長生きはしてみるものだ

「悩んでいることがあるんだ。この後、少し時間はあるか?」

 軽音楽部の部活の後、リリアはカリムに請われスカラビア寮の彼の自室に招かれていた。
 鏡を通ると赤と金色で彩られた豪奢な部屋に通された。部屋を見回すとひとつだけ緑色が混ざっている。テラリウムだ。丸い鉢の中に、苔と水草が伸びのびと青い葉を広げている。
「綺麗じゃのう、贈り物かの?」
「うん。オレの部屋に何も私物がないから、飾ってくれって。きれいだよな」
 カリムは指の腹でガラス球を愛おし気に撫でた。
 部屋は豪華であるものの、確かにカリム本人の私物らしきものは見当たらない。贈り主はカリムのことをよく見て、大切に想っているのだろう。
「そいつとはよくお茶を飲んだり喋ったりしてるんだけど、その時にくれたんだ」
 しぐさとは裏腹に、カリムの表情は硬い。リリアはすぐにこの水槽が悩みの原因であると分かった。
「迷惑だったのか?」
「そうじゃない、すごく嬉しかった! ただ……」
カリムが口ごもる。
「これを受け取るときに、『それは僕の気持ちです。1週間後にお返事を聞かせてください。応えていただけないなら、そのテラリウムは返していただいて結構です』って言われて……」
「おお、なんと!」
 リリアは色めきだった。心を取り出して捧げるなんて、詩的なことをする。
 テラリウムは丁寧に作られていて、作り手の真心が伝わるようだ。甘酸っぱい青春も学園生活の醍醐味というものだ。リリアはベリー色の目を好奇心に輝かせる。
「やっぱり告白なんだよな、これ」
「そう受け取るのが正解じゃな。して、これを受け取ったのはいつじゃ?」
「ええと、6日前だな!」
「明日ではないか!」
 リリアは大仰にのけぞった。そのまま反動を生かして身を乗り出し、カリムの顔を覗き込む。
「それで、どうするつもりなんじゃ?」
「それがまだ、結論が出てないんだ」
「まあ、カリムの立場なら結論を出すことは難しかろうが」
 リリアは思案する。国や会社、大きな組織の世継ぎには生まれた時から婚約者が決まっていることが多い。カリムはわからないが、家のことが気がかりになっていることは間違いないだろう。
 カリムは賢くはないが聡い、とリリアは評している。自分の立場をわかり、できないことには首を縦に振らない。ということは、すぐに断れないぐらい、カリムはその相手を憎からず思っているということだろう。
「でも、それを返したくないんじゃな?」
 カリムは静かに頷いた。
「それなら、すぐに想いを返してあげたらどうじゃ?」
「そうなんだろうけど」
 カリムは短い眉を真ん中に寄せた。
「本当にそれでいいのかなって、悩んじまって」
「いいんじゃないのか? 若いんじゃからちょっとくらい遊んだって。期間限定の恋も燃えるものかもしれんぞ?」
「うーん、それはそうなのかもしれないけど……オレ、誰かに恋をするのって初めてなんだ。そういう意味で好きになってもらうのも」
 カリムは立場上、公人として見られることが多かった。だから、個人に向ける、向けられる気持ちに慣れていないのだという。
 カリムはたどたどしく言葉を紡ぐ。リリアは静かにカリムを待った。
「オレ、こんなだから相手の気持ちに気づかないで、無碍にしちまうかもしれない。でも、好きって言ってくれたからには、ちゃんと相手にも向き合いたいんだ」
「……カリムはいい子じゃなあ」
 リリアはカリムの頭を撫でる。言葉の端からカリムの人の良さが見て取れたからだ。そして、少しばかりのおびえも。
 リリアは訳知り顔でうんうんと頷いて、話を続けた。
「怖いか?」
「え?」
「愛する誰かが、自分の近くにいるせいで傷つくのが」
 冬期休暇の折、スカラビア寮で謀反が起こったと聞いている。反旗を翻したのは彼の腹心の従者で、アジーム家へ忖度を続けるのが不満だったらしい。
 カリムはふっと俯く。初恋は男を臆病にする、と聞いたことがある。元来の思慮深さが顔を出しているだけかもしれないが、今日のカリムは少し臆病に見えた。
「そうじゃなあ……授業で習ったと思うが、ワシら妖精族は寿命が長い」
 カリムがこくん、と相槌を打つ。
「長いこと沢山の人間を見て、いろんな問題を抱えるのを見てきたが、最後にはどうとでもなってきている」
 なぜだと思う? リリアはカリムに問いかける。
「どうしてだ?」
 カリムは素直に答えを聞いた。
「どうとでもしてきているからじゃ!」
 リリアはカラン、と笑い飛ばした。
「道はいくらでもある。カリムが何とかしようと思うたら、家督を継いだ上で相手と一緒に生きることも不可能じゃない。やりたいようにしてみればいいんじゃないか?」
 リリアはテラリウムに目を向ける。カリムは見落としているだろうが、わずかに瓶底から魔力を感じる。リリアは童顔に笑みを湛え、カリムの手をテラリウムに誘導した。
「それに、贈り主はカリムのことを諦めるつもりはないらしいぞ? その水槽、持ち上げてみるのじゃ」
「こうか?」
 カリムが水槽に手をかけ、持ち上げようとした。水槽は根を張ったように持ち上がらなかった。その上、水槽を置いた机すらその場から動かなくなっている。これでは返すどころか入り口を通せないだろう。
 つまり、最初からノーを聞く気はなかったということだ。
「う、動かない……!!」
 驚くカリムにリリアが吹き出す。贈り主はいい性格をしている。カリムの部屋に文字通り心を植え付け、離れられないようにしてしまったのだから!
「そんな魔法をかけるような奴が、そう簡単に傷つくと思えん」
 戸惑うカリムに、リリアはさらに追い打ちをかけた。
「それに、そんなに思い詰めるくらいそいつのことが好きなんじゃろう? なら、もう答えは出ておるではないか」
 カリムがまぬけな顔をした。
「……ほんとだ。はは……あははは!」
 カリムが笑い出した。二人して大笑いする。リリアは笑いで出た涙を長い袖でぬぐった。ついでにカリムの涙もぬぐってやる。
「ありがとう、リリア! オレ、ちょっと怖かったのかもしれない!」
「なに、初めてのことには戸惑って当然じゃ」
 リリアは人形めいた美貌をほころばせる。きっとこれならもう大丈夫。吹っ切れたカリムの顔を見てほっと胸をなでおろす。
「明日、行ってくる。また報告するな」
「うむ、待っているぞ」

 翌日、カリムは無事に交際の報告をしてきた。
 このやり口はきっと人間ではないなあ、と思っていたが。まさか相手が人魚で、それも同期副寮長だったとは思ってもいなかったので、リリアはさらに驚き、そして笑ったのだった。