから、ご安心ください」
 嬉々としてジェイドは進言してくる。会話が噛み合っているようで噛み合っていない気がするのは、気のせいではないだろう。
「とびきり綺麗な歯に仕上げて差し上げますね。手先は器用ですから、任せてください」
「お前がやるのか?」
 続いたジェイドの言葉に、カリムは今度こそ身を引いた。
「ええ。それまでにちゃんと練習しますよ」
 ジェイドは確定事項のように言った。
 何かを悪いということは、案外難しいものだ。それが指摘してもいい事なのか、そうでないのか。世界は広いので、カリムは知らないことが沢山ある。不穏極まりないこの提案は、海ではどういう意味なのだろう。
(歯を捨てろ、ってことは……)
 遠回しに陸を捨てろと言っているのだろうか。そしてその意図は、果たして自分が汲み取った方がいいものだろうか。
 カリムは少し考えて、あはは、と笑った。
「面白いこと言うなあ! なら、奥歯は残してくれよ」
「なぜです?」
 カリムがお願いすると、ジェイドは首を傾げる。カリムは当たり障りのない範囲で事実を伝えた。
「全部にGPSのチップが埋め込まれてるから。手術する時に神経抜いてあるから、蓋取っても痛くはないんだけどなー」
 カリムは紅茶を口に含みながら答えた。
(期待させておいて裏切るのは、酷いもんなぁ)
 たぶんこれは、汲み取らない方がいいもの。カリムが何かしらのシグナルを受け取った途端、ジェイドはそれを手掛かりにしてカリムに組み付くだろう。この予感はジェイドへの疑いではなく、彼ならこうするという人格への信頼だ。
「なるほど、尚更削りたくなりました。邪魔者の処分もお任せを。取り除いて粉々にしてしまいましょう」
 そして、彼が自分のこんな反応をも楽しんでしまうことも、カリムには分かっていた。
 物騒だなぁ。カリムは思いながらティーカップを置く。
「なあ、この話、楽しいか?」
「楽しいです。デートで将来の話ができるカップルは長続きするんですって」
 向かい合うジェイドの瞳は、どこか熱っぽく揺れていた。カリムはその揺らぎを見つけて、ほんのわずかに息を詰める。
「知っていましたか?」
 神秘的なオッドアイから執着を差し向けられた。
「へえ、知らなかった!」
 カリムは笑顔で本当のことを言った。
「ふふふ、ではもっと知っていきましょう……知らないままでは勿体ないでしょう?」
 ジェイドは熱を帯びた双眸をスっと細めた。
 ……やっぱりこのぐらいでは引いてくれないらしい。カリムはジェイドに見えないように、そっと脱力した。

 
 

(歯の話のインスパイア元:「海石」川上弘美先生著 パスタマシーンの幽霊より)

春宵一刻

 砂漠の夜は冷える。なんでも、無数の砂が一斉に熱を吐き出し宇宙へ送るかららしい。
(途方もない話です)
 ジェイドは小さく息を吐き出し、空を見上げる。地球から熱を吸い上げてなお、星々はさやかに瞬いている。
「寒くないか?」
 胸と同じ高さから、一対の目が見上げてくる。
「全く」
「慣れてるんだったよな」
 燃える瞳の持ち主は、にっこり笑った。

 
 
『この前のチョコのお返しがしたいんだ。夜の予定が空いている日はあるか?』
 ジェイドがカリムからそう尋ねられたのは、数日前の昼休みのことだった。なんでも、一ヶ月前にあげたチョコレートのお返しがしたいという。
『何をお返ししてくださるんですか?』
 ジェイドは浮つく気持ちを抑えながら尋ねる。
 カリムにあげたのは購買に売られていた金貨型のチョコレートである。一枚数十マドル程度の価値しかない安い菓子だった。
 その時、ジェイドが期待していたのは買い与えた直後までの反応だった。しかしカリムはそのチョコレートを自ら食べて消化していたという。これだけは特別なんだ、と従者に強請ってまで。
『それはナイショだ!』
 カリムは華やかに笑って答えをはぐらかした。少し照れたような様子がむず痒い。カリムは当日の持ち物にいくつか注文をつけると、ジャミルに呼ばれて戻って行った。
 小さなコインの見返りに、恋をしている相手からデートに誘われた。
(何が起こるか、読めないものですねえ)
 だからこそ、かの人は興味深いのである。

 
 
 当日夜。
「よく来てくれたな!」
 かの人は、鏡の傍で鼻頭を赤くして笑った。
「今日はあんまり寒くなくてよかった。春でも寒い時は寒いんだ。いい季節になったなぁ」
 カリムはジェイドを見上げ、たわいも無い話をしてくる。
「すぐ着くから疲れる心配はないと思うぜ」
「今日はどちらへ連れて行ってくださるのですか?」
「着くまでナイショだ」
 話をそらすカリムの声は、少しだけ緊張しているように聞こえた。
(この人でも緊張することがあるんですね)
 ジェイドは上から白いつむじを見下ろす。驚いたり泣いたりはあるけれど、緊張している姿はあまり見たことがない気がする。
 気を詰めるカリムが可愛くて、ジェイドは少し口角を上げる。
(夜に二人きりで会うだけでも思い上がりそうなのに……そんな態度を取られたら、勘違いしてしまいます)
 そもそも、カリムに抱く感情が単純に好奇心だけなら、こんな夜半にデートになんて来ていないのだ。
(僕も大概、単純です)
 ジェイドは込み上げる喜びを喉元に押さえつけ、前を向いた。
 一行は月の方角を目指し、なだらかな砂の丘を登る。中腹あたりでカリムがおもむろに口を開いた。
「監督生に聞いてな」
 ジェイドはカリムの言葉に耳を傾ける。
「この前のお返し、何がいいかずっと考えてたんだ。ジェイドはオレをよく見ていて……特別をくれたから、オレも自分にしかできないことでお返ししたくて」
 大人びた声で言うから、こちらまで緊張してしまう。カリムは早足で数歩先に行くと、丘の向こうを向いた。
「だからさ、これにした」
 砂の丘を超えた先、眼前に広がるのは、小さなオアシスだった。
「オアシス、ですか」
「正しくは周りの植物、だな。来てくれ!」
 カリムはジェイドの手を引いて、オアシスの傍らまで降りた。
「右のそれは薬草だし、奥にあるのは砂漠にしかない毒草だ。サソリの毒と混ぜれば薬になる。あと、ちょっと離れた所にカクタスが見えるだろ? あれは、炎症によく効く。あとは……」
 カリムはひとつひとつ植物を指さした。
「最初の二つは一年草だから、ちゃんと育てれば種が取れる。そうしたら株を殖やして、好きに使ってくれ」
「よろしいのですか? たかだか、量産品のお菓子に」
 カリムが指さしたのは、生では入手困難な植物ばかりだ。その他にも、コレクターがこぞって欲しがるような植物がチラホラ見える。
「あのチョコのおかげで、二週間楽しくて幸せだったんだ」
 カリムは笑顔で頷いた。
「お返しは倍返しなんだろ? 好きなだけ持って行ってくれ! 全部お前のためのものだ!」
 カリムはオアシスを背に両手を広げた。
(ああ、本当に、読めない)
 月を背負って笑うこの人が、眩しくて愛おしい。
(……今ここで、貴方が欲しいと言ったら、一体どんな顔をされるだろう)
 ジェイドは出しかけた本音を笑顔の下に沈める。
「オレはここで待ってるから、好きなだけ摘んでくれ」
 ジェイドは背中を向けたカリムの腕を掴む。きょとん、と首を傾げるカリムへ、ジェイドはそっと願いを口に出す。
「……背後に、気配があると落ち着かなくて。お詳しいんでしょう? 解説してくれませんか?」
「いいのか?」
「ええ」
 ジェイドはカリムにゆっくりと微笑んだ。
 この満ち足りた夜を存分に楽しまなくては、きっと後悔する。

 
 
 それから数刻、採取や収穫で持ってきた鞄がいっぱいになる頃。ジェイドはカリムの傍らに座り、オアシスの水面を眺めていた。
「さすがに草臥れたなぁ」
 水筒の水で喉を潤すカリムを見守りつつ、ジェイドは疑問に思っていたことを問いかける。
「このオアシス、カリムさんが作られたのですか?」
「そうだ」
 カリムはあっさりと頷く。
「二週間くらいかな。枯れたオアシスにユニーク魔法で水を注いで、枯れないように見に来てた」
 カリムはいたずらっ子の顔をして、得意げに胸を張る。ジェイドは目を見張った。
「危ないでしょう」
 海でも陸でも、これだけの植物が二週間で生長しきるなどありえないことだ。神のみわざのような魔法を乱用し、万一誰かに見つかって悪用されでもしたら、カリムの身に危険が及ぶ。
「心配してくれるんだな」
 カリムは他人事のように呟いた。
「寮生には近付かないように言ってあるから、誰もここのことは知らないはずだ。知ってるのはオレとジェイドだけなんだけど、ジェイドは……たぶん、言わないだろ?」
 カリムはするりとジェイドの隣に寄る。
「これはな、ちゃんと秘密にしてくれる奴にしかやらない」
 唇の前に人差し指を持ってきて、妖艶な仕草で目を細くした。
「だから特別なんだ」
 言い終わると、カリムは熟れた赤色を綻ばせた。
 そして、あまりに優しく自分を見つめるものだから、ジェイドはなにか、辛抱堪らなくなってしまった。
 カリムの顎を指で押し上げ、上を向かせる。
「僕がもし悪者で、貴方の力を自分の為に利用すると言ったらどうしますか?」
「その時は……ううん、来ない。来ないよ、ジェイド」
 カリムは首を横に振る。
「だってそうしたら、ジェイドは楽しくないだろ?」
「……ふふっ!」
 ジェイドはカリムの言葉に思わず吹き出した。
 カリムの言葉は真理を突いていた。よく見ているのだ、この人は。その深い場所にある思慮は、ジェイドの気を引いてやまない。もっと探してみたくなる。
 ジェイドは静かなほほ笑みを浮かべるカリムに向き直る。
「ひとつ、確認させて貰えませんか?」
「ん? なんだ、言ってみろ」
 ジェイドはカリムの頬を両手で挟んだ。
「この特別の位置づけはなんですか?」
 ジェイドは熱を込めてカリムの目を見つめる。
「お返しが秘密の共有なんて、僕を期待させるようなことをして。いつもの天然でしょうか、それとも……」
 つりがちの目尻を小指の腹で擦ると、カリムは頬をゆるめる。
「生憎、もう貴方に『齧り取る歯』は使えなくて。だから、教えてくださいませんか? カリムさんがどんな気持ちでここに通ったのかを 」
 問いただす声は少し掠れていた。カリムは困ったように斜め下を見てから、おずおずとジェイドの目を見る。
「ジェイドがオレに特別をくれたことが、本当に嬉しかったんだ」
 カリムはジェイドの両手に手のひらを重ねる。
「オレも、好きな子に喜んでもらいたかった。それだけだよ」
 赤い目を潤ませ、柔らかい笑みを浮かべた。
 ジェイドは右手をカリムの肩に添え、そうっと引き寄せた。そのまま、低いところにあるカリムの額に自分のそれを寄せる。触れた肌は少しだけ、熱かった。
「もう、貴方という人は……道連れにしたくなりますね」
「えっ、道連れ!?」
 カリムは驚いて身を引く。ジェイドは色気のない反応に思わずに破顔した。
「そこは冗談でも頷くところでは?」
「あ、ごめん……」
「ふふ」
 ジェイドが笑うと、カリムが戸惑った顔をする。
「僕も浮かれているんです。慕う方と両想いになれて、幸せじゃない者はいません、そうでしょう?」
 ジェイドはそう言ってカリムの額に口付けた。
「へへ……ありがとう」
 カリムはジェイドの身体にぴたりとくっつくと、手を取ってぎゅっと握ってきた。
「幸せな夜だなぁ、すごく」
 月の光が2人を静かに包み込む。ひと回り小さい身体から甘い花の匂いがして、僥倖に目を伏せた。

 
 

(春宵一刻値千金=春の宵は素晴らしく、そのひとときは千金にも値する、という漢詩から)

野生の勘は甘くない

 お茶の時間にしようぜ。
 授業終わりにそんなハイソサエティなことを言う友達は一人しかいない。
 その呟きを三角の耳で拾い上げたラギーは、すかさず後ろを向いて声の主に話しかける。
「カリム君、今日はなんのお茶ッスか?」
 ラギーが目を輝かせて聞くと、白い髪の男の子—―カリムが笑い返してきた。
「今日はアップルティーだぜ。飲むか?」
「いただくッス!」
 ラギーは期待通りの展開にガッツポーズをする。カリムはとても気前がよくて、ラギーによく飲み物や食べ物を分けてくれる。故郷と違って学園にいる限り飢えることはないけれど、貰えるものは貰うのがラギー流だ。
「ついでに甘いものも出てきちゃったりとか?」
「おっ、わかるか? バクラヴァ持たせてもらってるんだ!」
「なになに、なんスかそれ!」
 カリムはカバンからタッパーを取り出し、蓋を開けた。カリムは中からひし形のお菓子を摘んで、ラギーに差し出してきた。
「ほら、口開けろ」
「あっ、手に頂戴!」
 ラギーは慌てて片手を差し出す。この歳になってアーンしては恥ずかしいし、なぜか斜め上からの圧が凄い。ラギーは重圧を気にしないように、掌に供されたお菓子を口に運んだ。バターと砂糖とナッツの香りが口いっぱいに幸せを運んでくる。
「贅沢の味がするッス……!」
「うまいだろ! ジャミル、お菓子も上手なんだ!」
 カリムは従者を褒めながら、容器に紅茶を注いだ。お裾分け用に持ち歩いているという紙のカップに、ラギーの分とカリムの分、ともうひとつ。ラギーにお茶を手渡すと、もうひとつを隣で静かに微笑む背の高い男に差し出した。
「ほい、ジェイドも」
「ありがとうございます。では僕からはこちらを」
「ありがとう!」
 ジェイドと呼ばれた青年は、慣れた手つきでカリムとカップを交換した。ラギーの前にも小さな容器がコトンと置かれる。
「おっ、春摘みか?」
「ご名答です。昨日、ラウンジに出入りしている業者から仕入れました」
「そろそろ時期だもんな。そっちの仕入れなら間違いなしだ!」
 ニコニコしてお茶を試すカリムを、これまたニコニコしたジェイドが見守っている。ラギーはバクラヴァを噛みながらその光景をぼけっと見ていた。
(へーんな組み合わせッスねぇ)
 いらふわなカリムと、ちょっと違った感じに不思議な人魚のジェイド。ウィンターホリデーの後、この二人は何が噛み合ったのか一緒に居ることが増えた。ハロウィン前には予算のことで長々言い争いをしていたのに、仲が悪いというわけではなかったらしい。
(クラスも寮も部活も違うでしょ、ジェイド君はいらふわって感じはしないし……まあいいけど)
 いくら考えても共通点が見えてこなかったので、ラギーは考えるのをやめた。
「ねえ、春摘みっていつものお茶となにか違うんスか?」
 何の気なしにラギーが尋ねると、ジェイドが薄い唇を開く。
「簡単に言うと、摘み取る時期で味や風味が変わるんですよ」
「へぇ、いつ採っても同じってわけにはならないんスね。でも品質不均一、ってワケじゃないんでしょ?」
「あえて摘む季節を分けて、味とかの違いをウリにしてるんだ」
 ラギーはふうん、と返事した。ラギーにはあまり実感が湧かないけれど、お金持ちの人達はこういうお上品な楽しみをするものなんだろう。
(この話もいつか、何かの得になるんスかねぇ)
 お茶を飲みながら情報交換なんて、故郷でそんな時間があっただろうか。不思議な縁だ、ラギーはしみじみしながら紅茶を口に運ぶ。フワッと林檎の香りが広がる。たぶん、砂糖がないから香りがよく分かるのだろう。さっきのお菓子が甘かったから、甘みのバランスがちょうどいい。
「じゃあこの紅茶も良い奴なんスか?」
「いや? それはサムの店でも買えるお茶だ」
「えっ、めっちゃ庶民的!」
 カリムは仰天するラギーに笑いかけた。
「ちょっと聞いてみたらIN STOCK! ってさ。うちの寮でも人気なんだぜ」
「でも、カリム君が買うんだもん。お高いんでしょ?」
「僕でも手が出る値段でしたよ。カリムさんが宣伝されているので品薄のようですが」
「へぇ、このお茶そんなに流行ってんスね……」
 ラギーはしげしげとお茶を覗き込む。確かにインフルエンサーのヴィル程ではないが、熱砂の大富豪推薦とあれば箔がつきそうだ。
(買い占めて転売すればひと儲け……いや、ダメッスね、その前にサムさんが入荷量増やしてきそうッス)
 残念ながらお金には繋がらなさそうだ。ラギーは少しがっかりした。
「しかし、お上手ですね。サムさんの所に利益還元されるなんて」
「ええ、どういうことッスか?」
 ラギーが聞き返すと、カリムは照れくさそうに話した。
「宴の買い出しをサムの店でしてるんだけど、何かと融通してもらっててさ。この前、なんかお礼できることはないか? って聞いたら、発注ミスで在庫抱えてるお茶があって困ってるって言ってたんだ。試しにジャミルと飲んだら美味しかったから、何個か買ってお裾分けしてるんだよ」
「うーん、つまり、カリム君が広告塔になって、元手ゼロで商品のコマーシャルしてるみたいな?」
「そうなりますね」
「オレは好きなものをオススメしてるだけなんだけどな、あっはっは!」
「ふーん、意外と色んなこと考えてるんだ」
 普段こんなにぽやぽやしてんのに。ラギーはしげしげとカリムを見る。
「ふふ、面白いでしょう? これを素面でやってのけるところがなんとも」
 そうしていると、なぜかジェイドがラギーに微笑みかけた。訳知り顔で誰かを自慢する姿が、さっき自分の従者を褒めたカリムと重なる。
 ピコーン、ラギーの頭に何かが降りた。
「わかったかも」
「ん? 何がだ?」
 ラギーがこぼした言葉を拾い、カリムが首を傾げる。
「紅茶が好きで、自分の意見をなかなか譲らなかったり、身内を楽しそうに自慢したり……二人は意外と似た者同士なんスね。だから気が合うんだ」
 ラギーは何の気なしに指摘した。それだけだった。だったのだけど。
「……そっか、確かにそうかもな!」
 返答に一拍遅れたカリムと、瞳孔を開いたまま黙ったジェイド。
 どこか慌てた2人の様子に、ラギーはピキンと感じるものがあった。
(ははぁん?)
 ラギーはこれを知っている。ちょっとマセた故郷のチビ達と、昨年くらいに同じようなやり取りをした。
 ラギーはにんまり笑うと席を立つ。
「さて、ご馳走様ッス。またなんか仕入れたら教えてね、お似合いのお二人さん?」
 貰えるものは貰うし、オイシイ話は逃がさない。これもラギー流である。
 サバンナじゃ一拍遅れも命取りだ。強くて賢い人魚も熱砂の大富豪も、隙を見せたらガブリと一発やられてしまう。
(さーて、二人がくっついたら仲介料、なに貰っちゃおうかな~)
 いい感じになった二人に背を向けて、ラギーはシシシッと笑った。

 さて、物語にはまだ続きがある。
 次にカリムが口を開いたのは、ラギーが教室を出たあとの事だった。
「嬉しいな。オレたち、お似合いだってさ」
「ふふふ、僕もです」
 頭の後ろで手を組み、カリムは嬉しそうに重心を倒した。その背中を、黒い革に包まれた手が支える。カリムはジェイドの手に体重を預けたまま、手の持ち主を見やった。
「バレたと思うか? オレたちのこと」
「いいえ。おそらく両片思いだと思われているかと」
 ジェイドは答えながら、カリムの姿勢を元に戻した。
「なぁ、バレたらどうしてた?」
「特になにも。聞かれないから言わないだけで、秘密ではありませんし」
「そうだよなぁ。ほれ、あーん」
 カリムはおもむろにバクラヴァをひとつ摘むと、ジェイドの口元に持っていく。ジェイドはくすりと笑うと口を開いた。ついでとばかりに指をペロリと舐めると、カリムはくふくふ笑う。
「うまいか?」
「ええ、とても美味しいです」
 なんとも親密なこの二人、一番の共通点は『意外と秘密主義者』であることなのだが……そのせいで、実は付き合っているという事実も見抜かれなかったらしい。
「ラギーには今度教えてやろうな。騙したみたいで可哀想だし」
「そうですね」
 似た者同士の恋人達は、同じタイミングでお茶を啜った。

拍手お礼(2021/5/19受領分)

コメ主様(長文失礼しますね!)

わーいいらっしゃいませー😆
この度はご購読&感想いただきましてありがとうございます!
買っていただいただけでも感謝なのに、おまけまで読んで感想までくださったんですね、うれしい~~~💕

おっ、新たな扉を開かせてしまった感じでしょうか、やりい😎
不穏耽美シリアスビターはジェイカリの真骨頂で、カリム君への激しい想いのために手段を選ばないジェイドさんは最高に物騒人外していてボーテ100点ですよね。この本のジェイドさんも「好きに一直線(婉曲表現)」は変わらずなのですが、その「好きに一直線」がより幸せなほうに転がった感じです。パチパチ👏

ジェイドさん、公式でもすぐ身内とか好きなものの話に持ってきがちなところあるじゃないですか、そういうあれです😂
オクタはジェイドさんがやりすぎる時は止めるだろうな、って思っています。それぞれが別方向に愛情あるタイプ。
(フロちゃんは大事なこと直感でわかってる、アズールは呆れつつ見捨てない感じ)

歌いだしたところめっちゃ笑いました。きんき兄さんですね、どんどん歌ってください🤣🤣🤣
そう、カリム君も愛したい子ですからね。一度にドバっと愛されるよりじわじわ行く方がたぶんカリム君には効きます。安心してジェイドさんにじっくり愛されようね🥰

そうっ! よくぞ! そこ大事なポイントです!
ジェイドさんはそもそも自分に自信がある自己肯定感バリ高人魚なのですっ!
そりゃーあれだけ頭もよくて家が金持ちで、両親に愛されて地元じゃ負け知らずならそうもなる。しかしジェイドさんは王子騎士ではなくヴィランなので、強引にカリム君を自分のいる場所へ引っ張り込むんです。君を救うためじゃなく、僕の幸せのために。案外、カリム君はそういう相手の方が気楽でいいんじゃないですかね。だからジェイドさんの手を握ったんでしょう。
ジェイカリは一度かみ合えば最強カップルになります(確信) 世界の真理ですね😎

レモンの砂糖漬け、素敵な言いまわしですね。はにかんでしまいます。
おおん、そんなに大事にしていただけるんです……?  そっかあ、そんなに喜んでもらえたんですね……嬉しいなあ。
原稿頑張ったかいありました。書き手冥利に尽きますね、ふふふ。

改めて、素敵な感想をいただきましてありがとうございました! 愛おしいあなたに幸あれ!

君と手を繋ぐまで おまけページ

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ほんと、抜け目ないやつ

 ナイトレイブンカレッジの図書室は、名門校の名に恥じない蔵書の量を誇っている。
 天井付近まで積み上がった本棚の中には、他所の図書館ではお目にかかれないような魔導書がずらりと並ぶ。持ち出し禁止の棚の中には、有名な魔術書の原本もあるって噂だ。
(まるで宝の山ね)
 アタシはとある本を探すため、そんな図書室の奥の奥、人っけのない通路を歩いていた。遠くに感じる誰かの気配、適度な沈黙が心地いい。
(ここね)
 アタシはひとつの棚の前に立ち、本の背表紙を指でたどる。
(なかなか見当たらないわね)
 目的の本が見当たらず指先をさ迷わせていると、横から不意に声がかかった。
「ヴィル、ヴィル」
 アタシの隣には、いつの間にかカリムが立っていた。カリムは数冊の本を抱え、こちらを見上げている。
「あら、カリム。こんなところで」
「ヴィルこそ奇遇だな」
 奇遇というのも無理はない。というのも、ここはこの学園の図書室に一架だけある児童書の棚だったからだ。
「探し物か?」
「そうね、少しだけ……ちょうど、アンタの持ってるその本を探していたの」
「ん? これか?」
 カリムは抱えた本の中から青い背表紙の本を取り出した。本を受け取ったアタシは表紙を確認する。記憶のものより新し目だが、間違いない。子供の頃に大好きだったあの本だ。
「知ってる本なのか?」
「ええ、昔、気に入っていてよく読んでいたの。アンタ、これ読んだの?」
「まだだよ。でも、ヴィルが先に借りていいぜ」
「いいの? なら、遠慮なく先に借りるわ」
 ずっと読みたいと思っていたから、順番を譲ってもらえるのは有難い。毒気のない、ふくふくした笑顔を向けるカリムに礼を言い、青い本を懐に収めた。
「ヴィルは昔から本が好きだったのか?」
「そうね、好きよ」
 アタシはカリムの質問に頷いた。
「アタシの人生において、本は切っても切り離せない。化粧品作りの参考のために開いた魔導書も、役作りのために読んだお芝居の台本も、みんな本よ。アタシの持ってる寮長の杖が本なのも縁を感じるわ」
「そうか、本はヴィルの奮励のお供なんだな」
「そうともいえるわね」
 そう言うと、カリムの瞳が温かく光った。真っ直ぐなその目は、あの射抜くようなグリーンに似ている。眩い光の色。昔なじみのアンバーもそんな光を宿して見てくることがある。
「ところで、アンタはここになんの用だったの?」
「オレも本を探しに来たんだ。深海と、人魚の本。こっちには珊瑚の海の昔話の本を探しに来たんだ」
 カリムはきょろきょろと本棚を見回す。アタシも高い段にある本を見渡すけれど、そんな本は見当たらなかった。
「アンタ、深海で商売でも始めるつもりなの?」
「違うぜ、ちょっと勉強だ。ジェイドがたまにあいつの故郷の話をしてくれるんだけど、どれも怖い話ばっかりでな。ほんとにそんなに怖いところなのか知りたかったんだ」
 カリムの口から飛び出したのは、ものすごく有能だけど底の知れない人魚の名前だった。
「それ、アンタを脅かしてるだけなんじゃない?」
 ジェイドのトーク力は業界人にも通じていた。適切な話題を選んで話すことなんて造作もないはずだ。カリムを怖がらせたくて、わざとそういう話ばかりを選んでいる可能性もある。
「真面目に相手にする方が馬鹿を見るわよ。やめときなさい」
 アタシが呆れてそう言うと、カリムは首を横に振る。
「オレが知りたいんだ。ジェイドのこと」
 カリムは手持ちの本をぱらぱらと開く。ランダムに開いたページには、男の人魚の挿絵があった。
「ジェイドはよく気のつくやつで、オレにも良くしてくれる。だからオレも、なにかお返しが出来ればいいと思ったんだけど……その前に、まずは相手を知ることからかな、って思ったんだ」
 人魚の生態についてはいまだに未知の部分が多く、特に警戒心の強い北の方の人魚の生態は明かされていないことが多い。輪をかけてミステリアスで自分を見せないジェイドのことを、まずは外側から知ろうとしているのだろう。
「自分で調べたいから、ジェイドには内緒だぜ?」
「アンタも奮励、ってわけね。それなら止めないわ」
 カリムはにっこりと笑う。この子の場合はどんな雑学も家業に繋がるから、こういう寄り道もありかもしれない。でも、ちょっと純粋すぎ。愚直っていうのかしら、ちょっと心配になってきた。
「果たしてそうでしょうか?」
「んっ」
 その時、唐突な否定の声と共に、横から黒い腕が伸びてきた。驚いて身を引くと、件の人魚がにこやかに会釈をしてきた。ジェイドはそのまま片手でカリムの目を塞ぎ、左手をカリムの肩に添えた。
「いつからいたの?」
「つい先ほど、お声が聞こえたものですから」
 アタシはジェイドをジト目で見た。相変わらず、何を企んでいるかわからない。ジェイドはカリムの本を少しだけ読むと、カリムに話しかけた。
「お勉強は結構ですが……その本、古い学説が引用されているようです」
「えっ、そうなのか!?」
「正しい情報が載ったものをピックアップしてありますので、今からお持ちしましょう」
「そんなの悪いよ。それなら区分と場所だけ教えてくれないか? 自分で探したいんだ」
「遠慮なんて、僕達の仲じゃありませんか」
 言い募るジェイドにカリムが食い下がる。
「でも、それじゃまた世話になっちまう。いつも沢山してもらってるのに」
「いいんです。上手く僕を使ってください。なんなら指南役につけてくだされば、読書のお供に飲み物もご用意しますし、肩のマッサージもいたします。読書すると目が疲れますから、おやすみ前に蒸しタオルをご用意しましょう」
 ……なんか、どんどん内容がエスカレートしてない? カリムと寮は別なはずなのに、夜まで付き添う気満々じゃない。それと、アタシの付き人をした時よりも手ずから感が凄いんだけど。
「そんな使用人みたいな真似させられない」
 ジェイドの勢いに、さすがのカリムも動揺していた。そうよ、そんな押し売りを受け入れたら、代価に何を求められるか分からないわ。
「これが楽しみですから……僕や海に興味がおありでしたら、最初から聞いてくださればいいんです」
 ジェイドは少し拗ねた言い方をした。それが珍しくて、アタシは狡猾な人魚を見上げる。声色も表情もいつも通りだけど、その視線だけは砂を吐くくらい甘い。
(もしかして、本より自分を構えってこと?)
 呆れた! アタシは声に出しそうになるのを堪える。問答をしている間も、ジェイドはカリムの目を塞いだままだった。本からカリムの視線を横取りして、本が読めないように邪魔しているのだ。
「ジェイド、前が見えない」
「僕をお傍に置いて下さったら解放します」
「だからそれじゃ意味ないんだって」
 ジェイドは自分に意識が向いたことが嬉しいらしくて、にこにことカリムの反応を楽しんでいる。
(見せつけてんじゃないわよ、全く)
 そういえば、物語に出てくる人魚も軒並み執念深くて嫉妬深かった。後輩の悋気に嫌気がさしてきたので、アタシは横槍を入れることにした。
「それなら、アタシの本を探すのを手伝ってくれるかしら?」
 アタシがそう言うと、ジェイドは隙のない笑顔を貼り付けてこちらを向いた。
「どのような本をお探しですか?」
「魔法薬学の本よ。灯火の花の治癒能力を生かした化粧水が作りたいの。参考になる本を探してきて」
「それならこちらは如何でしょうか?」
 ジェイドはカリムの肩から手を外し、懐から折りたたまれた紙を取り出した。開いて中を見ると、数冊の魔導書の名前と著者名の他、ご丁寧に本棚の場所まで記してある。
「……あいっかわらずのスーパー秘書ぶりね」
「お褒めいただき光栄です」
「じゃあこれを探してきて頂戴。憧れのアタシからのお願い、聞けるわよね?」
 試すように微笑むと、ジェイドはようやくカリムを解放した。胸に手を当て、完璧な礼を返す。
「もちろん喜んで。こちらでお待ちください」
 ジェイドが本棚の向こうに行ったところで、カリムがアタシににっこり笑った。
「ありがとう、ヴィル!」
「次からは気をつけなさい。アイツの話に耳を貸すとつけ込まれるわよ。ほら、さっさと行きなさい」
「おう!」
 これは本のお礼だ。この子が深海の悪魔に丸め込まれないように、今日だけは手を貸してあげる。
 カリムがこの場を去ろうとしたその時。
「言い忘れましたが……下から三段目の、右から十四冊目。珊瑚の海の民話集です。誰かが間違えて戻したようですね。向こうの二人がけのソファが空いていましたので、そちらで読みながらお待ちください」
 出ていったと思っていたジェイドがぬっと顔を出したので、カリムと二人でギョッとしたのだった。

春とキャンプとテロリスト

スプリングキャンプの捏造(制度だけ)を含みます
ご注意ください

 春。万物が目覚め、命芽吹く季節。
 この捻れた世界にも四季は存在する。自転軸が捻れ、もとい傾いているから。秋は広葉樹が色づくし、冬は広大な学園の敷地が雪に埋もれる。夏は暑いから購買でアイスがよく売れる。
 そんなわけで、ナイトレイブンカレッジに、春が来た。
「じゃーん!」
 春爛漫で意気揚々、パルクールシーズン解禁でウキウキのウツボ人魚、フロイドが一枚の紙を悪友と兄弟に掲げて見せる。
「オレ、キャンプ行ってくる!」
「……ふむ、バルガスキャンプですか。確か、一部の生徒を集めてバルガス先生が山でキャンプを行う催しですね」
 紙面から先に顔を上げたのは、雪が解けて客足も戻り、こちらもウキウキのアズールである。この前行った春爛漫フェアも効いた。東の国の緑茶と花をかたどった菓子が、ふんわりあったかい春の雰囲気にベストマッチしたのだ。
「いいんじゃないですか? その日はシフトも被ってないでしょう」
「アズールは行かねえの?」
「僕はお呼びがかかっていないので」
 実はその日、アズールは前々から壺の日をしようと計画していた。壺の日。壺に入って読書したりのんびりするだけの日なのだが、日々寮長や店長として頑張るアズールにとっていい息抜きになっている。
(キャンプみたいなものですよね、まあ)
 人間は、火を見つめると心が落ち着くと聞く。アズールは火を見つめても何も思わない。しかし、静かに水の音を聴きながら水面の波模様を見つめる時、同じ効果を得ている気がする。
「で、なぜお前は先程からひと言も喋っていないんです、ジェイド?」
 山シーズン解禁で一番ウキウキしている筈の男が、さっきから黙りこくったままなのだ。
「ジェイド、お誘い来なかったんだって」
「えっ、ジェイドがですか?」
 アズールは驚いてジェイドを見た。ジェイドは俯いたまま手イタズラをしている……いじけている、大の男が。アズールはちょっと引いた。
「うん、なんかさっきなんでか聞きに行ったんだけど、
『ああ、なんだ? リーチも来たかったのか? 俺の授業中、辛そうにしているから誘わない方がいいかと思ったんだ……今年度は定員が埋まってしまったんだ、来年は声をかけるから、な?』
……って言われたってぇ」
「お、大人の配慮ですね……」
 意外と理由が真っ当だった。バルガス先生、暑苦しくてナルシストだけど良い奴なのである。
 アズールは沈んでいるジェイドの肩に手を置いた。
「定員が埋まっているなら仕方ありませんよ。また来年に行けばいい」
「ううっ、あの辺りには珍しい特性を持つキノコがあって、今年は絶対に行きたかったんです……」
「「行かせなくてよかった」」
 狙いはそっちだったか。頭を抱えたキノコ狂いを、残りのふたりが白い目で睨む。
 ジェイドはぐりん、と顔を上げる。
「しかし、このままでは終わりません」
「いや、終わろ? ジェイド商店閉店しよ?」
「ほら、取り立てのお仕事あげますから……」
「そんなもので僕のキノコ愛は誤魔化されません」
 フロイドやアズールが宥め透かすも、ジェイドは突っぱねる。
「いくらでもやりようはあるのです、いくらでも。何がなんでもあのキノコを手に入れてみせます。ついでにその辺のキノコも全制覇します」
「やだ~スイッチ入っちゃってる~」
「これはいけない、止めないと行けません」
 なにを隠そうこの男、前に大掛かりな登山を寮の仕事でポシャられた際、腹いせに近くの山からこれでもかと言うほどキノコを採ってきたのだ。そのせいで、ラウンジでは一日限定キノコフェアが行われた。おいパイ食わねぇか、キノコクリームの。必死の形相のスタッフに頼んでもいない料理を押し売りされた客はちょっと引いてた。
 あの時はアズールやフロイドも消費に巻き込まれたのだ。二度と同じ目には逢いたくない。
「くっ、背に腹はかえていられません」
「おっ、なんかする?」
「カリムさんを召喚します」
 アズールは手早くスマートフォンを操作し、目当ての相手に電話をかけた。
『おーう、どした?』
 フランクな第一声を発せられたこのお方こそ、抑止力もといジェイドの彼氏のカリム・アルアジームだ。ちなみに彼は熱砂に轟く大富豪、アジーム家の嫡男という、ウキウキな肩書きを持っている。ウキウキするのは主にアズールだが。
「カリムさん、貴方の恋人がキノコに浮気しそうです」
『え? オレ、キノコに負けちゃうのか……?』
「キノコに負けちゃうってなんかひわーい」
「やかましいぞフロイド。セクハラはやめろ……っと、ちょっとこちらも困ったことになりまして。頼りにできるのはカリムさんだけなんです。ちょっとジェイドを止めてくださいませんか?」
『アズールに頼りにされた……いいぜっ! 何をすればいい?』
 カリムはアズールに頼られて嬉しかったらしく、二つ返事でもオーケーした。きっと利用されてるなんて思ってもいない。
「ジェイドと少し話していただければ……ラウンジでキノコテロを計画しておりまして、再犯なんです。ちょっとこれ以上の対応は厳しいので、なんとか出来ないかなと思いまして……」
『て、テロ? それはダメだな……うーん、ラウンジでキノコテロ、を止めればいいんだな? ちょっと代わってくれるか?』
「はい、お願いします。少々お待ちを……ほら、ジェイド。お前の可愛い恋人様から電話ですよ」
「おや、ふふふ」
 真っ黒な顔で邪悪な企てをしていたジェイドが一気に正気に戻る。ジェイドはアズールの端末をスっと奪うと、丁寧に端末を耳に近付けた。
「はい、変わりました。……ふふ、今日はお会い出来なくて寂しかったです。本当は毎日お会いしたいくらいなのに。いっそ貴方と僕の部屋に鏡を置いて、直通できるようにしてしまいましょうか」
「オレの部屋、ラッコちゃんの部屋と繋がっちゃうの?」
「シッ、必要な犠牲です」
 アズールが驚くフロイドを制止する。
「ええ? キノコテロ? はい……宴はみんなで楽しくやるものだから、困らせてはいけないと? ダメでしょうか……僕、キャンプにハブられてしまいましたし、カリムさんにも会えなくて寂しくて……しくしく……」
「めっちゃ責任転嫁。ねえこれラッコちゃん丸め込まれるパターンじゃね?」
「シッ、これも必要な犠牲です」
「これ後からオレらもウミヘビくんの犠牲になるやつー」
 ぼやくフロイドの脳裏に炎がチラつく。あの従者、キレるとカリムを引き連れて襲撃してくるのだ。いつでもデュオ魔法を撃てる状態にして。
「キャンプに行きたかったか? そうですね……山愛の活動で野営などはするので、そんなに欲はありませんが……あ、待ってください。あります。キャンプしたいです」
 アズールとフロイドは手に汗を握りながら会話を聞く。
「カリムさんと、キャンプがしたいです……」
 おずおずと提案する身の丈百九十センチ。平素の人でなし副寮長を知る者からしたら鳥肌の立つ光景だが、お人好しのカリムにはそうは映らないらしい。世間ではこれを破れ鍋に綴じ蓋という。
「ええ、ジャミルさんの許可が降りないならピクニックでもいいんです。風車の裏の森で……春になって暖かくなりましたし……あの辺りは植生も豊かで、春ですがキノコも沢山……ふふ、ご心配には及びません。恋人をほっぽり出して趣味に勤しむほど、僕は愚かではありませんよ? 当日はカリムさんを優先しますから」
「なんで僕はこんな話を聞かされているんだ……」
「必要な犠牲でぇす」
 アズールは歯を食いしばる。悪友の聞くに耐えないセリフを聞かされても、菌類とそれに取り憑かれた人魚から自らの城を守らなければならない。
 今のアズールにあるのは、寮長として、ひとりの男としての悲壮な覚悟だった。
「……え? キノコ狩りもしてもいい? うちの寮がダメなら、スカラビア寮でキノコ料理を振る舞えばいいと……?」
「なるほどそう来ますか」
 アズールはすかさず頭を回し、スカラビア寮生への補填を考える。カリムを巻き込んだ時点で火刑は決まっている。状況を上手く利用してお詫びの品を用意し、被害を減らすまでだ。
「はい、では、おやすみなさい……ふふ、僕も愛してます。はい、それでは」
 アズールが拳を握りしめているうちに、通話が終わった。
「……終わったか?」
「はい、今度カリムさんとキャンプデートをしてきます。その際にキノコ狩りもすることになりました。採ったキノコはスカラビア寮に食材として提供してきます」
 ほくほく顔のジェイドがアズールにスマートフォンを返却する。そこに居たのはキノコと恋人でウッキウキのウツボ人魚だった。先程までの邪悪ヅラはどこへやら、今はこの世の春という顔をしている。
「あんまり取りすぎてウミヘビくんに迷惑かけんなよ? 部屋にも仮置きしねーからね?」
「すぐにスカラビア寮に持っていくので大丈夫ですよ」
「はぁ……とりあえずキノコは回避出来ました」
 アズールは溜息をつきながら椅子の背もたれに身を預ける。
(壺入りする時間を増やしましょう)
 暴れん坊のウツボ二匹を追い出せば、寮内も静かになるだろう。その日だけはゆっくりソロで壺に浸れる。
 壺の中での静寂を思い描きながら、アズールはジャミルに釈明の電話をかけるのであった。

もふもふ編

『オススメ動画があります』
 マジカメにも、オススメユーザーを紹介する機能がある。
 近頃、モストロラウンジの公式アカウントのユーザー紹介欄に、愛猫家のアカウントが表示されるようになった。
「猫、ですか」
 アズールは首を傾げる。このアカウントを管理しているのは副寮長であるジェイドだ。
「あいつ、またおかしなことを企んでいるんじゃないでしょうね」
 アズールは嫌な予感に目を眇める。履歴を残した人魚と愛くるしい子猫のアイコンの関連性がわからなさ過ぎるのだ。
 ジェイドは大変優秀な男で、自分の副官を務めながら広報活動まで手広く行ってくれている。それは大変助かるのだが、近頃恋をしたとか何とかで、様子がおかしいときがあった。
「おかしいでしょう、意中の相手にまじないをけしかけるとか……」
 つい最近など、意中の相手――よりによって末永く利害関係を続けていきたい大富豪の嫡男――の気を引くため、偶然であるにしろ危害を加えるまじないをかけていた。
「あの時は随分ジャミルさんを怒らせました」
 まじないの件がジャミルに露呈した時のことを思い、アズールは首をすくませる。あの時は、ジャミルがマジカルペンを片手に寮へ乗り込んできたのだ。理由は自分の主に危害を加えられたから怒ったのではなく、この機会に自分の面倒ごとの種を燃してしまうためである。
 その姿勢は従者としてどうなのかと思うが、個人としては大変良いと思う。
「徹底した合理主義、面倒ごとはあらかじめ潰しておく。実に効率的じゃないですか」
 ただし、ジャミルが合理主義を貫こうとした結果、ラウンジの一部調度品が物理的に燃え、なぜかアズールの眼鏡が壊れた。理不尽である。
「……主人の制止を聞かないのは、少し考え物ですね……。どちらも、部下の扱いには苦労しますね。今回も、何事もないといいのですが」
 アズールは呟くと、SNSのアプリを閉じた。

 
 
「まあ、何事もないわけがないですよね」
 アズールは言いながら腕を組む。眼前には、縞柄がチャーミングで丸みのある手足が可愛らしい……
「アオン」
虎がいた。
 道行く生徒たちは廊下に突如現れた虎を二度見しながら歩いていく。凶暴な肉食動物を警戒してか、アズールと虎の半径三メートルに人がいなかった。アズールだって望んで虎と向かい合っているわけじゃない。虎が勝手に現れたのだ。
 居心地の悪さに顔をしかめつつ、アズールは虎に話しかける。
「なぜお前が虎になっているんです、ジェイド?」
 驚くべきことに、この虎はアズールの腐れ縁の青年なのである。普段は二足歩行をしていたはずだが、何故か今は虎の姿を取っていた。
 アズールが青年ーージェイドに問いかけると、ジェイドは銜えていた鞄から器用にスケッチブックを取り出す。事前に準備をしていたらしい。
「用意が良いのは結構ですが、芸が細かいな」
 さすがにページはめくれなかったらしい。前足でスケッチブックをおしやってきたので、拾って表紙を開く。
「『授業で変身術を行い、このような姿に』……ほう、確かに教科書通りだと、そろそろその魔法を履修するはずですね」
 本来であれば、元々の身体から別の生き物への変体はご法度とされている。しかし、アズールたちのように脚を得て生活する人魚がいるように、抜け道がないわけではないのだ。
 ユニーク魔法で狼に変身したり、コブラに変身する魔術師の逸話が有難いものとして扱われていたりするので、ご禁制といえども加減が難しいところである。
「しかし、教科書に載っていたのは『猫』に変身する魔法では?」
 アズールが指摘すると、ジェイドはグゥン、と鳴いた。
「……ああ、そうでした。あの魔法、人間以外が使うとたまに猫科の別の生き物になるんでした」
 本来、人間の魔導士が他の生物に変身するために生み出された魔法だ。獣人や人魚、妖精はそれぞれ魔力の波動がちょっとずつ違うので、魔法と相性が合わない時がある。
「その様子だと知らなかったようですね。その時の教室内の様子はさぞ見ものだったでしょう」
 猫だらけの教室の中に同じ猫科とはいえど虎が出現したのだから、周りの生徒はビックリしたに違いない。さらに原型があのリーチ兄弟の片割れとくれば、なんとなく納得したというような、生ぬるい雰囲気になったことだろう。
「言われてみれば、確かに特徴を捉えていますね」
 なにせ元々も、鋭い歯と爪を持つ大型の肉食生物だ。体表も縞柄だし、獰猛な本性もよく似ている。
「お前らしくていいんじゃないんですか? その姿で曲芸でもしたら儲かりそうだ」
「…………」
 何か言いたそうな猫科のウツボ人魚を見下ろしながら、アズールは鼻で笑う。いつも見上げている相手を見下せるのは気分がいいので、多めにやっておきたい。
「ところでお前、最近マジカメのアカウントで猫の動画を見ていたようですが……」
「アズール!」
 アズールが切り出すと、後ろから声がかかった。無遠慮に突撃してきた相手を背中で受け止める。
「アズール、意外と体幹あるな?」
「ええ、体型維持のためにトレーニングをしておりますので」
「やっぱりアズールは頑張り屋さんなんだなあ」
「褒めてもごまかされませんよ全く」
 やれやれ、アズールがため息を着くと、突撃してきた相手――カリムがにやっと笑った。
 のしっ
「うおっ」
 突然、カリムの身体が横に引かれた。見ると、カリムの横に黄色と黒の縞模様が見える。
「んっ、虎か?」
「なあお」
 虎は行儀よく前足を揃え、カリムを見上げていた。目を細め、長い尻尾をゆらゆらと振って機嫌よさげにしている。
「この辺に虎なんかいたっけか?」
 カリムは疑問を口にしながら、虎をじっと見つめる。虎も、動かないでじっとカリムのことを見ていた。
「あ、これジェイドだ」
「ほう、良くお分かりで」
「目がな、左目だけ金色なんだ」
 アズールは虎の目を覗き込んだ。
「本当だ」
 見た目はいわゆる虎だが、特徴的なオッドアイは残ったらしい。左目だけが金色に輝いていた。
「くるるるる……」
 正体を見破られたにも関わらず、ジェイドは上機嫌だ。カリムの手に擦り寄って頭をこすりつけいている。
「よく気が付きましたね。怖くないのですか?」
「うちでも飼ってるからな! 人慣れしてればデカい猫みたいなもんだよ」
 カリムは手慣れた様子で虎の側頭部を撫でる。
(中身はジェイドなのですが……)
 どんなにデカい猫でも、中身はジェイドだ。泣く子も黙るオクタヴィネル副寮長、暴力という概念の擬人化である。
(それを安易に手懐けるカリムさんも相当ですけどね)
 まず猛獣に気軽に触れる時点でどうかしている。規格外同士、案外破れ鍋に綴じ蓋なのかもしれない。
(しかしこいつ、やけに猫の動きが様になっていますね……)
 アズールは腐れ縁の様子を観察する。虎にしては動きが飼い猫じみているというか、正直かわい子ぶっている。
(まさか、あの動画で勉強したのか……?)
 浮かんだ推測に背筋が凍る。授業内容を知った上での計画的犯行、間違いなくクロである。
(これ、普通の猫だったらもっとまずかったのでは……)
 閲覧履歴に表示されていたのは飼い主に可愛く甘える猫の動画ばかりだった。内容についての言及は、アズールの心がもたないので避けさせてもらいたい。各々、お気に入りの甘えた猫ちゃんの様子を想像していただければいいだろう。
 普段他の動物を獣だの魚だのと呼び見下すこの人魚がそれをやるのだ、カリムに可愛がってもらうためだけに。
(手段を選ばな過ぎて逆にいさぎよいですね……)
 苦虫を一度に五百匹噛んだような顔をするアズールをよそに、カリムはしゃがんで虎(中身はジェイド)を撫で続けている。自分を撫でまわす手が心地いいのか、虎はビタンビタンと尻尾を床に叩きつけた。喜んでいるのだろうか、分かりたくもないが。
「うちのも元気かなあ? 会いたくなってきたぜ……おおっ、なんだ? 慰めてくれるのか?」
 寂しそうにカリムが呟くと、ジェイドは身を乗り出してカリムの懐に収まった。床に尻もちをついたカリムが、優しいなあと言いながら虎を抱きしめて、もふもふと毛皮に顔を埋めている。一方虎の方はというと、今僕は愛玩動物なので可愛がってください、といった表情でカリムの腹に伸し掛かっていた。
 本人たちからすれば心温まるワンシーンなのだろう。客観的に見ればカリムが猛獣に襲い掛かられているようにしか見えないのだが。
(しかもこれ、ジェイドは慈悲を笠に着てスキンシップしているだけですしねぇ)
 カリムの寂しさにつけ入るだんて、いったいどこまで邪悪なのか。見ていられなくなってきて、アズールは手元のスケッチブックをまくる。
『この授業は魔法の継続具合で評価を決めるそうです。夕方まで持てば最高評価を貰えます。ラウンジのシフトは休みにしていますのでご心配なく』
 白い画用紙には端正な字でそうつづられている。
(まあ、僕に実害はないからいいか……)
 アズールはパタリとスケッチブックを閉じた。
(ジェイドはカリムさんにお任せして、僕は退散するとしましょう。突っ込むのにも疲れてきたので)
 アズールはそっとジェイドの鞄の上にスケッチブックを戻す。そして黙ってその場を立ち去ろうとしたその瞬間であった。
「カリムーーーーーーーッ!!!」
「いけない、ジャミルさんを忘れていました」
 猛獣に襲われている(ように見える)主人を見つけた従者の絶叫を聞き、アズールは放課後までの平穏を諦めるのだった。

拍手お礼(2021/03/10受領分)

名無し様

いいね&コメントありがとうございますー🌸✨好き!!
ありがたく頂戴しました👏笑っていただけて嬉しいです!

人間体での猫モーション自主練😂怖い😂
ひとまずイメトレはバッチリだったはずです💪
☀️くんはモノの本質を見る力が強そうなのでこうなりました🔍モノホンの虎の目は黄色だったので、片目だけ色が違うのが珍しかったのかも。

こいばなする話

 NRCにも冬が来た。中庭には雪が降り積もり、外は防寒着がなければいられない程寒い。普段中庭で行っていたお茶会も、空き教室を利用して行うようになっていた。
「ジェイド、いるか?」
「おや、カリムさん。ちょうどいい所に」
「今日も悪いな」
「いえ、僕もやりたくてやっていますから」
 カリムが空き教室に着くと、既にジェイドが本を読みながら待っていた。ティーカップから淹れたての紅茶が湯気を立てている。
 ジェイドが茶を淹れ、カリムが飲む。需要と供給が噛み合い行われるお茶会は、意外にも長続きしている。お互い寮で役職についていて、特にジェイドはラウンジのシフトもある。忙しいはずなのにこうして時間を作ってくれることが嬉しいな、とカリムは思っていた。
「今日は珍しい本を持っているんだな」
 カリムはジェイドの手元の本に目を向けた。数年前にベストセラーとなった恋愛小説だ。異種間の男女の壮大な純愛を描いている。流行りものに疎いカリムでもタイトルだけは知っていた。
「ジェイドが恋愛小説なんて意外だな」
「あまり関心はありませんが……話題作りにはなりますね」
 カリムの茶を淹れ終えたジェイドが席に着く。
「意外と思われるかもしれませんが、人魚は一目惚れが多いんですよ。かの人魚の姫がそうだったように」
「そうなのか、意外だな」
 カリムは感心して「へえ」と零す。
「人魚は恋が繁殖に直結する場合が多くて。特に一目惚れした初恋の相手というのは直感的に合う相手なので、その方に入れ込むことも多いんですよ」
「動物みたいだな……」
 カリムは成程、とうなづいた。ジェイドも笑みを深める。
「なので、人魚は結ばれても関係が良好なカップルが多いんです。初恋同士かは分かりませんが、僕の両親も似た者同士で仲が良いですね」
「素敵な事だな!」
「でも、向こうも都合よくこちらに惚れてくれる訳ではありません」
 ジェイドがすっと真顔を作る。話し方が上手だなぁ、カリムは心の中で感心した。
「なので、これという方ができたら、その方の元に通います」
「通う?」
「ええ」
 ジェイドは整ったかんばせに笑みを浮かべる。
「通って尽くして、自分がその人にとって有用であることを証明します」
「ううん、なんだか大変なんだな」
 カリムはぼんやりと答える。頭の隅で、ジェイドが誰かに尽くすところは見たくないな、と思った。
「カリムさんはどうですか?」
 呆けるカリムに尋ねる。
「オレ?」
「ええ、一目惚れをしたことは?」
「うーん、オレ、そういうのまだよくわかんないんだ。ジェイドは?」
「一目惚れは僕もまだですね。現在進行形で恋はしていますが」
 ジェイドの回答にどきん、と心臓が跳ねる。
「そうなんだな」
 カリムは腕を前へ投げ出した。上手い返事が見当たらなくて、口ごもってしまう。
「結ばれたいか?」
「ええ、もちろん」
「そっか。ううん……そうだな。オレはもし恋をしても、その人と絶対に付き合いたいと思わないかもしれない」
「おや、なぜでしょう?」
「その人が幸せであってくれればそれでいい、って思う」
「自分が傍にいられなくても?」
「ああ」
 ジェイドが見定めるような視線を向けてくる。カリムは頷き、心のままに答えた。
「陸では、『人はつねに初恋にもどる』って言葉があるんだ。別の人を好きになっても、初めて好きになったその人の面影をずっと忘れないんだと。
傍に居られなくても、そうやってオレの心に一緒にいてくれるなら、それだけでいいんだ」
 ジェイドはじっとカリムを観察してくる。砂漠の夜、自分の考えを切り捨てられたことを思い出し、カリムは慌てて取り繕った。
「あ、ええと……気持ち悪いか?」
「いえ、付け入る隙はたくさんありそうだな、と。貴方を放っておく様な甲斐性のない方がいたのなら、ですが」
 ジェイドはそう言って、にっこりと笑った。
「またお茶を淹れに来ますからね」
「うん? おう、頼むよ」
 カリムには言葉の意味よく理由が分からなかったが、楽しそうなのでいいか、と受け流した。

値千金

 2月半ば、平日夕方。
 教室で参考書を広げていたリドルは、眉間を揉みながら顔を上げた。辺りは日が傾き始め、そろそろ手元が暗くなる時間だ。リドルは隣で魔導書を読んでいたカリムに声をかける。
「カリム、そろそろ上がろう」
 カリムは、ふはー、と息を吐き、パタリと音を立てて本を畳んだ。
「この本、字が細かくて難しいなぁ」
「まあ、少し難しい内容だからね」
 唸るカリムに、リドルはほほ笑みかける。難しいと言いつつ、諦めないで課題と向き合う姿は褒めてあげてもいいな、と思っている。
「んんー、頭が回らない……」
「糖分不足かな? なにか甘いものは?」
「あるぜ」
 カリムはゆるゆると手を動かし、鞄を漁った。
「えっ、コイン……?」
 カリムか鞄から取り出したのは一枚の金貨だった。リドルは目を丸くして金色の塊を凝視する。
「リドルも食べるか?」
「いや、コインは食べられな……ん?」
 本当に金属をおやつにするのだろうか。そう思ったリドルだったが、コインの断面に線が入っているのを見つけて目を懲らす。
「コインじゃないのかい?」
「面白いだろ?」
 カリムは金貨の端を爪で引っ掻く。すると、ぺりぺりと音を立てて鍍金が剥がれ、中から茶色いものが出てきた。
「……驚いた、チョコレートなんだね」
 正体を知った途端、リドルの警戒が興味に変わる。幼少期は節制気味であったリドルにとって、甘いものは縁遠いものだった。今でもトレイが作るスイーツがある分、こういうお菓子には馴染みがない。
 リドルは瞬きをして、カリムから金貨型のチョコレートを受け取る。リスのキャラクターが描かれた、おもちゃのようなそれ。どうやら自分も根を詰めすぎていたらしい。処理能力の落ちた脳みそが糖分の不足を証明している。
「……やっぱりもらっても?」
「いいぜ」
 恥ずかしそうに咳払いをするリドルを、カリムはからかわない。自分の鞄から菓子をもうひとつ出して、包装紙を解いた。
「君がこんなものを持っているなんて珍しいじゃないか」
 あーん、と口を開けるカリムにリドルが尋ねる。カリムはその特殊な身分のために、食事に関して制限を設けていた。間食は彼の従者が作った物を持参している。
 カリムはああ、と歯切れの悪い返事をして、リドルの質問に答える。
「実はそれ、貰い物で」
「貰い物?」
 それは尚更珍しい。リドルはオウム返しに聞き返した。
「この前の日曜日、宴の買い出しに行ったときにサムの店で見つけてさ。おっきい袋にチョコの金貨がいっぱい入ってて、派手で面白かったたんだ。オレ、あんまりこういうのを見たことなかったから珍しくて見てたんだよ。そしたら、買ってくれた奴がいたんだ」
 きっと、先ほどの自分のようにまじまじと見つめていたのだろう、とリドルは察した。金貨なんて見慣れているだろうに、金貨を模ったお菓子に目を輝かせるカリムはちょっと微笑ましい。
「しかし、君に貢物をする生徒がいるとはね」
 富豪のカリムになにかを買ってあげるというのは、なかなか勇気が要りそうである。リドルが指摘すると、カリムはううん、と唸った。
「そいつ曰く『特別』だったらしくて」
 カリムが優しく金貨の表面を撫でる。
「理由はよくわからないんだけど、そいつがオレのために何かしてくれたことがすごく嬉しかったんだ。だから、ジャミルに無理言って調べてもらって自分で食べてる。大皿料理と一緒で、大量生産の既製品ならまだ安全だろうってさ」
 カリムはそう言って本当に嬉しそうに微笑んだ。つられてリドルも口許を緩める。
「サムさんの店で売っているものなら、何か細工をすることも難しいだろうしね。いいのかい? 僕が食べれば君の分が減ってしまうけど」
「ひとりよりふたりで食べた方が美味いからな」
「では遠慮なくいただくよ」
 リドルはカリムに倣って包装紙を剥ぎ、チョコレートを口に放り込む。甘いチョコレートが舌の上で蕩ける。目を閉じて、滑らかな風味を楽しんだ。
「おいしい」
 素直に口に出せば、カリムはにっと笑う。そしてもう一度鞄を漁り、チョコレートをもうひとつリドルに差し出した。
「一緒に楽しんでくれて嬉しかった。明日にでも食べてくれ」
 カリムは指でコインを滑らせ、リドルの手の中に滑り込ませた。

 
 
「……以上が、僕がこれを持っている理由だよ」
 昨日の出来事の説明を、リドルはそう締めくくる。
 一限目のホームルームでリドルの隣に席を取ったジェイドは、リドルの鞄から転がり出た金貨を目ざとく見つけ、話しかけてきた。
「おやおや……詳しく聞かせていただいても?」
 なぜか食いついてきたジェイドに昨日のやり取りをかいつまんで話してやり、冒頭のセリフに至る。
「それはなんともいじらしい」
 話を聞き終わったジェイドが感想を言う。何を考えているか分からないのは相変わらずだ。リドルはじとりと目を眇め、食えない相手を睨んだ。
「しらじらしいね。カリムにこれをあげたのは君だろう」
 カリムに聞いたところ、なんと贈り主は目の前の人魚だという。
「君、カリムに恩を売って見返りを求めるつもりじゃないだろうね?」
「滅相もありません。随分目を輝かせておいででしたので、買い与えたらどんな反応をするだろうな、と気になっただけです」
「相手を試そうなんて悪趣味だよ。規律以前に、人としてどうかと思う」
「そもそも人間ではありませんので」
 揚げ足を取るジェイドに苛立ちを募らせながら、リドルはつん、と顎を上げて睨めつける。
「そう警戒なさらないで下さい。あれが『特別』なのは本当です。監督生さん曰く、この前の日曜日は、『特別』な相手にチョコレートをあげる日なんだそうです。だから僕も差し上げました」
 ジェイドは目を月のように細めた。
「どうやら無事に、僕の気持ちが届いたようで何よりです」
「よく分からないのだけど、さっきから言ってる『特別』ってなんなんだい?」
 リドルは意味深長なジェイドに怪訝な顔をする。
「しいて言うなら、変哲もないチョコレートに大きな意味を与えるものですね」
 ジェイドは口許に手を当てて微笑んだ。秘密主義者め。リドルは鼻を鳴らして前を向いた。

 
 
「あー、あれ。監督生の世界で『バレンタインデー』っていうらしくって。簡単に言うと、好きな子にチョコあげる日らしいッスよ」
 その日の放課後、エースから『特別』に関する情報を聞き出したリドルは、その意味をようやく理解した。
「この偽物の金貨も、人によっては値千金の価値があるということか」
 どうやら自分は、知らないうちにふたり分の惚気を聞かされてしまったらしい。リドルはやれやれと首を振り、丸いチョコレートを噛み砕いた。

拍手お礼(かむ様 2021.02.16受領分)

かむさんへ
こんばんは、好きです(挨拶)
改めましてコメントありがとうございます!
サイト移転後初めてのコメントでした〜💕
いつも書いたものにコメント頂きましてありがとうございます!
おはぇ…オアシスメーキャーですと……🤦‍♀️🤦‍♀️
とても褒められている…嬉しくてしぬ……私はかむさんが書かれるシチュエーションや世界観がすごいなぁと思ってるので、尊敬しております。
🦈🦦ワンドロの誕生日の話とか、支部に置かれているイドカの現パロとか世界観に圧倒されました……こちらこそ、いつも陰ながら応援しております🙇‍♀️🙇‍♀️🙇‍♀️ファンです🙇‍♀️🙇‍♀️🙇‍♀️
長いの、なんとか形にできるように頑張ろうと思ってる次第です✊ がんばりますね✨

仔犬共〜……
🐬、彼はやる男です✌️
☀️くんの可愛い解釈を逆手にとったり便乗したりして、様々に仕掛けてたらよろしいなと思っております常日頃☺️
あと、☀️くん越しに自分や世界を見つめる🐬がいるかもしれないなとも思ってます。

アイスの話
へへへ、ありがとうございます🍨
☀️くんは歳下の面倒を見るのに慣れているらしいので、子どもの好む発想を沢山知ってたら可愛い。それを学校でも発揮した結果、どこぞの人魚からふれあいコーナー認定されるんですよ……!!!!

コメント沢山ありがとうございます🙇‍♀️
いつも励みになってます🙇‍♀️