PM20:00

PM20:00

 ジェイドは世話好きの人魚である。
 ある時はフロイドのタイを結んでやり、ある時はアズールの補佐官をこなす。気にかける者の様子をよく見ていて、必要あらば手を貸し、自らが世話した者達がのびのびと生きるのを満足そうに眺めている。
 ジェイドにとって世話係というのは天職だった。

「さっぱりした」
 カリムが鼻歌交じりに風呂場から出てきた。ジェイドは読みかけの本から顔を上げた。
 カリムが風呂に入っている間、ジェイドは丸腰のカリムが敵に襲われないよう、客室の中で待機していた。ジャミルに予め提示されていた仕事だ。学園に入学して以来一度も刺客が現れたことはないらしいが、念には念を、ということらしい。
 ジェイドはカリムの世話をするため、椅子から立ち上がった。
「こちらにどうぞ」
「おう」
 向かい合わせになるよう置いた椅子にカリムを座らせる。ジェイドは掌で化粧水を受け止め、両手で挟んで広げた。
「ここまでしてくれなくて大丈夫だぞ?」
「これもサービスのうちなので」
「アズール達の店はこんなこともしてくれるのか、すごいぜ」
「恐れ入ります」
(まあ、大半は趣味なのですが)
 実のところ、アズールに指示されたのは食事と身支度の教育、あとは必要な護衛の仕事だけだ。それ以外の裁量はジェイドに一任されている。
(せっかく大義名分を頂いているのですから、活用しないと)
 ジェイドはちゃっかりこの機会を活用する気でいた。上機嫌でカリムに向き直る。
「大人しくしていてくださいね」
 ジェイドはカリムの頬を両手で挟んだ。骨ばった大きな手がカリムの顔をすっぽり覆う。
「んー、やっぱり人にやってもらうとくすぐったいな!」
 カリムはおかしそうに身を捩らせる。逃げないように掌を頬に押し付ける。ジェイドは一度手を離し、掌に化粧水を追加した。
「他の方にこうされたことがあるのですか?」
 足で椅子を引き寄せ距離を縮める。近過ぎる距離を咎める者はここにはいない。それをいいことに、足を開いてカリムの足を挟み込むように座り直した。
 むにゅり、もう一度カリムの頬を覆う。
「実家にいるときは毎日。あとはVDCの合宿の時、ヴィルのマネキンになった」
「それはそれは」
「家にいる時は色々塗られてたけど、自分でしたのは初めてだった。大変だったけど、ああいう時だからこその特別感があっていいよな」
 嫡男として容姿を磨かれていたのだろう。知らない手がカリムに触れていることを想像し、心臓に黒いモヤがかかる。
「ちょっと口を閉じていてくださいね」
 ジェイドはカリムに手を伸ばし、顎に掌を宛てがう。口まで覆ったのはわざとだ。指の球に触れる唇の感触を楽しむ。
 カリムは口を塞がれたことで静かになった。代わりにガーネットの瞳がきょろりと動き、ジェイドと視線を合わせてくる。
「どうされましたか?」
 ジェイドは手を下にずらして聞いた。
「ジェイドはこういうの、普段なにかしてるのか?」
「いえ、特には何も」
「そうなんだ。綺麗な肌だな。ヴィルが羨ましがりそうだ」
 人魚は基本的に美肌である。言われるまで全く気にした事も無かったが、特別なケアなどしたことがない。
「ヴィルは綺麗だけど、もっと綺麗になるためにいつも頑張ってるからな!」
 ジェイドの手が止まる。向かい合う人の口から他のオスの褒め言葉が出たことが面白くなかった。
 ジェイドは化粧水を足して、冷たいままのそれをカリムの額に付けた。カリムから小さく悲鳴が上がる。
「冷たっ!」
「これが終わったら髪を乾かします。その後、ターバンを結ぶ練習をしましょう」
 ジェイドは話を逸らした。不自然だろうが構いはしない。何故かと問いただしてきたのなら、むしろ喜んで種明かしをしてあげよう。ジェイドはカリムの首にかかったタオルに手をかけた。
「御髪に触りますね」
 ひと声掛けてカリムの頭をタオルで包む。指の腹で頭皮を揉んでやると、カリムが緩んだ声を上げた。
「きもちいいな、これ」
 カリムが足をゆらゆらと動かす。マッサージがお気に召したようだ。愛嬌ある様子に、同性の同級生に付けるには可愛すぎる形容詞が浮かぶ。
「ふれあいコーナー……」
「なんか言ったか?」
「いえ、なにも。乾かしますよ」
 机の引き出しからドライヤーを取り出す。コンセントを差し込んで電源を入れ、温風を俯くカリムの髪に当てた。つむじがよく見える。つむ、と押してやると、カリムの肩が揺れた。
「イタズラか?」
 カリムが顔を上げた。気安い表情が浮かんでいる。
「ふふ、つい」
 恋人のようなやりとりに気持ちが回復する。
 パールグレーの髪は短いながら柔らかく、乾かせばふわふわになる。なるべくふんわり仕上がるよう注意を払う。
 席を立ち、彼の背後に立った。短い襟足の下に伸びるうなじがよく見える。
「少し顔を上げてください。もう少しですからね」
 ジェイドは声を掛けると、再び温風を当てた。