ゼラニウムの幸福

〇カリムの家事情をだいぶ捏造(モブ弟が毒を盛られています)
〇前半はアズールとの会話がメイン

 オクタヴィネル寮で行われているリーチ兄弟の誕生日パーティは盛況を極めていた。
いくら学内で賢いと名高いとはいえ、寮生は若者達。静かな海の寮は、このような祝祭の日には賑やかな声が溢れる。もちろん、参加費もしっかり徴収している。その分のサービスは提供しているが。
 主賓の二匹といえば、客をそっちのけでケーキをつついている。マイペースな兄弟である。
「匂わせ、ですか」
 この寮の主、アズールは壁際の長椅子で主役を眺める同期寮生に話しかけた。
「アズール、今日はお招きありがとう」
「カリムさんこそ、お越しくださりありがとうございます。……ところでそれ、ジェイドのでしょう?」
「なんで分かったんだ?」
「いつもより襟が大きい。カーディガンで誤魔化していますが、肩も落ちています」
 大らかなカリムにも分かるように、ひとつひとつ指摘していく。
「貴方にワイシャツを貸せるのはフロイドかジェイドぐらいです。襟にノリがきいているようなので、ジェイドのものかと」
「アズールはすごいな、探偵みたいだ」
「初歩的なことです」
 アズールはカリムの隣に座った。近くにいると、フロイドの整髪剤の匂いもする。とんでもない仄めかし方だ。
 アジームの跡継ぎともあろう者が、ウツボの好き勝手にされているとは。従者が見たら卒倒しそうだ。
「お忙しい所、来て下さってありがとうございます。フロイドもジェイドも喜ぶでしょう」
 カリムはおう、と答えた。楽しそうにニコニコと笑っている。
 アズールは本題に踏み込んだ。
「ご実家にお帰りになられていたのでしょう? 長旅お疲れ様でした」
「うん、少しな」
 カリムは言葉を濁す。アズールはさらに続けた。
「あの2人を置いていくなんて、貴方にしか出来ませんよ」
「ごめんな、心配かけたよな」
 素直な謝罪にアズールは居心地が悪くなる。
 さらに嫌味を言ってあげようかと思ったが、この少年の前では、なんだか幅かられた。
「何か、余程のことがあったとお見受けしますが……どうなされたので?」
「……宴の席では、楽しい話がしたいな」
 アズールは驚いた。いつも、騒がしいぐらい賑やかなカリムが、随分大人びた表情をしている。
 そんな言い回しができたのか、失礼な本音を飲み込んで口を動かす。
「貴方がそんな顔している方が興ざめするというものです。双子達は鋭いですから気が変わってどこかに行かれてしまっては敵わない。今、ここで落としていったほうがお互いの為だ」
 アズールはつらつらと言い訳を並べた。
「優しいな、アズールは」
 カリムが伏せていた目をあげた。口角を上げ、談笑しているような顔をする。ああ、慣れているな。アズールは頭のどこかで思った。
「兄弟が毒にやられた」
 カリムがポツリと言葉を落とす。
「昨日の昼、泡を食って倒れたらしい」
 アズールは引き攣る喉を誤魔化す。
「医者は」
「主犯の夫人とグルだった。家の主治医は、とーちゃんについて出張中でな。で、オレが毒を見てやって、薬はジャミルが」
 カリムはなんてことないように話す。
「そいつは昨日、誕生日だったんだ。薬を飲ませて、夜はずっと傍にいてやった」
 賢い子なんだ、オレよりずっと。カリムは静かに言葉を紡ぐ。
「昼前に容態が落ち着いたから使用人に任せて帰ってきた。……ずっと起きてたから寝不足でさぁ、薬学室のビーカー3個も割っちまって、その上薬草の分量間違えてクルーウェル先生に大目玉だ!」
 カリムはいつも通り、大袈裟に嘆いた。
「それは、ご苦労様でした」
「興ざめしたか?」
 アズールは大きくため息をつく。
「いえ、こちらこそ不躾でした。珍しくお疲れのようでしたから」
「心配してくれたんだよな、ありがとう」
 カリムはあくまで肯定的だ。辛いことを言わせた相手を責めもしない。
(カリムさんの実家は、商家として名高い名家だ)
 溺れる程の富と名声を与えられる代わりに、暗殺も毒殺も日常に溶け込んで、家の者の首を狙い続けている。特に、当主と後継などは、格好の獲物だろう。
(僕でもそうするだろう。当主に取り入るチャンスは逃がさない。僕ならもっと上手にやるけれど)
 アズールは黙り込み、カリムを見つめる。
(いつもなら、弱みを見せた相手に取り入る算段をするはずだ)
 なのに、気が乗らないのは何故だ。モヤモヤして、息苦しくなる。
「……ジェイド達に、さっき部屋を見せてもらったんだ」
 カリムはそっとソファの背もたれに身を投げる。
「びっくりした。親御さんからのプレゼントが沢山。宝物箱みたいだった!」
 カリムは夢見るように続ける。
「人魚も、やっぱり誕生日は特別なんだな。ジェイドとフロイドは、沢山親御さんに愛されてるんだって分かった」
「……アレの家も商売をしていますからね。配下のものも含め、毎年プレゼント攻撃をしてきます」
「そうなんだな!」
 カリムはころころと笑った。顔を上げ、恋人達の方を見る。
 フロイドがジェイドのケーキの苺を奪った。したり顔のフロイドを、ジェイドがぽかんと見る。
ぱくん、苺がフロイドの口に収まった。
 双子は顔を見合わせる。そして、同じタイミングで吹き出して笑った。
「一日大変だったけど、オレ、今日ここに来れてよかった。ふたりが幸せでいてくれて嬉しいよ」
 アズールが隣を見ると、カリムは心底幸せそうな顔をしていた。
「……カリムさんは」
 アズールの声に反応して、カリムが顔を上げる。
「プレゼントを貰ったことは?」
「うん? もちろんあるぜ!」
 カリムがスマートフォンを取り出し、画像フォルダを開く。個別フォルダに隔離された、読み古した本の写真。有名な子供向けの冒険小説だ。
「ジャミルがくれたんだ」
 カリムはそっと画面をなぞる。
「大事すぎて寮の部屋に置いてあるんだ。ジャミルにはいい加減捨てろって言われてる」
 カリムはからりと笑う。
「そんな本より、もっと沢山頂いたでしょう?」
「うーん、貰ってはいるけど、なかなかこっちまでは来ないな」
「……もう、やめましょう。僕が悪かったです」
 アズールは自らの中折帽を、カリムの頭へ乱暴に被せた。
「うおっ」
「5秒で他の画像に切りかえて下さい。早くして」
 こちらの様子に気づいた双子が、2人してアズールを睨みつけている。
「まあ、随分のんびりしていましたね?」
 カリムは帽子を被ったまま、画像をさっと切り替えた。やはり慣れている。
「そんな顔していてご覧なさい、ウツボ達に海へ引き摺り込まれてしまう」
 アズールは言いながら、頭から帽子を回収した。
「ねえ?」
 顔を上げたカリムに微笑みかけてやると、カリムはぽーっとアズールを見つめ返してきた。
「ふんっ」
 その時、スパン、とカリムとの間に何かが通った。
「それ、お前がやるんですか、ジェイド?」
「僕も浮かれているようで。つい的を外してしまいました」
 ケーキの皿を持ったジェイドが、真顔で手刀を繰り出していた。その横で、フロイドが瞳孔を開いて立っている。
「オレさ、まだ今日タコ食べてないんだけど」
「あちらに沢山ありましたよ?」
「ケンカ売ってんだよタコちゃんよォ?」
 フロイドの手が、アズールの脇に通る。そのまま横に投げると、いそいそとカリムの隣に腰を下ろした。ジェイドもそれに倣い、カリムの逆隣に座る。
「何見てたの? オレにもみせて」
「ん? これのことか?」
 翳したスマートフォンには幼い少年達の写真が映っていた。
「可愛いだろ? オレの弟達だ」
「ああ、やはり可愛らしい!」
「アズールうさんくさ。あと、今日はオレの方が可愛いです」
 フロイドは不機嫌そうな顔をして、カリムに凭れ掛かる。カリムはよろめいて、ジェイドに寄りかかった。
「可哀想、フロイドはカリムさんに放っておかれてしくしくしているんです」
「……しく、しく……」
「アズールしずかに」
 茶々を入れると激が飛ぶ。アズールは肩を竦め、拗ね散らかした幼馴染み達を見守ることにする。
「まあそれはさておき。カリムさん、このケーキとても美味しいですよ。一口いかがですか?」
 ジェイドがケーキをカリムの口まで運ぶ。クリームをちょん、と唇に触らせて、カリムの返答を待っている。
 あわよくば口に運ぶつもりだ。アズールは少し遠い目をする。
「ごめんな、ジャミルと約束だから」
「おや、残念です」
 カリムは謝ると、ジェイドの手を取ってフロイドの口元に持っていった。フロイドは不貞腐れたまま、ケーキをもしゃもしゃと咀嚼した。
「甘い。他の雄の話ムリ。オレ、タコがいい」
「取ってこようか?」
「ラッコちゃんのばかぁ」
 フロイドはそのままカリムに体重をかけた。
「フロイド、潰れる!」
「ふふ、カリムさんてば今日は大胆ですね」
「ラッコちゃん、写真見せてくれないと次は絞めるよー」
「あだだだだだ!」
 このままでは本気で圧死させそうだ。
 アズールは慈悲の心で助け舟を出してあげた。
「やめなさいお前たち。カリムさんとはプレゼントの話をしていただけです」
 カリムは、ハッとした顔でアズールを見る。
 ウツボの頭にピコン、と星が煌めいた。
「プレゼント? まだなにかくれるの?」
「欲しいものがあるのか?」
「あるよぉ、当ててみて」
「んん、なんだろ……」
「残念、時間切れ。ね、それよりラッコちゃんはぁ、お返しのプレゼント何が欲しい?」
 フロイドがカリムの頭にすり、と甘える。
「気が早いですよフロイド。カリムさんのお誕生日はまだ半年先です」
 ジェイドがカリムの手を取り、自分の頬へ持っていく。そして甘い色の手に頬ずりをした。
「うーん、何がいいかな」
 カリムはその様子を全く介さず考える。生徒の畏怖の対象、泣く子も黙るウツボの兄弟にじゃれつかれてもビクともしない。
「2人が幸せでいてくれれば、それでいいな」
「でーたイイコチャン」
「カリムさん、僕達は貴方に喜んでもらいたいんです。ちゃんと答えてください」
 ジェイドがすん、としょげた顔をする。フロイドはカリムの頬をつんつんとつついた。
「ラッコちゃんがジェイド泣かした」
「うう、しくしく……」
「お、おまえたち……」
 幼馴染み達のあまりの甘えたっぷりにアズールは震えた。
 さっきとは別の意味で見ていられなくて、アズールは席を立つ。
「特別です、タコを持ってきます」
「えっ、共食い?」
「アズールにそんな趣味が……」
「明日、覚えておけよ」
 アズールは双子を睨めつけると、料理の卓の方へ向かった。
「あーあ、ぶりっ子飽きた」
 フロイドが身体を起こす。ついでにカリムの身体も抱き起こした。ジェイドは相変わらずカリムの手のひらを好きにしている。
「ラッコちゃん、さっきの楽器演奏して」
「いいけど……どっちをやればいいんだ?」
「どっちも」
「そうか、どっちもか!」
 フロイドが翠色のダラブッカを持ち出す。ジェイドは薄紫色の包みを開け、弦楽器を取り出した。平たい胴がエメラルドのように艷めく。
「本当に僕らの色をしていますね」
「ちょうど見つけたんだ。貸してくれ」
 カリムが弦を弾く。どこか郷愁的な音色。
「弾いてみるか?」
「僕は見ています」
 ジェイドはニコニコと微笑んだ。
「よし、いくぞ」
カリムはジャ、と弦を掠めた。驚いた寮生が振り向くが、カリムは構わず演奏を続ける。
軽快なリズムに合わせ、フロイドはフロアに飛び出した。
「あは、いーねぇ!」
 2本の尾びれをタカタカ鳴らし、テンポに乗る。慣れてくるとわざとテンポをズラして、カリムを挑発する。するとカリムはそれに合わせ、演奏を緩やかにした。そして突然また主導権を奪い返す。
「これはまた、随分賑やかになりましたね」
 アズールが場に戻ると談話室はダンスフロアになっていた。ジェイドの向かいに腰掛け、カルパッチョの皿を寄越してやる。
 寮生達はめいめい身体を揺らしたり、手拍子や野次を飛ばしている。
「ええ、とても。こんなに賑やかになるとは思ってもいませんでした」
 ジェイドは幸せそうに目を細めた。視線の先には、最愛の兄弟と恋人の姿がある。
「とても楽しいです」
「……それはなにより」
 アズールは息をつく。
 口元に浮かんだ微笑みを茶化す者は、誰もいなかった。