「ジェイド、さっきから何読んでんの?」
「恋のおまじないの本です。カリムさんとお近付きになりたくて」
ジェイドが本の表紙を見せてきた。ピンクの表紙に金ピカの文字で「絶対かなう☆恋のおまじない大辞典」と浮かれたタイトルが印刷されている。
「ウケる、似合わな」
「知ってます」
返答してジェイドは読書に戻る。
ジェイドはカリムに道ならぬ片想いをしていた。カリムの優しさと強さに触れ、気が付けば好きになってしまっていたらしい。時折こうして恋に悩み、乙女のような一面を見せるようになった。
「意中の彼をオトす方法ですか……興味深い」
……まあ、ちょっといやな予感もするが、面白いからいいか。
フロイドは兄弟が楽しそうにしていたので放っておくことにした。
「おかえりなさい、アズール」
ジェイドが本から顔を上げ、談話室に戻ってきたアズールに声をかけた。
「留守番ご苦労様です」
「今日のクライアントはどちら様でした?」
「カリムさんです」
ジェイドがおや、と真顔になる。
「呼んでくださればよかったのに」
自分の気持ちを知ってるのに呼ばなかったのかと、ジェイドはアズールを非難した。
「今回はご本人からふたりがいいと指定がありまして。あまり、広めたくなさそうでしたし」
「それは聞いてもいいのですか?」
「ええ、僕ひとりでは解決できなさそうなので。本人にも了解は得ています。ついでに、お前にも話を聞こうと思っていた所です」
アズールは自分の席にどっかり座り込む。
「今日の昼頃、カリムさんに植木鉢が降ってきたのを庇ったでしょう?」
「ええ、あの時は空から突然降ってきまして。慌ててカリムさんを引っ張って……こう、腕の中に抱き留めました、ふふ」
「惚気は要らないんですよ。その時周りにおかしなことは?」
「いえ、特には」
「そうですか」
アズールはふー、と息を吐いた。
「最近、カリムさんの身の回りで不幸な出来事が多発しているらしくて」
「おや、それは心配ですね。例えばどんなことが?」
アズールが手元のメモを読み上げる。
「箒から落ちかける、アンクレットを無くす、部屋の魔除けのアイテムが壊れる、昼食を食べ損ねる、自分だけ課題を聞き損ねてやらずに怒られる……」
「それだけだと判断に困りますね」
ジェイドは顎に指をやった。
「他の生徒に同じような異変が起こっている話は聞きません。カリムさんに対する怨恨の可能性も考えましたが、身に覚えがないらしくて……」
「あのカリムさんですからね」
「もう少し調べてみないといけません。お前も、何か気になる話があれば教えてください」
「分かりました」
「ところで……先程から何を読んでいるんです?」
アズールがジェイドの手元の本を指さした。ジェイドは表紙を見せてにこやかに答える。
「恋のおまじないの本です」
「こいのおまじない……」
幼なじみの口から似合わなすぎる言葉が出てきてアズールの顔が引き攣る。そんなことは気にしないジェイドは、うきうき本を開き直した。
「ささやかですが効果はありまして。おかげで今日はカリムさんと急接近できました」
「試したのか?」
アズールが尋ねるとジェイドは機嫌よく答える。
「ええ、いくつか」
「……ちなみに何を」
ジェイドは本の目次を朗読した。
「ええと……相手と急接近できる、意中の相手をオトす、夢でも逢える、メッセージが来る、キスができる、告白される……あとは」
「待って下さい。いくつかって数じゃないですよね?」
「そうですか? 明らかに眉唾なものは除外して、あとはブロットを起こさない程度にやっているので、数はまちまちですよ」
「……ちなみに全部でいくつだ?」
「17個ほど」
「数個どころじゃないだろそれは!」
アズールが声を荒らげた。ジェイドは訳が分からない、というふうに首を傾げる。
「たくさんやればより効果が得られるかと思ったのですが……」
「だからと言って掛けすぎだ……ジェイド、ちょっと個人面談しましょうか」
アズールは大きく溜息をつくと、ジェイドの前の席に移動した。
「その本、ちょっと見せてもらえますか?」
ジェイドが本を差し出した。人間の女児が好みそうな表紙の本に、楽しそうなタイトルが踊る。アズールは改めて持ち主とのギャップに引いた。
中身を改めるために本を開く。
「……ふむ、魔力を持たない人間用のおまじない本ですか」
本自体からは一切魔力が感じられない。中身も、毛糸を使ったものや紙を使うものなど、子供でもとっつきやすい内容が並んでいる。
「僕からしたら子供騙し、と言ったところですかね。効果があるようには思えませんが」
アズールはパラパラとページを捲った。本当に魔術で恋を叶えたいなら、慈悲の魔女にでも頼んだ方が確実だろう。
「ところがあるのです。例えば……」
ジェイドが本を取り上げてページを動かす。
「夢で逢えるおまじない?」
「枕の下にカリムさんの写真を敷いておまじないをかけて寝たところ、本当にお会いしまして」
「写真? カリムさんの写真など、どこで手に入れたんです?」
「それは内緒です」
アズールは幼なじみを胡乱な目で見た。十中八九隠し撮りだろう。
「ちなみにそれは何日前ですか?」
「6日と4日と、2日前です。一日おきに」
「や、やり過ぎでは……」
「僕は毎日でもお会いしたいくらいです」
ジェイドがうふふ、と恥じらった。アズールは無視して話を進める。一日おきに、か。前回は2日前。
「ん? 2日前、ですか?」
アズールは席を立ってメモを取りに行った。カリムの調書を確認する。眠れなかったのは、ちょうどおまじないの日と重なる。
アズールの脳裏に嫌な予感が走った。
「……ジェイド、お前、さっき何のおまじないを試したと言いました?」
ジェイドがおまじないを復唱する。アズールはジェイドがおまじないを行った日を照らし合わせていく。そして、ひとつの結論に至った。
「……ジェイド、カリムさんの件、解決したかもしれません」
ジェイドは黙ってアズールの言葉を待った。アズールは大きく息を吸い込んで、ジェイドを怒りつけた。
「お前のまじないが原因だ! 人魚が軽率に呪術をかけるんじゃない!!」
「ひどい、僕だって恋する男の子なのに……」
ジェイドがしおしおと泣き真似をするが、身の丈のある者がやってもあまり響かない。
「ちょっとお、部屋の外まで聞こえてんよー?」
アズールがジェイドを怒鳴りつけていると、フロイドが談話室に入ってきた。肩で息をするアズールと、本を片手に固まるジェイドを呆れた目で見てくる。
「あ、その本この前のじゃーん。ラッコちゃんおとせた?」
「なっ、フロイド、この本知ってたんですか?!」
「うん、ちょっと前からジェイドが読んでた。わけわかんねーおまじないするジェイドめっちゃ面白かった。黒魔術みたいで」
「もう、僕は本気ですよフロイド」
「本気の方がタチが悪い!」
アズールがソファに腰を下ろす。フロイドも近寄って、ゴキゲンな書籍を奪い取った。
「この本に載っているのは“魔力を持たない人間”向きのおまじないです。おそらく、力のない彼らが使うと運が良ければ届くぐらいのものでしょう」
アズールはジェイドに向き直った。
「問題はこれを“闇の鏡に認められた魔法士の卵”であるお前が使ったことです。おそらく、お前がこの呪いを使ったことで魔力が乗り、まじないがより強力になったのでしょう」
「ジェイドすげーじゃん。効果アリーって言ってたのマジだったんだね」
「それがいい方向になら、ですがね」
アズールがソファの背もたれにもたれかかった。
「実際は、カリムさんに何らかの災難が降りかかり、それを回避する形で棚ぼた的に効果が現れているようです」
「確かに、カリムさんからメッセージが届いたのも、アンクレットを探すための内容でしたね」
「箒から落ちたのも、落とす呪いの効力でしょう。これだけ作用が違うのが気になりますが」
「ふむ、眉唾ものと思って気軽に試していましたが……なるほど、やはり効果はある、ということですね」
アズールは色めきたつジェイドを止めた。
「いや、もうやらせませんよ?」
「ええっ」
「ええっ、じゃないですよ」
アズールは腕を組む。
「これがカリムさんの家にバレたら、カリムさんを攻撃したと受け取られかねない。カリムさんの身に危険が降りてみろ。賠償どころの騒ぎじゃなくなる」
とりあえずラウンジは無くなるだろう。今までの努力が水の泡になってしまう。
「この件は何としても隠蔽します」
アズールは立ち上がった。
「幸いにもこの呪い、狙った効果は得られるようです。少々過程は物騒ですが……」
アズールが眼鏡を押し上げる。ジェイドの前に紙とペンを差し出し、持つように促す。
「ジェイド、効果の出ていない呪いを全て書き出して下さい」
ジェイドは紙にペンを走らせた。まじないはあと10個ほど残っていた。
「残っているまじないの残高をゼロにします。カリムさんには、原因を追求するために数日間ジェイドと行動を共にして貰う事にします」
「護衛にかこつけて存分に触れ合えということですね」
喜ぶジェイドにアズールは舌打ちをする。
「その通りだこの野郎。性質的に、お前がいればまじないは発動されやすくなるでしょう。ついでにカリムさんを守り、アジーム家に貸しを作ってきなさい。
……そんな胡散臭いまじないがいらないくらい、カリムさんと親密になってくればいい。僕とフロイドは呪いの効力を減らす方法を探してみます」
アズールはそう言うと書架に向かう。
「えー、俺もやんのぉ?」
「ジェイドを止めなかったんだからお前も同罪です。下手すれば学園にも居られなくなるし、熱砂の砂漠に吊るされることになりますよ。
さあお前達、全力で隠蔽しますよ!」
こうして3人は、恋のおまじない(物騒強化版)に立ち向かう事になった。
その後この話は、カリムにやけに張り付くジェイドを訝しんだジャミルが真相を突き止め、乗り込んだラウンジの一部をドッカーンするというオチがつく。おまじないの本はその場で燃やされ、ジェイドはしばらくカリムに接触禁止になった。
そう上手くはいかないものである。