もふもふ編

『オススメ動画があります』
 マジカメにも、オススメユーザーを紹介する機能がある。
 近頃、モストロラウンジの公式アカウントのユーザー紹介欄に、愛猫家のアカウントが表示されるようになった。
「猫、ですか」
 アズールは首を傾げる。このアカウントを管理しているのは副寮長であるジェイドだ。
「あいつ、またおかしなことを企んでいるんじゃないでしょうね」
 アズールは嫌な予感に目を眇める。履歴を残した人魚と愛くるしい子猫のアイコンの関連性がわからなさ過ぎるのだ。
 ジェイドは大変優秀な男で、自分の副官を務めながら広報活動まで手広く行ってくれている。それは大変助かるのだが、近頃恋をしたとか何とかで、様子がおかしいときがあった。
「おかしいでしょう、意中の相手にまじないをけしかけるとか……」
 つい最近など、意中の相手――よりによって末永く利害関係を続けていきたい大富豪の嫡男――の気を引くため、偶然であるにしろ危害を加えるまじないをかけていた。
「あの時は随分ジャミルさんを怒らせました」
 まじないの件がジャミルに露呈した時のことを思い、アズールは首をすくませる。あの時は、ジャミルがマジカルペンを片手に寮へ乗り込んできたのだ。理由は自分の主に危害を加えられたから怒ったのではなく、この機会に自分の面倒ごとの種を燃してしまうためである。
 その姿勢は従者としてどうなのかと思うが、個人としては大変良いと思う。
「徹底した合理主義、面倒ごとはあらかじめ潰しておく。実に効率的じゃないですか」
 ただし、ジャミルが合理主義を貫こうとした結果、ラウンジの一部調度品が物理的に燃え、なぜかアズールの眼鏡が壊れた。理不尽である。
「……主人の制止を聞かないのは、少し考え物ですね……。どちらも、部下の扱いには苦労しますね。今回も、何事もないといいのですが」
 アズールは呟くと、SNSのアプリを閉じた。

 
 
「まあ、何事もないわけがないですよね」
 アズールは言いながら腕を組む。眼前には、縞柄がチャーミングで丸みのある手足が可愛らしい……
「アオン」
虎がいた。
 道行く生徒たちは廊下に突如現れた虎を二度見しながら歩いていく。凶暴な肉食動物を警戒してか、アズールと虎の半径三メートルに人がいなかった。アズールだって望んで虎と向かい合っているわけじゃない。虎が勝手に現れたのだ。
 居心地の悪さに顔をしかめつつ、アズールは虎に話しかける。
「なぜお前が虎になっているんです、ジェイド?」
 驚くべきことに、この虎はアズールの腐れ縁の青年なのである。普段は二足歩行をしていたはずだが、何故か今は虎の姿を取っていた。
 アズールが青年ーージェイドに問いかけると、ジェイドは銜えていた鞄から器用にスケッチブックを取り出す。事前に準備をしていたらしい。
「用意が良いのは結構ですが、芸が細かいな」
 さすがにページはめくれなかったらしい。前足でスケッチブックをおしやってきたので、拾って表紙を開く。
「『授業で変身術を行い、このような姿に』……ほう、確かに教科書通りだと、そろそろその魔法を履修するはずですね」
 本来であれば、元々の身体から別の生き物への変体はご法度とされている。しかし、アズールたちのように脚を得て生活する人魚がいるように、抜け道がないわけではないのだ。
 ユニーク魔法で狼に変身したり、コブラに変身する魔術師の逸話が有難いものとして扱われていたりするので、ご禁制といえども加減が難しいところである。
「しかし、教科書に載っていたのは『猫』に変身する魔法では?」
 アズールが指摘すると、ジェイドはグゥン、と鳴いた。
「……ああ、そうでした。あの魔法、人間以外が使うとたまに猫科の別の生き物になるんでした」
 本来、人間の魔導士が他の生物に変身するために生み出された魔法だ。獣人や人魚、妖精はそれぞれ魔力の波動がちょっとずつ違うので、魔法と相性が合わない時がある。
「その様子だと知らなかったようですね。その時の教室内の様子はさぞ見ものだったでしょう」
 猫だらけの教室の中に同じ猫科とはいえど虎が出現したのだから、周りの生徒はビックリしたに違いない。さらに原型があのリーチ兄弟の片割れとくれば、なんとなく納得したというような、生ぬるい雰囲気になったことだろう。
「言われてみれば、確かに特徴を捉えていますね」
 なにせ元々も、鋭い歯と爪を持つ大型の肉食生物だ。体表も縞柄だし、獰猛な本性もよく似ている。
「お前らしくていいんじゃないんですか? その姿で曲芸でもしたら儲かりそうだ」
「…………」
 何か言いたそうな猫科のウツボ人魚を見下ろしながら、アズールは鼻で笑う。いつも見上げている相手を見下せるのは気分がいいので、多めにやっておきたい。
「ところでお前、最近マジカメのアカウントで猫の動画を見ていたようですが……」
「アズール!」
 アズールが切り出すと、後ろから声がかかった。無遠慮に突撃してきた相手を背中で受け止める。
「アズール、意外と体幹あるな?」
「ええ、体型維持のためにトレーニングをしておりますので」
「やっぱりアズールは頑張り屋さんなんだなあ」
「褒めてもごまかされませんよ全く」
 やれやれ、アズールがため息を着くと、突撃してきた相手――カリムがにやっと笑った。
 のしっ
「うおっ」
 突然、カリムの身体が横に引かれた。見ると、カリムの横に黄色と黒の縞模様が見える。
「んっ、虎か?」
「なあお」
 虎は行儀よく前足を揃え、カリムを見上げていた。目を細め、長い尻尾をゆらゆらと振って機嫌よさげにしている。
「この辺に虎なんかいたっけか?」
 カリムは疑問を口にしながら、虎をじっと見つめる。虎も、動かないでじっとカリムのことを見ていた。
「あ、これジェイドだ」
「ほう、良くお分かりで」
「目がな、左目だけ金色なんだ」
 アズールは虎の目を覗き込んだ。
「本当だ」
 見た目はいわゆる虎だが、特徴的なオッドアイは残ったらしい。左目だけが金色に輝いていた。
「くるるるる……」
 正体を見破られたにも関わらず、ジェイドは上機嫌だ。カリムの手に擦り寄って頭をこすりつけいている。
「よく気が付きましたね。怖くないのですか?」
「うちでも飼ってるからな! 人慣れしてればデカい猫みたいなもんだよ」
 カリムは手慣れた様子で虎の側頭部を撫でる。
(中身はジェイドなのですが……)
 どんなにデカい猫でも、中身はジェイドだ。泣く子も黙るオクタヴィネル副寮長、暴力という概念の擬人化である。
(それを安易に手懐けるカリムさんも相当ですけどね)
 まず猛獣に気軽に触れる時点でどうかしている。規格外同士、案外破れ鍋に綴じ蓋なのかもしれない。
(しかしこいつ、やけに猫の動きが様になっていますね……)
 アズールは腐れ縁の様子を観察する。虎にしては動きが飼い猫じみているというか、正直かわい子ぶっている。
(まさか、あの動画で勉強したのか……?)
 浮かんだ推測に背筋が凍る。授業内容を知った上での計画的犯行、間違いなくクロである。
(これ、普通の猫だったらもっとまずかったのでは……)
 閲覧履歴に表示されていたのは飼い主に可愛く甘える猫の動画ばかりだった。内容についての言及は、アズールの心がもたないので避けさせてもらいたい。各々、お気に入りの甘えた猫ちゃんの様子を想像していただければいいだろう。
 普段他の動物を獣だの魚だのと呼び見下すこの人魚がそれをやるのだ、カリムに可愛がってもらうためだけに。
(手段を選ばな過ぎて逆にいさぎよいですね……)
 苦虫を一度に五百匹噛んだような顔をするアズールをよそに、カリムはしゃがんで虎(中身はジェイド)を撫で続けている。自分を撫でまわす手が心地いいのか、虎はビタンビタンと尻尾を床に叩きつけた。喜んでいるのだろうか、分かりたくもないが。
「うちのも元気かなあ? 会いたくなってきたぜ……おおっ、なんだ? 慰めてくれるのか?」
 寂しそうにカリムが呟くと、ジェイドは身を乗り出してカリムの懐に収まった。床に尻もちをついたカリムが、優しいなあと言いながら虎を抱きしめて、もふもふと毛皮に顔を埋めている。一方虎の方はというと、今僕は愛玩動物なので可愛がってください、といった表情でカリムの腹に伸し掛かっていた。
 本人たちからすれば心温まるワンシーンなのだろう。客観的に見ればカリムが猛獣に襲い掛かられているようにしか見えないのだが。
(しかもこれ、ジェイドは慈悲を笠に着てスキンシップしているだけですしねぇ)
 カリムの寂しさにつけ入るだんて、いったいどこまで邪悪なのか。見ていられなくなってきて、アズールは手元のスケッチブックをまくる。
『この授業は魔法の継続具合で評価を決めるそうです。夕方まで持てば最高評価を貰えます。ラウンジのシフトは休みにしていますのでご心配なく』
 白い画用紙には端正な字でそうつづられている。
(まあ、僕に実害はないからいいか……)
 アズールはパタリとスケッチブックを閉じた。
(ジェイドはカリムさんにお任せして、僕は退散するとしましょう。突っ込むのにも疲れてきたので)
 アズールはそっとジェイドの鞄の上にスケッチブックを戻す。そして黙ってその場を立ち去ろうとしたその瞬間であった。
「カリムーーーーーーーッ!!!」
「いけない、ジャミルさんを忘れていました」
 猛獣に襲われている(ように見える)主人を見つけた従者の絶叫を聞き、アズールは放課後までの平穏を諦めるのだった。