ジェイドが廊下を歩いていると、曲がり角の奥から聞きなれた声が聞こえた。
(おや、奇遇ですね)
ジェイドは若干浮き足立って角の先を覗き込む。恋人のカリムが、難しい顔をしてこちらに向かってきていた。
(驚かせてみましょうか)
ジェイドは気配を消して壁にもたれ掛かり、カリムを待ち伏せする。
「うお!」
数秒後、俯き気味に歩いていたカリムは、突然現れた人間に驚いて後ずさった。
「悪い! 前見てなかった!」
「前を向いて歩かないと危ないですよ」
「ジェイド!」
ジェイドが声を掛けると、カリムは顔を輝かせた。
「なにかお悩みですか?」
「うん、実は……」
事の発端はマスターシェフの講義を受講する友人の話だという。
カリムはその立場上、生活能力を外付けにしている。身の回りの事は全部従者が行い、手を出そうものならひれ伏され静止がかかる。
『やらせてあげることが自分にできること』
家のものに何度も断られ、カリムが学習したのはそんな在り方だった。
しかし、ここは全寮制の学び舎。実家を離れた同年代の子供達が自活している様子を見ると、自分もなにかしたいという欲が出てくる。
『次の授業は肉料理らしい。レシピを覚えて、おや……リリア先輩に食べさせてやりたい』
少しはにかんでそう言ったシルバーが羨ましくなり、料理をしてみたくなったのだそうだ。
「オレも料理、やってみたいんだけどなぁ」
しかし、カリムは絶望的に火や刃物と相性が合わない。ウィンターホリデーの際も、簡単な調理以外は遠慮していたのを思い出す。
「ふむ、作りたい料理はありますか?」
「んん〜、派手な宴の料理を作れればいいんだけど……最初は簡単なのがいいな」
「良い判断です。ラウンジでも、厨房係は簡単なものから覚えさせますから」
ジェイドは考えた。こちらの想像を超える突飛な行動を起こす陸の恋人。一緒に料理をしたら、きっと楽しい気がする。それにカリムが喜ぶのなら、そのささやかな願いを叶えてやりたいと思う。
「火と刃物を使わなければいいのでしょう?」
「うん、混ぜるとかちぎるとかなら大丈夫」
「少々お待ちくださいね」
ジェイドはにこやかに頷くと、スマートフォンを取り出した。調べると、自寮の厨房がちょうど空いている。
「新作メニューとして出すデザートの試作がしたくて。ひとりでやるのは大変なので、誰かに手伝いを頼もうと思っていたんです」
「オレにもできるのか?」
「ええ、混ぜるだけなので」
「何作るんだ?」
「来てからのお楽しみです」
ジェイドはそう言うと、カリムの手を引いた。
「アイスって手作り出来るんだな」
そう言って、カリムはボウルの中のロックアイスに塩を振りかけた。その隣で、ジェイドがミントシロップを計りながらカリムに微笑みかける。
「ミント味のアイスも美味そうだな!」
「ええ、少し食紅を入れて見た目を華やかにしようかと」
「ケイトがよく言ってる”映え”ってやつだな?」
カリムは部活の先輩の言葉をなぞった。爽やかな見た目の新メニュー、彼なら大喜びで駆けつけてきそうだ。
「そういうことです。さぁ、カリムさん、そちらを混ぜ始めてください」
「分かった!」
カリムは傍らの小さいボウルを手に取った。牛乳と砂糖と卵が入ったそれを氷の上に置き、泡立て器で中身を混ぜる。
「こういうのも料理なんだな、楽しいなぁ」
「楽しんでもらえて何よりです」
ジェイドは返事をしながら、氷の入ったボウルを引き寄せる。自分のものは鮮やかな翠色をしていた。海のような色のアイスクリームは、夏に見合いの品になるだろう。
「オレはやったことないことが沢山あるから、なんでも初めてで、なんでも楽しい……手が冷たいな。指が凍っちまいそうだ」
金属製のボウルは氷の温度を伝えやすいため、ボウルを掴む指にも冷気が伝わり、かなり冷える。カリムは指を擦り合わせた。
「作るのって大変だ」
みんなすごいなぁ。カリムは感心して言った。
「あ、ジェイド! 凍ってきた! ボウルに張り付いてる!」
「本当にいつもお元気ですねぇ」
飛び跳ねるカリムの手元を覗き込むと、混ぜ物が縁から凍ってきていた。
「ここから一気に凍りますから、混ぜ続けてくださいね」
「おう……わ、重くなってきた!」
はしゃぐ恋人が可愛くて、ジェイドは吊りがちの目を優しく細めた。
出来上がったアイスは上々の出来だった。ボウルに入った白と翠の氷菓は、並べただけでも目に鮮やかだ。
カリムはアイスを眺めてほう、と息を漏らす。
「綺麗な色だな」
「熱砂の国で好まれそうな色合いですね」
「それもそうだけど、ジェイドみたいな色だなぁって」
「それなら、バニラの方はカリムさんですね」
「……お、ほんとだ!」
指摘してやると、カリムはカーディガンを摘んではにかんだ。
「せっかくなのでそれっぽくしてみましょうか」
ジェイドはミントアイスを少し大きめに取ると、デザートカップに盛り付けた。その傍らにバニラアイスを盛り、飾りにミントの葉とウエハースを添えて全体のバランスを見る。ふたつ作って、ひとつをカリムにあげた。
「悪くないですね」
ジェイドはアイスクリームにスマートフォンを翳す。写真を撮り、一言添えてアズールに送付した。あとはアズールとフロイドと3人で試食をして味の調整をする必要がある。
「残りは頂いてもいいですか?」
ジェイドが顔を上げると、カリムは真顔でアイスと向き合っていた。
「カリムさん?」
ジェイドはカリムの手元を覗き込む。カリムは真剣な面持ちで、バニラアイスにスプーンの先で点を描いていた。
「お絵かきですか?」
「もう、ちょっと……」
後ろのミントアイスにはつり上がった線がふたつ、真ん中から両脇に伸びている。しばらく考えて、それが自分の顔だと気づいた。
(面白いことを考える)
ジェイドは調理台を離れると、フロイドがお菓子を入れている棚に近寄る。
「こんなものもありますよ」
ジェイドが差し出したのはおはじき型のチョコレートだった。それを目になるように添えてやると、同じくらい丸いカリムの瞳が、すごいぜ! と訴えかけてきた。
「溶けないうちに食べましょうか」
「うん! 楽しみだなぁ」
カリムは丸椅子に座ると、カリムは元気よく挨拶する。そして
ザクッ
と、自分の顔に見立てたアイスに勢いよくスプーンを突き立てた。
「んっ……!」
丸いラインが崩れ、左目部分ががっつり抉り取られる。ジェイドは驚きのあまりくぐもった声を出した。攻撃された訳でもないのに、左目が引き攣る感じがする。
(自分の顔なのに容赦なしですか)
ジェイドは口の中を噛んで必死に笑いを堪える。カリムの容赦ないスプーン捌きはジェイドの笑いのツボを大いに刺激した。
(これだからカリムさんはやめられない)
デコレーションしたアイスをあんなに嬉しそうに見ていたのに、食べるのが勿体ないのひと言もなかった。可愛げなんてひとつもないのに、カリムらしくて笑えてくる。その天然なところが面白い。
「おっ、うまい! ジェイド、アイス溶けちゃうぞ? 美味いから早く食ってみろよ」
「ああ、お気になさらず……ふふっ」
「楽しいことがあったのか?」
「ええ、貴方と一緒にいると楽しいです」
カリムはきょとん、と目を丸くした。
「オレもジェイドと一緒にいるの、楽しいぞ!」
カリムはにぱぁと笑うと、ふたくち目に取り掛かった。そして勢いよく右目を抉り取り、笑いを耐えきれなかったジェイドを噴き出させた。
「ということがありました」
ほくほく顔のジェイドから一連の流れを聞かされたアズールはげんなりとアイスを見やる。
「これを見る度にお前の惚気を思い出してしまうでしょうね」
試食の為に差し出された元から甘いそれが、さらに甘くなった気がする。
「いっそさぁ、ウツボとラッコの形に抜いちゃう?」
「絶対やらないからな」
その夏、アイスクリームはなかなかの売上げを出したが、アズールは微妙な顔をしていたという。