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アイス作る話

 ジェイドが廊下を歩いていると、曲がり角の奥から聞きなれた声が聞こえた。
(おや、奇遇ですね)
 ジェイドは若干浮き足立って角の先を覗き込む。恋人のカリムが、難しい顔をしてこちらに向かってきていた。
(驚かせてみましょうか)
 ジェイドは気配を消して壁にもたれ掛かり、カリムを待ち伏せする。
「うお!」
 数秒後、俯き気味に歩いていたカリムは、突然現れた人間に驚いて後ずさった。
「悪い! 前見てなかった!」
「前を向いて歩かないと危ないですよ」
「ジェイド!」
 ジェイドが声を掛けると、カリムは顔を輝かせた。
「なにかお悩みですか?」
「うん、実は……」

 
 
 事の発端はマスターシェフの講義を受講する友人の話だという。
 カリムはその立場上、生活能力を外付けにしている。身の回りの事は全部従者が行い、手を出そうものならひれ伏され静止がかかる。
『やらせてあげることが自分にできること』
 家のものに何度も断られ、カリムが学習したのはそんな在り方だった。
 しかし、ここは全寮制の学び舎。実家を離れた同年代の子供達が自活している様子を見ると、自分もなにかしたいという欲が出てくる。
『次の授業は肉料理らしい。レシピを覚えて、おや……リリア先輩に食べさせてやりたい』
 少しはにかんでそう言ったシルバーが羨ましくなり、料理をしてみたくなったのだそうだ。
「オレも料理、やってみたいんだけどなぁ」
 しかし、カリムは絶望的に火や刃物と相性が合わない。ウィンターホリデーの際も、簡単な調理以外は遠慮していたのを思い出す。
「ふむ、作りたい料理はありますか?」
「んん〜、派手な宴の料理を作れればいいんだけど……最初は簡単なのがいいな」
「良い判断です。ラウンジでも、厨房係は簡単なものから覚えさせますから」
 ジェイドは考えた。こちらの想像を超える突飛な行動を起こす陸の恋人。一緒に料理をしたら、きっと楽しい気がする。それにカリムが喜ぶのなら、そのささやかな願いを叶えてやりたいと思う。
「火と刃物を使わなければいいのでしょう?」
「うん、混ぜるとかちぎるとかなら大丈夫」
「少々お待ちくださいね」
 ジェイドはにこやかに頷くと、スマートフォンを取り出した。調べると、自寮の厨房がちょうど空いている。
「新作メニューとして出すデザートの試作がしたくて。ひとりでやるのは大変なので、誰かに手伝いを頼もうと思っていたんです」
「オレにもできるのか?」
「ええ、混ぜるだけなので」
「何作るんだ?」
「来てからのお楽しみです」
 ジェイドはそう言うと、カリムの手を引いた。

 
 
「アイスって手作り出来るんだな」
 そう言って、カリムはボウルの中のロックアイスに塩を振りかけた。その隣で、ジェイドがミントシロップを計りながらカリムに微笑みかける。
「ミント味のアイスも美味そうだな!」
「ええ、少し食紅を入れて見た目を華やかにしようかと」
「ケイトがよく言ってる”映え”ってやつだな?」
 カリムは部活の先輩の言葉をなぞった。爽やかな見た目の新メニュー、彼なら大喜びで駆けつけてきそうだ。
「そういうことです。さぁ、カリムさん、そちらを混ぜ始めてください」
「分かった!」
 カリムは傍らの小さいボウルを手に取った。牛乳と砂糖と卵が入ったそれを氷の上に置き、泡立て器で中身を混ぜる。
「こういうのも料理なんだな、楽しいなぁ」
「楽しんでもらえて何よりです」
 ジェイドは返事をしながら、氷の入ったボウルを引き寄せる。自分のものは鮮やかな翠色をしていた。海のような色のアイスクリームは、夏に見合いの品になるだろう。
「オレはやったことないことが沢山あるから、なんでも初めてで、なんでも楽しい……手が冷たいな。指が凍っちまいそうだ」
 金属製のボウルは氷の温度を伝えやすいため、ボウルを掴む指にも冷気が伝わり、かなり冷える。カリムは指を擦り合わせた。
「作るのって大変だ」
 みんなすごいなぁ。カリムは感心して言った。
「あ、ジェイド! 凍ってきた! ボウルに張り付いてる!」
「本当にいつもお元気ですねぇ」
 飛び跳ねるカリムの手元を覗き込むと、混ぜ物が縁から凍ってきていた。
「ここから一気に凍りますから、混ぜ続けてくださいね」
「おう……わ、重くなってきた!」
はしゃぐ恋人が可愛くて、ジェイドは吊りがちの目を優しく細めた。

 出来上がったアイスは上々の出来だった。ボウルに入った白と翠の氷菓は、並べただけでも目に鮮やかだ。
 カリムはアイスを眺めてほう、と息を漏らす。
「綺麗な色だな」
「熱砂の国で好まれそうな色合いですね」
「それもそうだけど、ジェイドみたいな色だなぁって」
「それなら、バニラの方はカリムさんですね」
「……お、ほんとだ!」
 指摘してやると、カリムはカーディガンを摘んではにかんだ。
「せっかくなのでそれっぽくしてみましょうか」
 ジェイドはミントアイスを少し大きめに取ると、デザートカップに盛り付けた。その傍らにバニラアイスを盛り、飾りにミントの葉とウエハースを添えて全体のバランスを見る。ふたつ作って、ひとつをカリムにあげた。
「悪くないですね」
 ジェイドはアイスクリームにスマートフォンを翳す。写真を撮り、一言添えてアズールに送付した。あとはアズールとフロイドと3人で試食をして味の調整をする必要がある。
「残りは頂いてもいいですか?」
 ジェイドが顔を上げると、カリムは真顔でアイスと向き合っていた。
「カリムさん?」
 ジェイドはカリムの手元を覗き込む。カリムは真剣な面持ちで、バニラアイスにスプーンの先で点を描いていた。
「お絵かきですか?」
「もう、ちょっと……」
 後ろのミントアイスにはつり上がった線がふたつ、真ん中から両脇に伸びている。しばらく考えて、それが自分の顔だと気づいた。
(面白いことを考える)
 ジェイドは調理台を離れると、フロイドがお菓子を入れている棚に近寄る。
「こんなものもありますよ」
 ジェイドが差し出したのはおはじき型のチョコレートだった。それを目になるように添えてやると、同じくらい丸いカリムの瞳が、すごいぜ! と訴えかけてきた。
「溶けないうちに食べましょうか」
「うん! 楽しみだなぁ」
 カリムは丸椅子に座ると、カリムは元気よく挨拶する。そして

 ザクッ

 と、自分の顔に見立てたアイスに勢いよくスプーンを突き立てた。
「んっ……!」
 丸いラインが崩れ、左目部分ががっつり抉り取られる。ジェイドは驚きのあまりくぐもった声を出した。攻撃された訳でもないのに、左目が引き攣る感じがする。
(自分の顔なのに容赦なしですか)
 ジェイドは口の中を噛んで必死に笑いを堪える。カリムの容赦ないスプーン捌きはジェイドの笑いのツボを大いに刺激した。
(これだからカリムさんはやめられない)
 デコレーションしたアイスをあんなに嬉しそうに見ていたのに、食べるのが勿体ないのひと言もなかった。可愛げなんてひとつもないのに、カリムらしくて笑えてくる。その天然なところが面白い。
「おっ、うまい! ジェイド、アイス溶けちゃうぞ? 美味いから早く食ってみろよ」
「ああ、お気になさらず……ふふっ」
「楽しいことがあったのか?」
「ええ、貴方と一緒にいると楽しいです」
 カリムはきょとん、と目を丸くした。
「オレもジェイドと一緒にいるの、楽しいぞ!」
 カリムはにぱぁと笑うと、ふたくち目に取り掛かった。そして勢いよく右目を抉り取り、笑いを耐えきれなかったジェイドを噴き出させた。

 
 
「ということがありました」
 ほくほく顔のジェイドから一連の流れを聞かされたアズールはげんなりとアイスを見やる。
「これを見る度にお前の惚気を思い出してしまうでしょうね」
 試食の為に差し出された元から甘いそれが、さらに甘くなった気がする。
「いっそさぁ、ウツボとラッコの形に抜いちゃう?」
「絶対やらないからな」
 その夏、アイスクリームはなかなかの売上げを出したが、アズールは微妙な顔をしていたという。

サイト移転しました!

個人サイトを移転しました。
思ったより郊外の一軒家に住むことが性に合ってたので、大きなお家にお引っ越ししました。
今後はこちらに書いたやつ乗っけていきます。

ジェイカリ2

赤い糸

「人魚は個体数が少ないんです」
「そうなのか?」
「一年生の授業で言ってましたよ」
 ふふふ、ジェイドは笑いを零す。
「ただでさえ頭数がないだけに、運命を感じる力は絶大なんです。元々、魚は野生のものですから、生物としての本能が強いんでしょうね」
「そういうもんなのか」
 カリムはふむふむ、と相槌を打つ。
「陸では赤い糸、というものがあるそうですね。それがより太くて頑丈だと考えてもらえれば」
 このように。ジェイドは体の横から麻のロープを取り出した。手品みたいだ、カリムはジェイドの器用さに感心する。
「海の魔女の話に出てくる姫さんのやったことは、間違っちゃいないんだな!」
「そうとも言えます。あんなに無鉄砲な者ばかりではありませんが」
 ジェイドはおもむろにカリムの片手をとる。
「まあ、こうと決めた相手を、なんとしても手に入れようとはするかもしれませんね。こんなふうに」
 ジェイドは麻縄をカリムの手に巻き付けて軽く縛った。カリムの肌に傷がつかないよう、薄手のハンカチを噛ませている。
「赤い糸を、自分で結んじまうってことか?」
「いいえ、繋がりを強固にするために頑張る、というだけです」
「人魚は努力家なんだなぁ」
「そう捉えていただけるとやりやすいですね。さて、僕は寮に戻ります」
 ジェイドはすっと立ち上がった。
「おう……お??」
 カリムの片手首には麻縄が結われたままになっている。ジェイドが遠ざかろうとすると、縄がカリムをジェイドの方に引っ張るのだ。
「ジェ、ジェイド! 」
「おやおや、どうされました? 我が寮に遊びに来られますか?」
「ああ、そういうお誘いか? ならいっか!」
 カリムはジェイドに繋がれたまま鏡舎に向かった。
 ちなみに、縄は寮長がしょっぴかれてると寮生から通報を受けたジャミルが燃やすまでそのままだった。その後カリムはめちゃめちゃ怒られたしジェイドはアズールにしょっぴかれていた。

 

 

秘密

 たそかれ、すれ違う生徒の顔が分からなくなる夕暮れの時間。
 自教室へ忘れ物を取りに行くため、カリムはひとり廊下を歩いていた。部活動の途中で教室に忘れ物をしたことに気が付いたのだ。
(暗くならないうちに取って来られるといいけど)
 カリムは道を急ぐ。学び舎はその風格の分、夜の静けさをより恐ろしいものにする。まるで迷宮のような、何が潜んでいるか分からない、不気味な静けさ。
「うわっ……!」
 突然、強い力で手を引かれた。悲鳴を上げたのもつかの間、空き教室に引きずり込まれる。
 刺客かと身を固くしたのは一瞬のこと。嗅ぎなれた香水の香りで、捕食者の正体を知る。
 名前を呼ぶことは叶わなかった。ぎゅう、と抱き締められたから。まるで彼のルーツのように、抱いた身体を絞めつけてくる。
 あまりにぎゅうぎゅう締め付けてくるものだから苦しくなって、カリムは広い背中をポンポンとあやす様に叩く。拘束が緩くなったところで、背中に手を回した。
 食べたい日なのだ。今日は。
 人魚と人間では、常識も倫理観も、生活も異なる。人の姿を借りて陸を歩く彼らだが、全てがヒトに成った訳ではない。時折乱暴な衝動に駆られてしまうことがある。
 今すぐ、海に攫って食べてしまいたい。
 初めて腕の中に引き込まれた時、吐息混じりの声で呟かれた言葉こそ、彼らの本質、暴力的なまでの執着だった。
 無理やり海に引きずり込まれないだけ優しいと、数多の誘拐を経たカリムは思う。こうして擬似的にカリムを捕獲することで許してくれている。
 もっと酷いこともできるはずなのに。
「捕まえました」
 金の左目がキラリと光った。一筋の黒い髪がカリムの頬に落ちる。
 夕方の校舎は水の中のように静まり返っている。誰も助けが来ない深くて暗い海の底のようだ。
「食べてしまってもよろしいのでしょう?」
 午後6時の秘め事。カリムの是の言葉は、噛み付いてきた唇に遮られた。

 

 

至福

 その日、ジェイドは駄々をこねる兄弟とバブ返り寸前のアズールの喧嘩をBGMに、壊れた厨房設備の修理をしていた。恋人との茶会中に呼び出され戻ったらこれだ。怯える寮生達に持ち場に戻るよう指示を出し、適当な所で腐れ縁2匹を仲裁する。逢瀬を邪魔された対価に、ふたつの頭をコツンと叩いて静かにさせた。蹲る彼らにもう呼び出すなと伝え、さっさと厨房を後にする。
「おかえり、大変だったな」
 部屋に戻ると、カリムが弾いていたウードから顔を上げた。
「せっかく久しぶりでしたのに……申し訳ありません」
 ジェイドは返事もそこそこにカリムを抱え上げると、自分の膝の上に横抱きにした。ウードをそっと机の脇に降ろす。
「アレ、よろしいですか?」
「ん、いいぞ!」
 ジェイドはカリムの頬を大きな手でむにっと押した。
 カリムの頬にセラピー効果を認めたジェイドは、度々こうして頬を触らせてもらっていた。異なる体温やもちもちな感触が心を安らげてくれる。
 VDCを終えて日が浅く、肌ツヤを残したままのカリムの頬は滑らかで弾力がある。まさに肉の至福。無心になって触っていると、少し下から視線を感じた。目を合わせると、深い赤色の目が眇られる。
「楽しいか?」
「すみません、つい」
 少し夢中になりすぎていたみたいだ。ジェイドは頬から手を離すと、痩身に腕を回した。
「いいぜ、久しぶりだったもんな」
 カリムはジェイドの首に手を回し、首元に顔を寄せた。カリムの体温はジェイドより幾分か高く、抱き締めると温かい。自分が他人の体温に癒される日が来るなんて。ジェイドは無意識に息をつき、カリムを抱き直す。
「抱っこも久しぶりだな」
 カリムがうっとりと呟く。ジェイドが額にキスを落とすと、喜んで足をパタパタと揺らした。
「ここにキスしても?」
 伺いながらカリムの頬に触れる。
「そこ以外もいいぜ」
 悪戯っ子な表情に煽られ、ジェイドは頬に唇を寄せた。

 

 

輪っか

「あ、歯型」
 カリムが右手を眼前に翳す。よく見ると、薬指の付け根に点々と跡がついていた。どれほどの力で噛まれたのだろう。傷跡の一部はカサブタになって、宝石のように指を飾り付けている。
 リドルはカリムの手を取り、自分の目の位置まで持ってくる。
「人間の歯型にしては鋭いね」
「昨日、ちょっと噛まれちまってなー」
「魔法動物かい? 指を食いちぎられなくてよかったね」
「いや、ジェイドに」
「……自分の寮生の手綱ぐらいちゃんと握ったらどうなんだい?」
「あれとフロイドはどうにもなりません。しかし、よりによって右手の薬指なんて……ジェイドは随分必死ですねぇ」
 アズールは青い目で睨みつけてくるリドルを後目にカリムを冷やかす。カリムは頭の上にはてなを浮かべ、首を傾げた。
「何が意味があるのか?」
「知らないのかい? 結婚指輪だよ」
「えっ、結婚指輪?!」
「僕もそのように聞いています」
「そんな意味があったのか」
 アズールはリドルの説明に便乗する。陸では手の薬指につける指輪は、相手の心を掴んで愛の誓いを強固にするものだと聞いている。
 真意を知ったカリムは薬指をしげしげと眺めた。
「君の国では付けないのかい?」
「うちの国は両足の指につけるんだ」
「文化の違いですね」
 アズールは首を竦めた。
『人間の結婚指輪は右手の薬指につけると聞いていたのですが』
 昨晩、歯型の主は意味深長なことを言っていた。アズールの中で点と点が綺麗に繋がる。口説いたつもりだったのに、カリムに響かなかったのが不満だったらしい。
『いっそ、指ごと齧りとってしまえばよかった』
 その後に続いた物騒極まりない一言は完全に余計だった。指をちぎれば誰とも誓い合えないとほくそ笑む友人を思い出し、アズールはこめかみを揉む。頭の痛いことだ。
「戻ったらジェイドに伝えておきます」
 必要なのは指輪ではなく、足枷の方であると。

 

 

 本日、晴天。窓の外は雲ひとつない青空だった。カリムははるか上空を真逆の色彩を持つ瞳に映す。
 こんな日は、絨毯で空を飛んだら気持ちが良さそうだ。
 旋回して、急加速。上まで上がって一気に下へ。頭の中でくるくると絨毯を動かしていると、不意に視界が暗くなった。目を覆われたのだ。
「油断したなぁ、誰だ?」
 先程、上等な革靴の音がした。学生のうちで使えるのは極わずかなくらい上質なものだ。目を閉じて感じ取れる気配は水の静謐さを纏っている。整えられた足音と手の大きさを考えると、答えは一つだけだ。
「空が見えないぞ、ジェイド」
 振り向かずに指摘すると、巻きついていた掌がほどけた。代わりに体に腕が伸ばされ抱き込まれる。深い声を耳に流し込まれ、くすぐったくて身をすくめた。
「貴方を空に取られてしまいそうでしたから」
 ジェイドのイントネーションは少しだけ平坦だった。
「あんなものより、海の方がずっといいです」
 しっとりと互いの体温を分け合うように、ひたりと背中に硬い身体が張り付く。
「ただの空気の塊じゃないですか。無機物に心を委ねるくらいなら、僕の取り分を増やしてください」
「やきもちか?」
「やきもちです」
 珍しく不機嫌そうに言うものだから、カリムは笑ってしまった。この男は、自分の敵わない、届かないものを嫌がる。野生で生きてきた身の上で、絶対はないことを知っているのだ。
 安心させるために腕を撫でてやると、拘束が一層きつくなった。
「高いところは苦手じゃないのか?」
「地に足が着いていますから」
 ここは学園の中で最も高い場所、展望室だ。珍しく人気はない。カリムは窓辺でひとり、青色に紛れていた。一人飯は苦手だが、一人でいるのは嫌いではない。
 唐突に、かく、と上を向かされる。トルマリンみたいな青緑色が、白い光を浴びて輝いていた。
「また、空ごと」
 同じ色のまつ毛の向こうで、金と橄欖が剣呑に光った。

ベノム、ポイズン、トキシック

ウィンターホリデー明け初っ端の中間試験、ジャミル・バイパーはどの試験でも概ね満点を叩き出した。どよめく群衆の中、腕組みしながら試験結果を確認するーー学年2位、リドルと僅差を争い、アズールとは同率2位だった。次に狙うは薔薇と深海の寮長の首塚だ。ジャミルは心の中でガッツポーズをキメた。
一方カリムはといえば。相変わらず平均点の辺りをふらふらさ迷っていた。リドルとアズールに勉強に付き合って貰っていたぶん、幾分か順位が上がっているが、まあまあのでき、というのは変わらないようだった。

「やった! 順位上がった!」

それなのに当の本人は低い程度で歓声を上げているのでおめでたい。傍らのリドルもつられて少し嬉しそうにしている。

「おめでとう、カリム。やればできるじゃないか」
「リドル達がたくさん教えてくれたおかげだ! ありがとう!!」

カリムはリドルに心から礼を言った。少し背の低いリドルに気を取られ、後ろから近付いてくるアズールに気が付かない。

「これはこれはカリムさん、そして学年首位のリドルさん。順位はもう確認されましたか?」
「含みのある言い方だね、アズール?」
「アズール! 見てくれ、平均点が10点も上がったんだ!」

カリムがアズールにテストの束を渡した。アズールは平均点よかちょっと高い点数を見て、ふうん、と頷く。

「貴方にしては頑張りましたね」
「ありがとう! すごく嬉しい!!」

嫌味混じりの言い方も、カリムからしたら褒め言葉にしかならない。アズールはやれやれと肩を竦めると、順位表を見上げた。

「カリム、今日はテストの見直しをするよ」
「おう! でも、いいのか? ふたりとも忙しいんじゃないか?」
「僕が依頼を中途半端にするとでも? 僕達を教師にしているんです。この程度じゃ終わらせませんよ」
「教えればその分僕の身につくからね。これは僕の為でもあるんだ」

あの気難しい寮長達があんなに目をかけるとは。カリムに対して甘過ぎだ。
後ろから観察していたジャミルは級友達をジト目で見た。

「ところでカリム」

リドルがすっと目を細める。

「魔法植物学の試験、かなり危ないらしいじゃないか」
「あ、それは大丈夫だ!」

ゴゴゴゴ、もといウギギギ、と負のオーラを纏うリドルに、カリムは朗らかに返す。

「先生が特別課題を出してくれるって!」
「課題? 聞いたことがありませんが」

アズールが首を傾げる。植物学の教員は変わり者で有名で、滅多に追試を行わないことで有名だ。ノームの様な容姿をしていて、生徒の間をひょこひょこと動く様子は愛らしい。

「なんでも、実地試験らしいんだ。これから内容を聞きに行ってくる」

カリムはにこりと白い歯を見せた。

「で、これが試験内容か」

昼休みの食堂は腹を空かせた生徒の群れでごった返している。調理場にほど近い机で、ジャミルはカリムが手渡してきた一枚の羊皮紙を睨みつけていた。

「10種類の毒の鑑定、全て当てられれば筆記試験の評価に関係なくSS評価をプレゼント……」

案内文には気楽な文体で、えらく不穏な試験内容が記されていた。無法地帯のナイトレイブンカレッジ、生徒が生徒なら教員の個性も大爆発している。
魔法植物学担当の教員も例外ではなく、彼は妖精なのに毒を好み、自分と同じように毒を制したものを見つけ出し、『遊ぼう!』とばかりに難題を突きつける困った先生だった。人外に、人間の倫理観を期待してもどうしようも無い。
常識人のジャミルはギリ、と歯を食いしばった。

「やるのか、お前はこれを」
「いや、一度保留にしてある」

カリムはビリヤニサンドを頬張りながら答えた。

「一度、ジャミルに話してから、って思って」

カリムの言葉にジャミルはフン、と鼻を鳴らす。こいつにしては悪くない判断だ。日程は明日の放課後。ちょうど部活も予定もない。

「どうするつもりだ」
「熟慮の寮長が赤点なんて、寮生に示しがつかないよな!」

オレはやるぜ! カリムは拳を握りしめた。
ジャミルは大きくため息をつく。この主人ときたら、他人の為に毒の鑑定を覚えてしまう超お人好しで、自分のことなんて二の次にしてしまう。そのくせ猪突猛進で、こちらの話を聞かないで走っていってしまう。そういう所だぞと、ジャミルは内心毒づいた。

「知ってた。止めてもやるだろ、お前は」
「出来ることで点数が取れるなら安いもんだろ?」

そういう問題なのだろうか。まあどうせ、こうなったら聞きはしないのだ。
ジャミルは説得を諦めて要項に目を落とした。試験にはふたつ条件がある。ひとつ、試験場は人払いをする。ふたつ、試験にはひとつだけ持ち込みが可能である。

「ひとつだけ、な」

ジャミルは文字を指でなぞる。

「勝手にしろ。俺も好きにする」

ジャミルは羊皮紙をカリムに押し返した。

「ありがとう、ジャミル。それで、作ってほしい解毒薬なんだけど」
「バカ言え」

机から身を乗り出したカリムの鼻を摘む。うぎゅ、と変な声を出す主人を嗤う。
アジームの優秀な従者として、バカをやる主人への最良の対応を算段する。

「持ち込まれるのは人間でもいいはずだ」
「……ジャミルも一緒に来るのか?」

カリムは渋った。ジャミルを巻き込みたくない、と顔に書いてある。

「俺は従者として、この話が出た時点で既に巻き込まれてんだよ。知らない所で死なれたら、俺はいよいよ首が吹っ飛ぶんだ」

ジャミルは腕組みをしてカリムを見る。

「せいぜい俺の優秀さを証明する手段になれ」

ニィ、と笑ってやれば、カリムはパァ、と破顔した。

「ジャミルは悪いヤツだけど、優しい奴だな!」

そして矛盾に満ちた言葉を吐いた。

ところで、食堂なんて誰が盗み聞きしているか分からない場所で不穏な話をするこの熱砂主従。
厨房の搬入口から、ふたりの会話を盗み聞くことが出来たことに気づいていなかった。

「…………なるほど、これは好都合」

背の高い黒い影は少し考えたのち、裏口から泳ぎ去っていった。

恋のおまじない編

「ジェイド、さっきから何読んでんの?」
「恋のおまじないの本です。カリムさんとお近付きになりたくて」
 ジェイドが本の表紙を見せてきた。ピンクの表紙に金ピカの文字で「絶対かなう☆恋のおまじない大辞典」と浮かれたタイトルが印刷されている。
「ウケる、似合わな」
「知ってます」
 返答してジェイドは読書に戻る。
 ジェイドはカリムに道ならぬ片想いをしていた。カリムの優しさと強さに触れ、気が付けば好きになってしまっていたらしい。時折こうして恋に悩み、乙女のような一面を見せるようになった。
「意中の彼をオトす方法ですか……興味深い」
 ……まあ、ちょっといやな予感もするが、面白いからいいか。
 フロイドは兄弟が楽しそうにしていたので放っておくことにした。

 

 

「おかえりなさい、アズール」
 ジェイドが本から顔を上げ、談話室に戻ってきたアズールに声をかけた。
「留守番ご苦労様です」
「今日のクライアントはどちら様でした?」
「カリムさんです」
 ジェイドがおや、と真顔になる。
「呼んでくださればよかったのに」
 自分の気持ちを知ってるのに呼ばなかったのかと、ジェイドはアズールを非難した。
「今回はご本人からふたりがいいと指定がありまして。あまり、広めたくなさそうでしたし」
「それは聞いてもいいのですか?」
「ええ、僕ひとりでは解決できなさそうなので。本人にも了解は得ています。ついでに、お前にも話を聞こうと思っていた所です」
 アズールは自分の席にどっかり座り込む。
「今日の昼頃、カリムさんに植木鉢が降ってきたのを庇ったでしょう?」
「ええ、あの時は空から突然降ってきまして。慌ててカリムさんを引っ張って……こう、腕の中に抱き留めました、ふふ」
「惚気は要らないんですよ。その時周りにおかしなことは?」
「いえ、特には」
「そうですか」
 アズールはふー、と息を吐いた。
「最近、カリムさんの身の回りで不幸な出来事が多発しているらしくて」
「おや、それは心配ですね。例えばどんなことが?」
 アズールが手元のメモを読み上げる。
「箒から落ちかける、アンクレットを無くす、部屋の魔除けのアイテムが壊れる、昼食を食べ損ねる、自分だけ課題を聞き損ねてやらずに怒られる……」
「それだけだと判断に困りますね」
 ジェイドは顎に指をやった。
「他の生徒に同じような異変が起こっている話は聞きません。カリムさんに対する怨恨の可能性も考えましたが、身に覚えがないらしくて……」
「あのカリムさんですからね」
「もう少し調べてみないといけません。お前も、何か気になる話があれば教えてください」
「分かりました」
「ところで……先程から何を読んでいるんです?」
 アズールがジェイドの手元の本を指さした。ジェイドは表紙を見せてにこやかに答える。
「恋のおまじないの本です」
「こいのおまじない……」
 幼なじみの口から似合わなすぎる言葉が出てきてアズールの顔が引き攣る。そんなことは気にしないジェイドは、うきうき本を開き直した。
「ささやかですが効果はありまして。おかげで今日はカリムさんと急接近できました」
「試したのか?」
 アズールが尋ねるとジェイドは機嫌よく答える。
「ええ、いくつか」
「……ちなみに何を」
 ジェイドは本の目次を朗読した。
「ええと……相手と急接近できる、意中の相手をオトす、夢でも逢える、メッセージが来る、キスができる、告白される……あとは」
「待って下さい。いくつかって数じゃないですよね?」
「そうですか? 明らかに眉唾なものは除外して、あとはブロットを起こさない程度にやっているので、数はまちまちですよ」
「……ちなみに全部でいくつだ?」
「17個ほど」
「数個どころじゃないだろそれは!」
 アズールが声を荒らげた。ジェイドは訳が分からない、というふうに首を傾げる。
「たくさんやればより効果が得られるかと思ったのですが……」
「だからと言って掛けすぎだ……ジェイド、ちょっと個人面談しましょうか」
 アズールは大きく溜息をつくと、ジェイドの前の席に移動した。
「その本、ちょっと見せてもらえますか?」
 ジェイドが本を差し出した。人間の女児が好みそうな表紙の本に、楽しそうなタイトルが踊る。アズールは改めて持ち主とのギャップに引いた。
 中身を改めるために本を開く。
「……ふむ、魔力を持たない人間用のおまじない本ですか」
 本自体からは一切魔力が感じられない。中身も、毛糸を使ったものや紙を使うものなど、子供でもとっつきやすい内容が並んでいる。
「僕からしたら子供騙し、と言ったところですかね。効果があるようには思えませんが」
 アズールはパラパラとページを捲った。本当に魔術で恋を叶えたいなら、慈悲の魔女にでも頼んだ方が確実だろう。
「ところがあるのです。例えば……」
 ジェイドが本を取り上げてページを動かす。
「夢で逢えるおまじない?」
「枕の下にカリムさんの写真を敷いておまじないをかけて寝たところ、本当にお会いしまして」
「写真? カリムさんの写真など、どこで手に入れたんです?」
「それは内緒です」
 アズールは幼なじみを胡乱な目で見た。十中八九隠し撮りだろう。
「ちなみにそれは何日前ですか?」
「6日と4日と、2日前です。一日おきに」
「や、やり過ぎでは……」
「僕は毎日でもお会いしたいくらいです」
 ジェイドがうふふ、と恥じらった。アズールは無視して話を進める。一日おきに、か。前回は2日前。
「ん? 2日前、ですか?」
 アズールは席を立ってメモを取りに行った。カリムの調書を確認する。眠れなかったのは、ちょうどおまじないの日と重なる。
 アズールの脳裏に嫌な予感が走った。
「……ジェイド、お前、さっき何のおまじないを試したと言いました?」
 ジェイドがおまじないを復唱する。アズールはジェイドがおまじないを行った日を照らし合わせていく。そして、ひとつの結論に至った。
「……ジェイド、カリムさんの件、解決したかもしれません」
 ジェイドは黙ってアズールの言葉を待った。アズールは大きく息を吸い込んで、ジェイドを怒りつけた。
「お前のまじないが原因だ! 人魚が軽率に呪術をかけるんじゃない!!」
「ひどい、僕だって恋する男の子なのに……」
 ジェイドがしおしおと泣き真似をするが、身の丈のある者がやってもあまり響かない。
「ちょっとお、部屋の外まで聞こえてんよー?」
 アズールがジェイドを怒鳴りつけていると、フロイドが談話室に入ってきた。肩で息をするアズールと、本を片手に固まるジェイドを呆れた目で見てくる。
「あ、その本この前のじゃーん。ラッコちゃんおとせた?」
「なっ、フロイド、この本知ってたんですか?!」
「うん、ちょっと前からジェイドが読んでた。わけわかんねーおまじないするジェイドめっちゃ面白かった。黒魔術みたいで」
「もう、僕は本気ですよフロイド」
「本気の方がタチが悪い!」
 アズールがソファに腰を下ろす。フロイドも近寄って、ゴキゲンな書籍を奪い取った。
「この本に載っているのは“魔力を持たない人間”向きのおまじないです。おそらく、力のない彼らが使うと運が良ければ届くぐらいのものでしょう」
 アズールはジェイドに向き直った。
「問題はこれを“闇の鏡に認められた魔法士の卵”であるお前が使ったことです。おそらく、お前がこの呪いを使ったことで魔力が乗り、まじないがより強力になったのでしょう」
「ジェイドすげーじゃん。効果アリーって言ってたのマジだったんだね」
「それがいい方向になら、ですがね」
 アズールがソファの背もたれにもたれかかった。
「実際は、カリムさんに何らかの災難が降りかかり、それを回避する形で棚ぼた的に効果が現れているようです」
「確かに、カリムさんからメッセージが届いたのも、アンクレットを探すための内容でしたね」
「箒から落ちたのも、落とす呪いの効力でしょう。これだけ作用が違うのが気になりますが」
「ふむ、眉唾ものと思って気軽に試していましたが……なるほど、やはり効果はある、ということですね」
 アズールは色めきたつジェイドを止めた。
「いや、もうやらせませんよ?」
「ええっ」
「ええっ、じゃないですよ」
 アズールは腕を組む。
「これがカリムさんの家にバレたら、カリムさんを攻撃したと受け取られかねない。カリムさんの身に危険が降りてみろ。賠償どころの騒ぎじゃなくなる」
 とりあえずラウンジは無くなるだろう。今までの努力が水の泡になってしまう。
「この件は何としても隠蔽します」
 アズールは立ち上がった。
「幸いにもこの呪い、狙った効果は得られるようです。少々過程は物騒ですが……」
 アズールが眼鏡を押し上げる。ジェイドの前に紙とペンを差し出し、持つように促す。
「ジェイド、効果の出ていない呪いを全て書き出して下さい」
 ジェイドは紙にペンを走らせた。まじないはあと10個ほど残っていた。
「残っているまじないの残高をゼロにします。カリムさんには、原因を追求するために数日間ジェイドと行動を共にして貰う事にします」
「護衛にかこつけて存分に触れ合えということですね」
 喜ぶジェイドにアズールは舌打ちをする。
「その通りだこの野郎。性質的に、お前がいればまじないは発動されやすくなるでしょう。ついでにカリムさんを守り、アジーム家に貸しを作ってきなさい。
……そんな胡散臭いまじないがいらないくらい、カリムさんと親密になってくればいい。僕とフロイドは呪いの効力を減らす方法を探してみます」
 アズールはそう言うと書架に向かう。
「えー、俺もやんのぉ?」
「ジェイドを止めなかったんだからお前も同罪です。下手すれば学園にも居られなくなるし、熱砂の砂漠に吊るされることになりますよ。
さあお前達、全力で隠蔽しますよ!」

 

 

 こうして3人は、恋のおまじない(物騒強化版)に立ち向かう事になった。
 その後この話は、カリムにやけに張り付くジェイドを訝しんだジャミルが真相を突き止め、乗り込んだラウンジの一部をドッカーンするというオチがつく。おまじないの本はその場で燃やされ、ジェイドはしばらくカリムに接触禁止になった。
 そう上手くはいかないものである。

Before

Before

静かな談話室によく響く乾いた音。誰かが勢いよく扉を開け、壁に木材を叩きつけた音だ。

「誰です、行儀の悪い……おやアズール、お疲れ様でした」

ジェイドは読んでいた資料から顔を上げ、アズールの顔を見た。アズールの怒りに歪んだ表情を見て、色違いの瞳に期待を滲ませる。

「ひどく愉快な顔をしていますね」
「愉快なのはお前だけです」

アズールは大股で空き椅子に座り、机に契約書を叩きつける。

「ジャミルさんから依頼が来ました」

アズールは大きな溜め息をついた。

「3日後、カリムさんがウチの寮に泊まりに来ます」

曰く、先程寮を訪れたジャミルから、「カリムを一晩オクタヴィネル寮に宿泊させて欲しい」と依頼されたらしい。定価の数倍で。

「宿泊費他2食護衛付き、支度の世話、毒味とサービス料込み……」

ジェイドが契約書を読みながら説明を聞く。

「随分と特別待遇ですね」
「カリムさんはそれが当然なんだそうですよ」

引き合いに出されたカリム、カリム・アルアジームといえば、熱砂が誇る大富豪の子息だ。いざ全寮制の学校に通うとなると溢れんばかりの財産を持たされ、子供の頃から誘拐や暗殺とよろしくやってきている人類だ。

「『アジームの跡取りを泊まらせるんだ、安い方だろう?』と真顔で言われました」

ジャミルは本当に当たり前のことのように言ってきたらしい。

「それはそれは、可哀想に」
「口だけの労りは要りません」

依頼主の従者は札束の分だけ付加価値を要求してきた。

「しかし、カリムさんひとりを泊まらせるだけならそう手間は要らないはずです。迷惑料としてマージンを取ってしまえば良いのでは?」
「僕もそう思っていましたが……」

アズールは苦虫を噛み潰したような顔をした。

「『適当なことしたら、上流階級のやり方に順応できないとみなす』」
「…………」
「『まさか海の商人とあろうものが、将来の得意先からのビジネスチャンスを潰すような真似をするのか?』」
「……つまり煽られた、と」
「ええ、ええ、煽られましたとも!」

アズールはズア、と立ち上がる。

「僕としたことが、アジーム家の前で手を抜こうだなんて! こんな一大チャンスをみすみす逃すなんて僕らしくない!」

鼻息荒くアズールは語る。そして早口でプランの草案を説明した。

「お前達にも協力してもらいますよ。これから忙しくなる……今度こそ、ジャミルさんに僕の有能さを見せつけてやるんです、そしてあわよくば、我が寮に引き込む足がかりにしてあげましょう!」
「まんまと乗せられていますね」

燃え上がるアズールにジェイドの毒舌は聞こえていないようだ。

「では、僕は自室に篭もります。夕食は低カロリーのものを適当に持ってきてください」
「ではキノコ料理を」
「キノコは要らない」

懐から椎茸を取り出したジェイドに律儀に突っ込みを入れ、アズールは自室に帰っていった。

「カリムさんが泊まりに来られるんですって」

話し相手を失ったジェイドは手元の椎茸に話しかけた。
ジャミルがアズールを焚き付けたのも従者としての意識の高さゆえ、というのは容易に想像がつく。主人が預け先で適当にあしらわれ、挙句何らかの被害を受けたとなったら今度こそジャミルは命がない。
それほどまでしてなぜ、カリムを我が寮に泊まらせたがるのだろう。

……正直な話、ジェイドからしたらそんな理由はどうでもいい。

「楽しくなってきましたね」

アズールが本気になり、たぶんフロイドは上機嫌で話に乗ってくるだろう。今回の経験もラウンジにとって利益にもなる。
それになにより。

「好きな方と一晩、合法的に一緒に過ごせます」

目下片思い中のカリムとは別の寮に属し、クラスも違う。
カリムに恋する咬魚として、これほどおいしい話はないのである。

ゼラニウムの幸福

〇カリムの家事情をだいぶ捏造(モブ弟が毒を盛られています)
〇前半はアズールとの会話がメイン

 オクタヴィネル寮で行われているリーチ兄弟の誕生日パーティは盛況を極めていた。
いくら学内で賢いと名高いとはいえ、寮生は若者達。静かな海の寮は、このような祝祭の日には賑やかな声が溢れる。もちろん、参加費もしっかり徴収している。その分のサービスは提供しているが。
 主賓の二匹といえば、客をそっちのけでケーキをつついている。マイペースな兄弟である。
「匂わせ、ですか」
 この寮の主、アズールは壁際の長椅子で主役を眺める同期寮生に話しかけた。
「アズール、今日はお招きありがとう」
「カリムさんこそ、お越しくださりありがとうございます。……ところでそれ、ジェイドのでしょう?」
「なんで分かったんだ?」
「いつもより襟が大きい。カーディガンで誤魔化していますが、肩も落ちています」
 大らかなカリムにも分かるように、ひとつひとつ指摘していく。
「貴方にワイシャツを貸せるのはフロイドかジェイドぐらいです。襟にノリがきいているようなので、ジェイドのものかと」
「アズールはすごいな、探偵みたいだ」
「初歩的なことです」
 アズールはカリムの隣に座った。近くにいると、フロイドの整髪剤の匂いもする。とんでもない仄めかし方だ。
 アジームの跡継ぎともあろう者が、ウツボの好き勝手にされているとは。従者が見たら卒倒しそうだ。
「お忙しい所、来て下さってありがとうございます。フロイドもジェイドも喜ぶでしょう」
 カリムはおう、と答えた。楽しそうにニコニコと笑っている。
 アズールは本題に踏み込んだ。
「ご実家にお帰りになられていたのでしょう? 長旅お疲れ様でした」
「うん、少しな」
 カリムは言葉を濁す。アズールはさらに続けた。
「あの2人を置いていくなんて、貴方にしか出来ませんよ」
「ごめんな、心配かけたよな」
 素直な謝罪にアズールは居心地が悪くなる。
 さらに嫌味を言ってあげようかと思ったが、この少年の前では、なんだか幅かられた。
「何か、余程のことがあったとお見受けしますが……どうなされたので?」
「……宴の席では、楽しい話がしたいな」
 アズールは驚いた。いつも、騒がしいぐらい賑やかなカリムが、随分大人びた表情をしている。
 そんな言い回しができたのか、失礼な本音を飲み込んで口を動かす。
「貴方がそんな顔している方が興ざめするというものです。双子達は鋭いですから気が変わってどこかに行かれてしまっては敵わない。今、ここで落としていったほうがお互いの為だ」
 アズールはつらつらと言い訳を並べた。
「優しいな、アズールは」
 カリムが伏せていた目をあげた。口角を上げ、談笑しているような顔をする。ああ、慣れているな。アズールは頭のどこかで思った。
「兄弟が毒にやられた」
 カリムがポツリと言葉を落とす。
「昨日の昼、泡を食って倒れたらしい」
 アズールは引き攣る喉を誤魔化す。
「医者は」
「主犯の夫人とグルだった。家の主治医は、とーちゃんについて出張中でな。で、オレが毒を見てやって、薬はジャミルが」
 カリムはなんてことないように話す。
「そいつは昨日、誕生日だったんだ。薬を飲ませて、夜はずっと傍にいてやった」
 賢い子なんだ、オレよりずっと。カリムは静かに言葉を紡ぐ。
「昼前に容態が落ち着いたから使用人に任せて帰ってきた。……ずっと起きてたから寝不足でさぁ、薬学室のビーカー3個も割っちまって、その上薬草の分量間違えてクルーウェル先生に大目玉だ!」
 カリムはいつも通り、大袈裟に嘆いた。
「それは、ご苦労様でした」
「興ざめしたか?」
 アズールは大きくため息をつく。
「いえ、こちらこそ不躾でした。珍しくお疲れのようでしたから」
「心配してくれたんだよな、ありがとう」
 カリムはあくまで肯定的だ。辛いことを言わせた相手を責めもしない。
(カリムさんの実家は、商家として名高い名家だ)
 溺れる程の富と名声を与えられる代わりに、暗殺も毒殺も日常に溶け込んで、家の者の首を狙い続けている。特に、当主と後継などは、格好の獲物だろう。
(僕でもそうするだろう。当主に取り入るチャンスは逃がさない。僕ならもっと上手にやるけれど)
 アズールは黙り込み、カリムを見つめる。
(いつもなら、弱みを見せた相手に取り入る算段をするはずだ)
 なのに、気が乗らないのは何故だ。モヤモヤして、息苦しくなる。
「……ジェイド達に、さっき部屋を見せてもらったんだ」
 カリムはそっとソファの背もたれに身を投げる。
「びっくりした。親御さんからのプレゼントが沢山。宝物箱みたいだった!」
 カリムは夢見るように続ける。
「人魚も、やっぱり誕生日は特別なんだな。ジェイドとフロイドは、沢山親御さんに愛されてるんだって分かった」
「……アレの家も商売をしていますからね。配下のものも含め、毎年プレゼント攻撃をしてきます」
「そうなんだな!」
 カリムはころころと笑った。顔を上げ、恋人達の方を見る。
 フロイドがジェイドのケーキの苺を奪った。したり顔のフロイドを、ジェイドがぽかんと見る。
ぱくん、苺がフロイドの口に収まった。
 双子は顔を見合わせる。そして、同じタイミングで吹き出して笑った。
「一日大変だったけど、オレ、今日ここに来れてよかった。ふたりが幸せでいてくれて嬉しいよ」
 アズールが隣を見ると、カリムは心底幸せそうな顔をしていた。
「……カリムさんは」
 アズールの声に反応して、カリムが顔を上げる。
「プレゼントを貰ったことは?」
「うん? もちろんあるぜ!」
 カリムがスマートフォンを取り出し、画像フォルダを開く。個別フォルダに隔離された、読み古した本の写真。有名な子供向けの冒険小説だ。
「ジャミルがくれたんだ」
 カリムはそっと画面をなぞる。
「大事すぎて寮の部屋に置いてあるんだ。ジャミルにはいい加減捨てろって言われてる」
 カリムはからりと笑う。
「そんな本より、もっと沢山頂いたでしょう?」
「うーん、貰ってはいるけど、なかなかこっちまでは来ないな」
「……もう、やめましょう。僕が悪かったです」
 アズールは自らの中折帽を、カリムの頭へ乱暴に被せた。
「うおっ」
「5秒で他の画像に切りかえて下さい。早くして」
 こちらの様子に気づいた双子が、2人してアズールを睨みつけている。
「まあ、随分のんびりしていましたね?」
 カリムは帽子を被ったまま、画像をさっと切り替えた。やはり慣れている。
「そんな顔していてご覧なさい、ウツボ達に海へ引き摺り込まれてしまう」
 アズールは言いながら、頭から帽子を回収した。
「ねえ?」
 顔を上げたカリムに微笑みかけてやると、カリムはぽーっとアズールを見つめ返してきた。
「ふんっ」
 その時、スパン、とカリムとの間に何かが通った。
「それ、お前がやるんですか、ジェイド?」
「僕も浮かれているようで。つい的を外してしまいました」
 ケーキの皿を持ったジェイドが、真顔で手刀を繰り出していた。その横で、フロイドが瞳孔を開いて立っている。
「オレさ、まだ今日タコ食べてないんだけど」
「あちらに沢山ありましたよ?」
「ケンカ売ってんだよタコちゃんよォ?」
 フロイドの手が、アズールの脇に通る。そのまま横に投げると、いそいそとカリムの隣に腰を下ろした。ジェイドもそれに倣い、カリムの逆隣に座る。
「何見てたの? オレにもみせて」
「ん? これのことか?」
 翳したスマートフォンには幼い少年達の写真が映っていた。
「可愛いだろ? オレの弟達だ」
「ああ、やはり可愛らしい!」
「アズールうさんくさ。あと、今日はオレの方が可愛いです」
 フロイドは不機嫌そうな顔をして、カリムに凭れ掛かる。カリムはよろめいて、ジェイドに寄りかかった。
「可哀想、フロイドはカリムさんに放っておかれてしくしくしているんです」
「……しく、しく……」
「アズールしずかに」
 茶々を入れると激が飛ぶ。アズールは肩を竦め、拗ね散らかした幼馴染み達を見守ることにする。
「まあそれはさておき。カリムさん、このケーキとても美味しいですよ。一口いかがですか?」
 ジェイドがケーキをカリムの口まで運ぶ。クリームをちょん、と唇に触らせて、カリムの返答を待っている。
 あわよくば口に運ぶつもりだ。アズールは少し遠い目をする。
「ごめんな、ジャミルと約束だから」
「おや、残念です」
 カリムは謝ると、ジェイドの手を取ってフロイドの口元に持っていった。フロイドは不貞腐れたまま、ケーキをもしゃもしゃと咀嚼した。
「甘い。他の雄の話ムリ。オレ、タコがいい」
「取ってこようか?」
「ラッコちゃんのばかぁ」
 フロイドはそのままカリムに体重をかけた。
「フロイド、潰れる!」
「ふふ、カリムさんてば今日は大胆ですね」
「ラッコちゃん、写真見せてくれないと次は絞めるよー」
「あだだだだだ!」
 このままでは本気で圧死させそうだ。
 アズールは慈悲の心で助け舟を出してあげた。
「やめなさいお前たち。カリムさんとはプレゼントの話をしていただけです」
 カリムは、ハッとした顔でアズールを見る。
 ウツボの頭にピコン、と星が煌めいた。
「プレゼント? まだなにかくれるの?」
「欲しいものがあるのか?」
「あるよぉ、当ててみて」
「んん、なんだろ……」
「残念、時間切れ。ね、それよりラッコちゃんはぁ、お返しのプレゼント何が欲しい?」
 フロイドがカリムの頭にすり、と甘える。
「気が早いですよフロイド。カリムさんのお誕生日はまだ半年先です」
 ジェイドがカリムの手を取り、自分の頬へ持っていく。そして甘い色の手に頬ずりをした。
「うーん、何がいいかな」
 カリムはその様子を全く介さず考える。生徒の畏怖の対象、泣く子も黙るウツボの兄弟にじゃれつかれてもビクともしない。
「2人が幸せでいてくれれば、それでいいな」
「でーたイイコチャン」
「カリムさん、僕達は貴方に喜んでもらいたいんです。ちゃんと答えてください」
 ジェイドがすん、としょげた顔をする。フロイドはカリムの頬をつんつんとつついた。
「ラッコちゃんがジェイド泣かした」
「うう、しくしく……」
「お、おまえたち……」
 幼馴染み達のあまりの甘えたっぷりにアズールは震えた。
 さっきとは別の意味で見ていられなくて、アズールは席を立つ。
「特別です、タコを持ってきます」
「えっ、共食い?」
「アズールにそんな趣味が……」
「明日、覚えておけよ」
 アズールは双子を睨めつけると、料理の卓の方へ向かった。
「あーあ、ぶりっ子飽きた」
 フロイドが身体を起こす。ついでにカリムの身体も抱き起こした。ジェイドは相変わらずカリムの手のひらを好きにしている。
「ラッコちゃん、さっきの楽器演奏して」
「いいけど……どっちをやればいいんだ?」
「どっちも」
「そうか、どっちもか!」
 フロイドが翠色のダラブッカを持ち出す。ジェイドは薄紫色の包みを開け、弦楽器を取り出した。平たい胴がエメラルドのように艷めく。
「本当に僕らの色をしていますね」
「ちょうど見つけたんだ。貸してくれ」
 カリムが弦を弾く。どこか郷愁的な音色。
「弾いてみるか?」
「僕は見ています」
 ジェイドはニコニコと微笑んだ。
「よし、いくぞ」
カリムはジャ、と弦を掠めた。驚いた寮生が振り向くが、カリムは構わず演奏を続ける。
軽快なリズムに合わせ、フロイドはフロアに飛び出した。
「あは、いーねぇ!」
 2本の尾びれをタカタカ鳴らし、テンポに乗る。慣れてくるとわざとテンポをズラして、カリムを挑発する。するとカリムはそれに合わせ、演奏を緩やかにした。そして突然また主導権を奪い返す。
「これはまた、随分賑やかになりましたね」
 アズールが場に戻ると談話室はダンスフロアになっていた。ジェイドの向かいに腰掛け、カルパッチョの皿を寄越してやる。
 寮生達はめいめい身体を揺らしたり、手拍子や野次を飛ばしている。
「ええ、とても。こんなに賑やかになるとは思ってもいませんでした」
 ジェイドは幸せそうに目を細めた。視線の先には、最愛の兄弟と恋人の姿がある。
「とても楽しいです」
「……それはなにより」
 アズールは息をつく。
 口元に浮かんだ微笑みを茶化す者は、誰もいなかった。

祝福の色

 ハロウィーンが終わると、日暮れの速さが加速するように感じる。
 11月5日。ハロウィーンの喧騒から落ち着きを取り戻しつつある学園。18時ともなれば外はとっぷり暗くなる。
「ジェイド!」
 ジェイドが鏡舎に向かっていると、後ろから声がかかる。振り返ると、片割れのフロイドが、紙袋を片手にゆらゆらと追いついてきた。
「きぐう~、こんな所で会うなんて、さすが双子って感じ?」
「そうですね。部活、どうでしたか?」
「みんなでパイ投げした。魔法じゃないからユニーク魔法使えなくてさぁ、もう揉みくちゃ。シャワー浴びなきゃ出て来れなかった」
「そうですか。楽しかったですか?」
「あは、さいこー!」
 フロイドが上機嫌に両手を挙げる。ジェイドはニコリと微笑んだ。
「誕プレもいっぱい貰ったし。アズールでしょ、金魚ちゃんでしょ、バスケ部の奴らからも貰ったしぃ」
「僕も、リドルさんとラギーさんからプレゼントを頂きました。サイエンス部の先輩方からも」
 ふたりして紙袋を掲げる。今日収穫したプレゼント達が、誇らしげに胸を張っているようだ。
 人魚だって誕生日を祝われたら嬉しい。特別な日なのは海でも陸でも同じことだ。
「コバンザメちゃん、モノくれるの?」
「山菜料理のレシピを。まだレパートリーをお持ちのようでしたので、折を見て聞こうかと」
「それさぁ、奪うの間違いでしょ~?」
「人聞きの悪い、少々取引するだけです」
 ジェイドは眉根を寄せて微笑んだ。悪い顔、と横から茶化される。
「今日はいい一日でした。僕も楽しかったですし、何よりフロイドが、今日一日楽しそうでしたので」
「あは、オレもジェイドが嬉しそうにしてんの、嬉しいよ」
 ほのぼのとした雰囲気も束の間。フロイドが真顔になる。
「でさあ、会えた?」
「いいえ」
 ジェイドも真顔で首を横に振る。フロイドは嘆かわしいとばかりにため息をつく。
「なんも約束してなかったもんね。向こうから来るって思ってた」
 それは由々しき事態だった。
 今日一日、祝い事となれば一番に張り切る恋人の姿が見当たらなかったのだ。

「お誕生日おめでとうございます。フロイド」
「ジェイドも誕生日おめでとう」
 いつものようにお互い一番に誕生日を祝って、去年と同じくアズールから一番にプレゼントを貰った。大きな水槽と高価な靴磨きセット。アズールは今年もプレゼント選びが上手だった。
 去年と違うのは、2人に共通の恋人がいること。陸のラッコこと、カリム・アルアジーム。色んな壁を乗り越えて思い通じ合わせ、心を繋いだニンゲンの恋人。
 ふたりは朝食を食べながら空想する。
「ラッコちゃん、今日はなにしてくれるかな?」
「まず、開口一番お祝いの言葉をくれるでしょう」
 海にない赤い瞳をキラキラさせて、大袈裟なくらいに誕生を祝ってくれる。
「プレゼントは何くれるかな?」
「分かりません。カリムさんですから、きっと面白いものを下さるんでしょう。フロイドは何が欲しいですか?」
「ラッコちゃん」
「ふふふ、素直ですね。僕も同じですが」
「知ってる」
 ふわふわと浮かれる2人。
 横で話を聞いていたアズールは、はて、と首を傾げる。
「カリムさん、昨日からご実家に帰られていますよ?」
「え?」
「は?」
 ズイ、と双子の顔がアズールに向く。アズールは無表情で続けた。
「昨日の寮長会議の時、カリムさんとジャミルさんが居ないからと、代理の生徒が来ていました。急遽、家に帰らなくてはならなかったようで」
「なにそれ聞いてないんだけど」
「僕もです」
 よりによって誕生日なのに。それに、自分達は何も聞いていない。双子は不満を露わにする。
 アズールはやれやれ、と肩を竦めた。
「一緒に過ごすと約束していた訳では無いのでしょう?」
「確かにそうですが……」
「ねー、それ、いつ帰ってくんの?」
「知りませんよそんなこと。お前達の誕生日パーティには出席するとの回答を貰っています。それまでには帰るのでは?」
「なら、仕方ない」
「お会い出来るなら」
「これはまあ、お前たちときたら。リーチ兄弟が随分牙を抜かれたものだ」
 恋する幼なじみ2人を見て、アズールは馬鹿にしたように笑った。
「カリムさんを見かけたら、声をかけておきましょう。誕生日の恋人を放っておかないようにと」
 そして少しだけ、慈悲の心をくれた。

 カリムの来訪を待つこと11時間。
 日が暮れてもカリムは現れなかった。
「ラッコちゃん、ぜんっぜん来てくんない!」
「午後から学校には来ておられたようです」
 頬を膨らませるフロイドと、思案顔のジェイド。どちらにも、表情に不満が浮かんでいる。
「連絡もとれねーし」
 フロイドの長い指がスマフォの画面をなぞる。マジカメのメッセージ画面。既読はついているものの、返信はない。
「なにかあったのでしょうか」
「それならウミヘビくんが部活出てねーよ」
 ジャミルは部活に出てパイ投げに混じっていた。自分の誕生日に顔を狙われた腹いせに、同じ目に合わせようとしてきた。いい性格をしている。
 ふたりしてため息をつく。恋人と初めての誕生日だったし、正直期待していた。今日くらい、あの子と一緒が良かった。
「……パーティには顔を出して下さるはずです」
「パーティ始まったらゆっくり話せねーじゃん」
 話しているうちに鏡舎まで着いた。
 ジェイドは自寮に向かう鏡の前に、誰かが蹲っていることに気がついた。白いカーディガンに埋もれる真珠色の短髪。彼を、見間違えるはずがない。
「ラッコちゃん……?」
 フロイドが小さく呼ぶと、かの人はパッと顔をあげた。
「フロイド、ジェイド」
 カリムは少しくたびれた姿で、恋人の名前を呼んだ。フロイドは息を吸い込むと、わっと吠える。
「遅い!!」
「遅くなってごめんな!」
 カリムが心底申し訳なさそうに謝る。
「昨日の昼に、突然家からの呼び出しがあって。夜も動き回ってた! こっちに帰ってきて、逢いに行こうとしたんだけど、寝不足で実験ミスっちまって、放課後はみっちり補習だったんだ……」
「……フロイドに連絡も返せない程に忙しかったんですか?」
「うう、本当にごめんな……」
 カリムが項垂れ、再び謝罪した。
 よく見るとひどい格好だ。煤を鼻につけて、ターバンの結び目もよれている。夜更かしのせいか、目の下にクマが刻まれていた。
 らしくない姿だ。本当に大変だったと見える。
 フロイドもジェイドも、せっかくの誕生日にカリムが居なくてすごく寂しかった。でも、文句はここまでにした方が良さそうだ。
 双子は目線で示し合わせる。話題を変えるため、フロイドがカリムの傍らの包みを指差した。
「ね、ラッコちゃん、それなに?」
「あっ、そうだ、プレゼント!」
 カリムは立ち上がり、プレゼントの包みを持ち上げる。
「プレゼントが大きいから放課後に渡そうと思ってたんだ。きっと、ジャミルと同じように沢山プレゼント貰ってるだろうから」
 カリムはリボンの色を確認してから、包みをフロイドに渡す。同様に、そっくりの袋をジェイドにも渡した。
「宴が始まっちまうと、主役は忙しいだろ? そうすると、ゆっくり話せないからな」
 フロイドとジェイドは顔を見合わせる。カリムが少し前の自分たちと同じことを考えてたから。
「誕生日おめでとう、ジェイド、フロイド。生まれてきて、オレと出逢ってくれてありがとう!」
 カリムが今日一番の笑顔で笑った。
 恋人の想いに、心のささくれが溶けていく。
「ありがと、ラッコちゃん」
「ありがとうございます」
「今日は本当にごめんな!!」
「もういいですよ。忙しかったんでしょう?」
「ね、これ開けていい?」
 フロイドが返事を待たずにリボンを解く。
「いいぞ、でも、時間は大丈夫か?」
 カリムが心配そうにジェイドを見た。
「まだ時間に余裕はあります」
「……あ、楽器だ」
 フロイドは、袋の中から現れた翠色の楽器を眺めた。
「ダラブッカだ! 前に、寮で一緒に演奏してくれただろ?」
「すげー色だね。オレらの頭の色」
「色々探してた時に見つけてな。二人の色だったから。ジェイドも同じ色が入ってるぜ」
 カリムはそっと目を伏せた。
「ふたりと仲良くなったのは、うちの手伝いに来てくれた時がきっかけだっただだろ? ふたりは楽器ができるって聞いてたから、楽器にしたいなってずっと思ってた」
 カリムがはにかんだ。
「うちの国では、その色はすごく好まれている色なんだ。二人の色が、沢山の人に愛されてるのが嬉しくて、それにした」
「ラッコちゃんの国の人の好みはわかんないけどさぁ……ラッコちゃんはオレたちの色、好き?」
 フロイドの問いかけに、カリムは満面の笑みで答える。
「当たり前だろ?」
「……ん、あっそ」
 フロイドは素っ気ない返事をする。だが、溶けるくらい優しい表情をしている。きっと自分も同じような顔をしている。とジェイドは思った。
「ジェイドにはウードにした。うちの国の弦楽器なんだ」
「カリムさんが式典で弾いておられたものですね。僕が弦楽器が弾けるのは、どちらで知られたのですか?」
「フロイドからだ。アズールと3人で、ミドルスクールの時に演奏してたって聞いた」
「あんな話、覚えてたの?」
「だって、3人の大事な思い出の話だろ?」
「……ありがとうございます、大事にします」
 ジェイドはプレゼントを抱きしめた。3人の楽しい思い出を、カリムは当たり前のように大事にしてくれた。
 アズールとフロイドを大事にするジェイドにとって、それはとても嬉しい事だった。
「なあ、時間は大丈夫か? せっかくの宴だし、主役が遅れるもんじゃないぜ?」
「だいじょぶだってぇ、パーティは7時からだし」
「カリムさん、パーティには来られますね?」
「当然! 喜んでいくぜ!」
 カリムは元気に答える。
「では、寮までご一緒しましょう」
「つか、ラッコちゃんひでぇカッコ」
「ん? 何かついてるか?」
「鼻に煤が」
 カリムが鼻頭を擦った。指についた煤を見るなり、苦笑いをする。
「……やっぱカッコつかないか、ダメだなぁ」
 肩を下げるカリムの髪を、フロイドの手が混ぜる。
「オレらの部屋おいで。パーティ始まるまでに毛繕いしたげる」
「2人の準備があるだろ?」
「着替えるだけなので直ぐに終わりますよ」
「着替えてー、ラッコちゃん毛繕いしてぇ」
「ワイシャツも汚れているようですからお貸ししましょう。腕をまくれば動きやすいでしょう」
「……ふたりは優しいな。ありがとう。でも、いいのか? 主役にそんなことさせて」
 次々提案する双子に、カリムは怪訝な顔をする。
「僕らがやりたいようにするからいいんですよ」
「ラッコちゃん、オレと同じ匂いさせてパーティ出てよ」
「僕のシャツを着てパーティに出たら、きっと皆さん驚かれるでしょうね」
「あはっ、ジェイド天才?」
「天才はフロイドですよ」
 きゃっきゃと盛り上がる兄弟を見て、カリムはのんびりと言った。
「うーん、2人とも楽しそうだな?」
「うん、楽しい/ええ、とても」
「ならいっか。楽しいのが一番だもんな。よろしく頼むぜ!」
 カリムは屈託なく笑った。
「ほら、行くよラッコちゃん」
 そして3人は、海へと続く鏡の中へ吸い込まれていった。

良い週末を

 なんの変哲もない週末の夜。
 休みの予定が珍しく重なったジェイドとフロイドは、自室にて夜の時間を過ごしていた。ジェイドは机で新しいテラリウムの構想を練り、フロイドはエースから借りてきた雑誌を読み耽っている。
「そういえば、地上でも涙が凍ることは滅多にないんだそうですよ」
 フロイドが雑誌から顔を上げると、少し離れた所で片割れが笑顔を向けていた。
「……なに、喧嘩売ってる?」
「いえ、この前のフロイドが懐かしい話をしていたものですから、印象に残っていて」
 胡乱な眼差しを向けるフロイドに、なおもジェイドは続けた。
「『冬の夜に海面に出ると涙が凍り、目が見えなくなる』……古い言い伝えですよね」
 問うてくるジェイドに、フロイドは適当な返事をして返した。
「あれ、チビが冬の海上に出ると流れに呑まれると帰って来らんなくなるから、行くなよって事でしょ?」
「ええ、実際は涙が凍ることなんてそうそうないらしいです」
「アズール、それ初めて聞いた時超ビビってたよね」
「ええ、素直に信じてましたね」
 2人して思い出してくつくつ笑う。からかってやるネタがひとつ増えた。
「それで?」
 ジェイドが再び尋ねた。
「どうしてカリムさんに、涙が凍ると言ったのですか?」
「んー、さあね」
 フロイドはそう言ってはぐらかすが、ジェイドは笑みを浮かべたまま微動だにしない。これは納得する答えが出るまで動かないやつだ。フロイドは仕方なく脳みそを動かして記憶を掘り起こす。
「あの時、ラッコちゃん凍えてた」
 あの時カリムは、かけがえのない存在に裏切られ、拒絶され、遠くへ打ち飛ばされた。冷たい孤独と悲しみが臓腑の中に溢れて、抑えつけて押さえつけて、止められない分が目から溢れた。あの時のカリムは気温の低さも相まって、放っておいたら凍え死んでしまいそうだった。
「ラッコちゃんが泣いてるの見たら、なんか本当に涙凍りそうって思って」
 見ていられなくて思わず口にした言葉は、思いがけず叙情的なものとなった。
「あの時のカリムさんはなんだか、儚かった。今にも壊れそうでしたね」
「あーゆーの、やだ。あんな風に泣いてるラッコちゃん、見たくねーし」
「おやおや」
 雑誌を放り投げて枕に顔を埋めるフロイドに、ジェイドは笑みを深める。この子が誰かに情を寄せるなんて。
「珍しいじゃありませんか。フロイドがそんな風に言うなんて」
「だって、ラッコちゃん、強いのに弱いからほっとけないし、目ェ離したら流されそーだし、イライラすんのにふわふわで、心臓ぎゅーってされて……」
「ふふ、それはそれは」
「もー、そろそろいいでしょー?」
 フロイドがジェイドを睨みつける。皮膚の色をした耳が赤くなっていて、照れている事がわかる。ぶきっちょな様子が微笑ましくて観察していると、んああ、とフロイドが唸った。そして突然ベッドから立ち上がると、部屋着をポイポイと脱ぎ始めた。
「お出かけですか?」
「ラッコちゃんの話したせいで顔見たくなっちゃった。お詫びに構ってもらうー」
 めっちゃいい案、どーせ明日は休みだしぃ。
 ジェイドが時計を見やると、時刻は既に19時を回っていた。これからスカラビア寮に遊びに行くのだろうか。戸惑うジェイドをよそにフロイドは鼻歌交じりに着替えを進める。
「ラッコちゃんと遊んでそのまま泊まってくるからアズールに言っといてー」
 案の定泊まりに行くつもりだったらしい。着替えを済ませたフロイドは鞄に手早く着替えと歯ブラシを詰め込んでいく。
「わかりました。面白そうなので僕も同行しても?」
「今日はダメー。じゃーね」
 ジェイドのお願いをあっさり断ると、ご機嫌な片割れは部屋を出ていってしまった。
 パタンと閉まった扉に向かい、ジェイドは呟く。
「良い週末を、フロイド」
 きっと今週はいい週末になるだろう。フロイドの幸せを祈りつつ、ジェイドはアズールと、ついでに麗しのラッコの君に一報を入れるべく腰を上げた。
 せっかくフロイドがいないことだし、今夜はのんびりキノコを愛でることにしよう。

仔犬ども、始めるぞ!

 寒風が首許を駆け抜け、黒いひと房の髪を揺らす。冷たい風は故郷と違うやり方で冷たさを運んでくる。ジェイドは圧雪を革靴で踏みしめながら魔法薬学室への道を進んでいた。

 高度な錬金術には長時間の攪拌を必要とするものが多い。NRCに勤務する教員はみな優秀な魔法士で、自分の興味に一直線なものも多い。授業だけでは飽き足らず個人研究という名目で実験を行い、ときおり全校生徒に手伝いを募ることがある。
今回、手伝いの募集をかけたのはクルーウェルだった。学内に掲示された要綱はジェイドの興味を引くものだった。実験予定日は特に予定もなかったため、ジェイドはすぐに手伝いを申し出た。

(カリムさんの予定が空いていてよかった)

 道すがら、今日のパートナーのことを思い浮かべる。手伝いの内容は鍋の攪拌で、二人一組での申し込みが条件とされていた。アズールもフロイドも各々やることがあるので同伴は見込めそうにない。どうしようかと考えていた時、カリムが声をかけてきたのだ。

『ジェイド、なに見てるんだ?』

 声の方を見ると、宝石のように光る眼とかちあう。こちらを仰ぎ見るカリムの顔を見て、ジェイドはふと思い出す。試験でカリムと組んだ際、攻撃の威力が少し上がっていた。つまり、彼と己の魔力相性がいいことを。

(鍋の攪拌は魔力の波長が合う方が良いとされています)

 要綱を見るに細かい作業はないようだから、パートナーにしてもいいのではないだろうか。ジェイドはそう踏んで、カリムにひとつ打診をした。

『一緒に鍋を混ぜてほしいのか? いいぜ、いつだ?』

 ダメ元で同伴をお願いしたところ、カリムはジェイドの申し出を快く引き受けてくれた。ちょうど予定が空いていたらしい。

(楽しい実験になりそうですね)

 実はジェイドはカリムをかなり気に入っている。特に冬休みを超えたこの頃は顕著で、ただの友愛で収まるところなのかわからなくなってきていた。
 気になる実験と、気になる陸の人間。2つの楽しみは、無意識のうちにジェイドの尾鰭を急がせた。

 白衣に着替えて実験室に入ると、カリムはすでに部屋で待機していた。椅子に座り、実験準備をするクルーウェルと雑談に興じている。入室したジェイドに気づくと、ジェイド、と声をかけてきた。

「カリムさん、早かったですね」
「最後の授業がここだったんだ」
「揃うのが早くて助かる。リーチ、俺様は準備室でもう少し支度をする。少々こっちの準備を頼みたい」
「かしこまりました」
「その前に、良い子の仔犬にはご褒美のおやつをやろう」

 クルーウェルは鞭をふるい、移動魔法でなにかを呼び寄せた。カップケーキだ。大きめのそれは購買部で販売しているもので、てっぺんがピンク色のクリームでデコレーションされている。クルーウェルはケーキを適当な皿に乗せ、カリムに手渡した。

「ありがとう先生!!」
「ごちそうさまです」
「ひとつしかないから、誰かに見つかる前に分けろ」

 クルーウェルはそう言い残して準備室に入って行った。
 カリムは腰かけていた椅子から降り、嬉しそうにジェイドのところに寄ってきた。

「ジェイドが食べていいぞ、これ」
「おや、よろしいのですか?」
「ジャミルと約束してるしな」
「ちょうど小腹が空いていたところだったので、ありがたくいただきますね」

 ジェイドは手袋を脱ぎ、カップケーキを受け取った。

「いただきます」

 上の方を一口かじると、バタークリームの濃厚な味がする。ケーキ本体は甘さ控えめで、クリームとのバランスがいい。当たり前だが、毒の味はしない。

(僕がかじったものなら食べられるんじゃないだろうか)

 ジェイドは考えながらカリムを見る。カリムはジャミルの作った物しか食べない、というのは彼の身近な人間ならよく知っていることだが、毒見を済ませたものや大皿料理なら食べられるなど例外はあるらしい。
 ジェイドはこちらを見上げてにこにこしているカリムに微笑みかける。

「おいしいです。毒もありませんし、カリムさんもどうですか?」
「ん、いいのか? 一度あげたものなのに」
「2人でもらったものなので。はい、お口を開けてください」
「わかった」

 カリムは少し上を向いたまま口を開けた。白いエナメル質の奥に桃色の舌が見える。従順に食べ物を待つ姿はジェイドの世話好きに訴えかけてくるものがあった。

(さしずめ、ふれあいコーナーの餌やり体験ですかね)

 そう失礼なことを考えながら、ジェイドはカリムの口にケーキを近づけた。わずかに背伸びをしたカリムがケーキに食いつく様を見守る。

「うまい!!」

 カリムは目を輝かせ破顔した。

「これ食べたことなかったんだけど、おいしいなあ!」
「そうですか、ふふふ」

 ジェイドははしゃぐカリムに微笑む。無邪気な様子は、好物を与えられて喜ぶ小動物のようで微笑ましい。

「もっといかがですか?」
「いる!!」

 もっと喜ぶカリムが見たくなって、ジェイドは再びカップケーキをカリムの口許に寄せる。カリムは小さな口でカプリと焼き菓子にかじりついた。ジェイドはケーキを咀嚼するカリムを横目に紙型をめくり、自分も一口かじる。

「クリームがないところもうまい!」
「ええ、甘さが控えめでおいしいですね……おや」

 ジェイドはカリムの頬にクリームがついているのを見つけた。

「カリムさん、動かないでくださいね」
「ん?」

 手袋を嵌めているカリムに代わり、クリームを掬い取ってやった。

「ありがとう、ほっぺについてたか?」
「ええ」

 ジェイドは指に付いたクリームを見る。

「ですが、拭くものを持っていませんでした」

 ジェイドはあたりを見回す。ティッシュペーパーはなさそうだ。自前のものは鞄の中だし、洗濯するとはいえ実験着でぬぐうのはもっと気が向かない。探すのも面倒だったので、ジェイドはペロッと自分の指を舐めた。

「あ、舐めた!」

 一連の動きを見ていたカリムはびくっと首をすくめた。泰然自若、いつも大らかなカリムがビックリしているのが珍しくて、ジェイドは楽しくなってくる。

「ああ、すみません。拭くものを持っていなかったのでつい」

 同性の顔に付いたクリームを舐めるなんて、確かにびっくりして仕方がないだろう。

「あ、そっか、手は後で洗えばいいもんな。あはは、よっぽど腹減ってたんだな!」
「僕はそんなに食いしん坊では……」

 ジェイドは天然なカリムに苦笑する。好意がなければ同い年の同性にこんなことをするわけなかろうに。
 好意……好意?

(好意、ですか)

 ジェイドはぱちりと瞬きする。

(ああそうか、やはり友愛ではないと)

 ジェイドははた、と口に手をやり考える。

(まさか、自覚するのがこんなタイミングだなんて)
「ジェイド、どうしたんだ?」

 カリムは心配そうにジェイドを覗き込んできた。悪い魔法にでもかかったように、彼の瞳がいつもより鮮やかに見える。手に持ったカップケーキより、ずっとおいしそうだ。

「いえ……そうですね。とてもおいしかったです」

 打算をしたのは一瞬だった。ジェイドは身を屈め、カリムに顔を寄せる。

「こうやって取り切れていない分を」

 そして、クリームが付いていた場所を舌でぺろりとなぞった。

「……舐め取りたくなるくらいには」

 頬を舐められたカリムが飛び上がった。舌が当たった場所を手で押さえ、何をするのかと目で訴えてくる。ジェイドは満面の笑みをカリムに向けた。

「手を洗ってきます。残りは差し上げますから、カリムさんが食べてください」

 ジェイドはあっけにとられるカリムに微笑んでやると、手を洗うために蛇口へ向かった。

 非常に気分がいい。きっと今日はいいパフォーマンスができそうな気がする。
 ジェイドの予想通り、その日の実験は大変有意義なものとなった。

距離近い子

 距離近い子っているじゃん。クラスに一人くらい、その距離感どうなの? ってくらい、気が付いたら友達にべったりくっついてる子。
 転勤族の父親の都合で色んな学校を渡り歩いてきたオレは、その分色んな学級に籍をおいて、いろんなクラスメイトを見てきた。一年間にクラスメイトになった子の頭数なら、この学園の中でトップクラスだと思う。いいか悪いかは別として。
 さて、行く先々の学校で結構多かったのが、仲いい友達との距離感が近い子。無邪気で甘えん坊で、友達とするっと距離を詰めるのが得意な子。
 オレの周辺だとそうだなあ……あ、ちょうどいた。

♢♢♢

 あの子、カリム君。明るくて大らかで華やかな三大温和ボーイズの一角。
 沢山いる兄弟の長男って聞いたことがあるけど、なんだかちょっと末っ子ぽいよね。まあ、本物の末っ子のオレが言うことじゃないけど。
 カリム君は今、中庭のベンチに座って隣の友達が読んでいる本を覗き込んでる。オレはその様子を、適当な木の影から見ているって思ってね。
 隣にいる子は、ジャミル君じゃないみたいだね? 俯いてるから顔がわかんないな。背が高くて、緑色の頭だから、リーチ兄弟の……
「ジェイド、難しい本を読んでるんだな」
「陸の生物学の本です。少し調べたいことがありまして」
 緑色の頭の持ち主はジェイド君だった。カリム君はジェイド君に肩どころか右腕全部くっつけて、もたれかかるように本を覗き込んでる。まるでジェイド君に甘えてるみたいに。そう。いるの、こういう子。本人は何も思ってないのに、周りが勘ぐってざわざわしちゃうくらい友達と距離が近いの。
 こういう時、くっつかれた方は照れたり嫌がったりするもんだけど、ジェイド君は嫌がらずにカリム君を支えてる。
「何を調べてるんだ?」
「このキノコのことを」
「どれだ?」
 ジェイド君が指さした写真を見るために、カリム君が身を乗り出した。ジェイド君の足に手を置いて手前まで乗り出してる。なんだか小さい子がお父さんの膝に乗ってくるみたいなしぐさだ。ジェイド君もそう思ったみたいで、くすっと笑った。
「ん? ジェイド、なんかいいにおいするな」
 カリム君が何かに気が付いたみたい。
「そうですか? 香水でしょうか」
「オクタヴィネルの奴らは洒落てるよなあ。アズールもなんかつけてたよな」
 カリム君は話しながらジェイド君の方に顔を向けて、匂いをくんくんと嗅いでいる。カリム君って、子犬みたいなところあるよね。大人っぽいジェイド君と並ぶと余計小動物みたい。
「よかったらつけてみますか?」
「ほんとか?」
 ジェイド君は鞄の中から小さな瓶を取り出した。オレでも知ってるブランドのちょっとお高いやつだ。ジェイド君達は小物のこだわりもすごいもんね。でも、香水って持ち歩くもんかなー。マメに付け直してたりするのかな?
 ジェイド君はおもむろに手袋を脱いで、自分の手首に香水を振りかけた。
 ん? ここはフツー、カリム君の手に振りかけるんじゃないの?
「かぶれるといけないので、最初はちょっとずつつけましょうね」
 ジェイド君はカリム君の手首を掴むと、香水をつけた自分の手首をすりすり、とすり合わせた。
 んん? んんんー?? なんかちょっと親密すぎない? オレもしかしてすごいもの見ちゃってる?
「ありがとうジェイド! やっぱりいいにおいだな!」
 いや、今のどう考えてもマーキングじゃん! もしかしてジェイド君って、カリム君のこと好きなの? 近過ぎる距離感も香水のシェアも、わざとやってるってこと?
 ジェイド君てば意外と束縛強い系なんだ。落ち着いて見えるからちょっと意外。好きな子と同じ匂いになるために香水持ち歩くとか執念を感じる。
「うーん、ジェイド・リーチの秘密、見たり……」
 遠回しに独占欲を仄めかされてるのに、カリム君はそんなことに全く気付かないで、ふんふん、と手首の匂いを嗅いでいる。ジェイド君は相変わらずニコニコしながらそんなカリム君を見てる。
「ご希望があれば分けて差し上げますよ」
「んんー、オレはいいかな!」
「おや、よろしいのですか?」
「だってこれ、ジェイドのだろ?」
「僕とお揃いではご不満ですか?」
 ジェイド君は拒否されてしょげた顔をした。それを見たカリム君が少し慌てる。強かなジェイド君がそんなことで落ち込む訳が無いし。あれはたぶん、泣き落とし。
「いいや。これはきっと、ジェイドに一番似合う匂いだなって思ったんだ」
 すっきりしててカッコよくて、でも落ち着くいい匂い! カリム君は思いつくがままに匂いをほめちぎってる。朗らかな声には屈託がなくて、おべっかを言っている雰囲気はない。
(わ~、さすがカリム君。天然で誑し込むなぁ)
 ジェイド君は……いつもの顔でお礼を言ってるね。カリム君の褒め攻撃を気にしているようには見えな……。
 あ、でも……見ちゃった。ジェイド君の耳がちょっとだけ赤くなってるの。
 ……うんうん、色白だとすぐ赤くなっちゃうから損だよね。けーくんわかるよ。
「でも、せっかくいい匂いだから今日はこのままでいるな。ありがとう、ジェイド」
 カリム君はトドメににっこりと笑った。そのあとすぐに、カリム君はジャミル君に呼ばれて行ってしまった。困ったような残念そうな、でも甘い表情のジェイド君を置いて。

♢♢♢

「アオハルだったぁ」
 甘酸っぱい光景に胸焼けしちゃった。
 確かに珍しいものは見つけたけど、これはマジカメのネタ向きじゃないな。可愛い後輩達のゴシップでバスっても後味悪いし。
 これは秘密にしておこっと。

長生きはしてみるものだ

「悩んでいることがあるんだ。この後、少し時間はあるか?」

 軽音楽部の部活の後、リリアはカリムに請われスカラビア寮の彼の自室に招かれていた。
 鏡を通ると赤と金色で彩られた豪奢な部屋に通された。部屋を見回すとひとつだけ緑色が混ざっている。テラリウムだ。丸い鉢の中に、苔と水草が伸びのびと青い葉を広げている。
「綺麗じゃのう、贈り物かの?」
「うん。オレの部屋に何も私物がないから、飾ってくれって。きれいだよな」
 カリムは指の腹でガラス球を愛おし気に撫でた。
 部屋は豪華であるものの、確かにカリム本人の私物らしきものは見当たらない。贈り主はカリムのことをよく見て、大切に想っているのだろう。
「そいつとはよくお茶を飲んだり喋ったりしてるんだけど、その時にくれたんだ」
 しぐさとは裏腹に、カリムの表情は硬い。リリアはすぐにこの水槽が悩みの原因であると分かった。
「迷惑だったのか?」
「そうじゃない、すごく嬉しかった! ただ……」
カリムが口ごもる。
「これを受け取るときに、『それは僕の気持ちです。1週間後にお返事を聞かせてください。応えていただけないなら、そのテラリウムは返していただいて結構です』って言われて……」
「おお、なんと!」
 リリアは色めきだった。心を取り出して捧げるなんて、詩的なことをする。
 テラリウムは丁寧に作られていて、作り手の真心が伝わるようだ。甘酸っぱい青春も学園生活の醍醐味というものだ。リリアはベリー色の目を好奇心に輝かせる。
「やっぱり告白なんだよな、これ」
「そう受け取るのが正解じゃな。して、これを受け取ったのはいつじゃ?」
「ええと、6日前だな!」
「明日ではないか!」
 リリアは大仰にのけぞった。そのまま反動を生かして身を乗り出し、カリムの顔を覗き込む。
「それで、どうするつもりなんじゃ?」
「それがまだ、結論が出てないんだ」
「まあ、カリムの立場なら結論を出すことは難しかろうが」
 リリアは思案する。国や会社、大きな組織の世継ぎには生まれた時から婚約者が決まっていることが多い。カリムはわからないが、家のことが気がかりになっていることは間違いないだろう。
 カリムは賢くはないが聡い、とリリアは評している。自分の立場をわかり、できないことには首を縦に振らない。ということは、すぐに断れないぐらい、カリムはその相手を憎からず思っているということだろう。
「でも、それを返したくないんじゃな?」
 カリムは静かに頷いた。
「それなら、すぐに想いを返してあげたらどうじゃ?」
「そうなんだろうけど」
 カリムは短い眉を真ん中に寄せた。
「本当にそれでいいのかなって、悩んじまって」
「いいんじゃないのか? 若いんじゃからちょっとくらい遊んだって。期間限定の恋も燃えるものかもしれんぞ?」
「うーん、それはそうなのかもしれないけど……オレ、誰かに恋をするのって初めてなんだ。そういう意味で好きになってもらうのも」
 カリムは立場上、公人として見られることが多かった。だから、個人に向ける、向けられる気持ちに慣れていないのだという。
 カリムはたどたどしく言葉を紡ぐ。リリアは静かにカリムを待った。
「オレ、こんなだから相手の気持ちに気づかないで、無碍にしちまうかもしれない。でも、好きって言ってくれたからには、ちゃんと相手にも向き合いたいんだ」
「……カリムはいい子じゃなあ」
 リリアはカリムの頭を撫でる。言葉の端からカリムの人の良さが見て取れたからだ。そして、少しばかりのおびえも。
 リリアは訳知り顔でうんうんと頷いて、話を続けた。
「怖いか?」
「え?」
「愛する誰かが、自分の近くにいるせいで傷つくのが」
 冬期休暇の折、スカラビア寮で謀反が起こったと聞いている。反旗を翻したのは彼の腹心の従者で、アジーム家へ忖度を続けるのが不満だったらしい。
 カリムはふっと俯く。初恋は男を臆病にする、と聞いたことがある。元来の思慮深さが顔を出しているだけかもしれないが、今日のカリムは少し臆病に見えた。
「そうじゃなあ……授業で習ったと思うが、ワシら妖精族は寿命が長い」
 カリムがこくん、と相槌を打つ。
「長いこと沢山の人間を見て、いろんな問題を抱えるのを見てきたが、最後にはどうとでもなってきている」
 なぜだと思う? リリアはカリムに問いかける。
「どうしてだ?」
 カリムは素直に答えを聞いた。
「どうとでもしてきているからじゃ!」
 リリアはカラン、と笑い飛ばした。
「道はいくらでもある。カリムが何とかしようと思うたら、家督を継いだ上で相手と一緒に生きることも不可能じゃない。やりたいようにしてみればいいんじゃないか?」
 リリアはテラリウムに目を向ける。カリムは見落としているだろうが、わずかに瓶底から魔力を感じる。リリアは童顔に笑みを湛え、カリムの手をテラリウムに誘導した。
「それに、贈り主はカリムのことを諦めるつもりはないらしいぞ? その水槽、持ち上げてみるのじゃ」
「こうか?」
 カリムが水槽に手をかけ、持ち上げようとした。水槽は根を張ったように持ち上がらなかった。その上、水槽を置いた机すらその場から動かなくなっている。これでは返すどころか入り口を通せないだろう。
 つまり、最初からノーを聞く気はなかったということだ。
「う、動かない……!!」
 驚くカリムにリリアが吹き出す。贈り主はいい性格をしている。カリムの部屋に文字通り心を植え付け、離れられないようにしてしまったのだから!
「そんな魔法をかけるような奴が、そう簡単に傷つくと思えん」
 戸惑うカリムに、リリアはさらに追い打ちをかけた。
「それに、そんなに思い詰めるくらいそいつのことが好きなんじゃろう? なら、もう答えは出ておるではないか」
 カリムがまぬけな顔をした。
「……ほんとだ。はは……あははは!」
 カリムが笑い出した。二人して大笑いする。リリアは笑いで出た涙を長い袖でぬぐった。ついでにカリムの涙もぬぐってやる。
「ありがとう、リリア! オレ、ちょっと怖かったのかもしれない!」
「なに、初めてのことには戸惑って当然じゃ」
 リリアは人形めいた美貌をほころばせる。きっとこれならもう大丈夫。吹っ切れたカリムの顔を見てほっと胸をなでおろす。
「明日、行ってくる。また報告するな」
「うむ、待っているぞ」

 翌日、カリムは無事に交際の報告をしてきた。
 このやり口はきっと人間ではないなあ、と思っていたが。まさか相手が人魚で、それも同期副寮長だったとは思ってもいなかったので、リリアはさらに驚き、そして笑ったのだった。