良い週末を

 なんの変哲もない週末の夜。
 休みの予定が珍しく重なったジェイドとフロイドは、自室にて夜の時間を過ごしていた。ジェイドは机で新しいテラリウムの構想を練り、フロイドはエースから借りてきた雑誌を読み耽っている。
「そういえば、地上でも涙が凍ることは滅多にないんだそうですよ」
 フロイドが雑誌から顔を上げると、少し離れた所で片割れが笑顔を向けていた。
「……なに、喧嘩売ってる?」
「いえ、この前のフロイドが懐かしい話をしていたものですから、印象に残っていて」
 胡乱な眼差しを向けるフロイドに、なおもジェイドは続けた。
「『冬の夜に海面に出ると涙が凍り、目が見えなくなる』……古い言い伝えですよね」
 問うてくるジェイドに、フロイドは適当な返事をして返した。
「あれ、チビが冬の海上に出ると流れに呑まれると帰って来らんなくなるから、行くなよって事でしょ?」
「ええ、実際は涙が凍ることなんてそうそうないらしいです」
「アズール、それ初めて聞いた時超ビビってたよね」
「ええ、素直に信じてましたね」
 2人して思い出してくつくつ笑う。からかってやるネタがひとつ増えた。
「それで?」
 ジェイドが再び尋ねた。
「どうしてカリムさんに、涙が凍ると言ったのですか?」
「んー、さあね」
 フロイドはそう言ってはぐらかすが、ジェイドは笑みを浮かべたまま微動だにしない。これは納得する答えが出るまで動かないやつだ。フロイドは仕方なく脳みそを動かして記憶を掘り起こす。
「あの時、ラッコちゃん凍えてた」
 あの時カリムは、かけがえのない存在に裏切られ、拒絶され、遠くへ打ち飛ばされた。冷たい孤独と悲しみが臓腑の中に溢れて、抑えつけて押さえつけて、止められない分が目から溢れた。あの時のカリムは気温の低さも相まって、放っておいたら凍え死んでしまいそうだった。
「ラッコちゃんが泣いてるの見たら、なんか本当に涙凍りそうって思って」
 見ていられなくて思わず口にした言葉は、思いがけず叙情的なものとなった。
「あの時のカリムさんはなんだか、儚かった。今にも壊れそうでしたね」
「あーゆーの、やだ。あんな風に泣いてるラッコちゃん、見たくねーし」
「おやおや」
 雑誌を放り投げて枕に顔を埋めるフロイドに、ジェイドは笑みを深める。この子が誰かに情を寄せるなんて。
「珍しいじゃありませんか。フロイドがそんな風に言うなんて」
「だって、ラッコちゃん、強いのに弱いからほっとけないし、目ェ離したら流されそーだし、イライラすんのにふわふわで、心臓ぎゅーってされて……」
「ふふ、それはそれは」
「もー、そろそろいいでしょー?」
 フロイドがジェイドを睨みつける。皮膚の色をした耳が赤くなっていて、照れている事がわかる。ぶきっちょな様子が微笑ましくて観察していると、んああ、とフロイドが唸った。そして突然ベッドから立ち上がると、部屋着をポイポイと脱ぎ始めた。
「お出かけですか?」
「ラッコちゃんの話したせいで顔見たくなっちゃった。お詫びに構ってもらうー」
 めっちゃいい案、どーせ明日は休みだしぃ。
 ジェイドが時計を見やると、時刻は既に19時を回っていた。これからスカラビア寮に遊びに行くのだろうか。戸惑うジェイドをよそにフロイドは鼻歌交じりに着替えを進める。
「ラッコちゃんと遊んでそのまま泊まってくるからアズールに言っといてー」
 案の定泊まりに行くつもりだったらしい。着替えを済ませたフロイドは鞄に手早く着替えと歯ブラシを詰め込んでいく。
「わかりました。面白そうなので僕も同行しても?」
「今日はダメー。じゃーね」
 ジェイドのお願いをあっさり断ると、ご機嫌な片割れは部屋を出ていってしまった。
 パタンと閉まった扉に向かい、ジェイドは呟く。
「良い週末を、フロイド」
 きっと今週はいい週末になるだろう。フロイドの幸せを祈りつつ、ジェイドはアズールと、ついでに麗しのラッコの君に一報を入れるべく腰を上げた。
 せっかくフロイドがいないことだし、今夜はのんびりキノコを愛でることにしよう。