スプリングキャンプの捏造(制度だけ)を含みます
ご注意ください
春。万物が目覚め、命芽吹く季節。
この捻れた世界にも四季は存在する。自転軸が捻れ、もとい傾いているから。秋は広葉樹が色づくし、冬は広大な学園の敷地が雪に埋もれる。夏は暑いから購買でアイスがよく売れる。
そんなわけで、ナイトレイブンカレッジに、春が来た。
「じゃーん!」
春爛漫で意気揚々、パルクールシーズン解禁でウキウキのウツボ人魚、フロイドが一枚の紙を悪友と兄弟に掲げて見せる。
「オレ、キャンプ行ってくる!」
「……ふむ、バルガスキャンプですか。確か、一部の生徒を集めてバルガス先生が山でキャンプを行う催しですね」
紙面から先に顔を上げたのは、雪が解けて客足も戻り、こちらもウキウキのアズールである。この前行った春爛漫フェアも効いた。東の国の緑茶と花をかたどった菓子が、ふんわりあったかい春の雰囲気にベストマッチしたのだ。
「いいんじゃないですか? その日はシフトも被ってないでしょう」
「アズールは行かねえの?」
「僕はお呼びがかかっていないので」
実はその日、アズールは前々から壺の日をしようと計画していた。壺の日。壺に入って読書したりのんびりするだけの日なのだが、日々寮長や店長として頑張るアズールにとっていい息抜きになっている。
(キャンプみたいなものですよね、まあ)
人間は、火を見つめると心が落ち着くと聞く。アズールは火を見つめても何も思わない。しかし、静かに水の音を聴きながら水面の波模様を見つめる時、同じ効果を得ている気がする。
「で、なぜお前は先程からひと言も喋っていないんです、ジェイド?」
山シーズン解禁で一番ウキウキしている筈の男が、さっきから黙りこくったままなのだ。
「ジェイド、お誘い来なかったんだって」
「えっ、ジェイドがですか?」
アズールは驚いてジェイドを見た。ジェイドは俯いたまま手イタズラをしている……いじけている、大の男が。アズールはちょっと引いた。
「うん、なんかさっきなんでか聞きに行ったんだけど、
『ああ、なんだ? リーチも来たかったのか? 俺の授業中、辛そうにしているから誘わない方がいいかと思ったんだ……今年度は定員が埋まってしまったんだ、来年は声をかけるから、な?』
……って言われたってぇ」
「お、大人の配慮ですね……」
意外と理由が真っ当だった。バルガス先生、暑苦しくてナルシストだけど良い奴なのである。
アズールは沈んでいるジェイドの肩に手を置いた。
「定員が埋まっているなら仕方ありませんよ。また来年に行けばいい」
「ううっ、あの辺りには珍しい特性を持つキノコがあって、今年は絶対に行きたかったんです……」
「「行かせなくてよかった」」
狙いはそっちだったか。頭を抱えたキノコ狂いを、残りのふたりが白い目で睨む。
ジェイドはぐりん、と顔を上げる。
「しかし、このままでは終わりません」
「いや、終わろ? ジェイド商店閉店しよ?」
「ほら、取り立てのお仕事あげますから……」
「そんなもので僕のキノコ愛は誤魔化されません」
フロイドやアズールが宥め透かすも、ジェイドは突っぱねる。
「いくらでもやりようはあるのです、いくらでも。何がなんでもあのキノコを手に入れてみせます。ついでにその辺のキノコも全制覇します」
「やだ~スイッチ入っちゃってる~」
「これはいけない、止めないと行けません」
なにを隠そうこの男、前に大掛かりな登山を寮の仕事でポシャられた際、腹いせに近くの山からこれでもかと言うほどキノコを採ってきたのだ。そのせいで、ラウンジでは一日限定キノコフェアが行われた。おいパイ食わねぇか、キノコクリームの。必死の形相のスタッフに頼んでもいない料理を押し売りされた客はちょっと引いてた。
あの時はアズールやフロイドも消費に巻き込まれたのだ。二度と同じ目には逢いたくない。
「くっ、背に腹はかえていられません」
「おっ、なんかする?」
「カリムさんを召喚します」
アズールは手早くスマートフォンを操作し、目当ての相手に電話をかけた。
『おーう、どした?』
フランクな第一声を発せられたこのお方こそ、抑止力もといジェイドの彼氏のカリム・アルアジームだ。ちなみに彼は熱砂に轟く大富豪、アジーム家の嫡男という、ウキウキな肩書きを持っている。ウキウキするのは主にアズールだが。
「カリムさん、貴方の恋人がキノコに浮気しそうです」
『え? オレ、キノコに負けちゃうのか……?』
「キノコに負けちゃうってなんかひわーい」
「やかましいぞフロイド。セクハラはやめろ……っと、ちょっとこちらも困ったことになりまして。頼りにできるのはカリムさんだけなんです。ちょっとジェイドを止めてくださいませんか?」
『アズールに頼りにされた……いいぜっ! 何をすればいい?』
カリムはアズールに頼られて嬉しかったらしく、二つ返事でもオーケーした。きっと利用されてるなんて思ってもいない。
「ジェイドと少し話していただければ……ラウンジでキノコテロを計画しておりまして、再犯なんです。ちょっとこれ以上の対応は厳しいので、なんとか出来ないかなと思いまして……」
『て、テロ? それはダメだな……うーん、ラウンジでキノコテロ、を止めればいいんだな? ちょっと代わってくれるか?』
「はい、お願いします。少々お待ちを……ほら、ジェイド。お前の可愛い恋人様から電話ですよ」
「おや、ふふふ」
真っ黒な顔で邪悪な企てをしていたジェイドが一気に正気に戻る。ジェイドはアズールの端末をスっと奪うと、丁寧に端末を耳に近付けた。
「はい、変わりました。……ふふ、今日はお会い出来なくて寂しかったです。本当は毎日お会いしたいくらいなのに。いっそ貴方と僕の部屋に鏡を置いて、直通できるようにしてしまいましょうか」
「オレの部屋、ラッコちゃんの部屋と繋がっちゃうの?」
「シッ、必要な犠牲です」
アズールが驚くフロイドを制止する。
「ええ? キノコテロ? はい……宴はみんなで楽しくやるものだから、困らせてはいけないと? ダメでしょうか……僕、キャンプにハブられてしまいましたし、カリムさんにも会えなくて寂しくて……しくしく……」
「めっちゃ責任転嫁。ねえこれラッコちゃん丸め込まれるパターンじゃね?」
「シッ、これも必要な犠牲です」
「これ後からオレらもウミヘビくんの犠牲になるやつー」
ぼやくフロイドの脳裏に炎がチラつく。あの従者、キレるとカリムを引き連れて襲撃してくるのだ。いつでもデュオ魔法を撃てる状態にして。
「キャンプに行きたかったか? そうですね……山愛の活動で野営などはするので、そんなに欲はありませんが……あ、待ってください。あります。キャンプしたいです」
アズールとフロイドは手に汗を握りながら会話を聞く。
「カリムさんと、キャンプがしたいです……」
おずおずと提案する身の丈百九十センチ。平素の人でなし副寮長を知る者からしたら鳥肌の立つ光景だが、お人好しのカリムにはそうは映らないらしい。世間ではこれを破れ鍋に綴じ蓋という。
「ええ、ジャミルさんの許可が降りないならピクニックでもいいんです。風車の裏の森で……春になって暖かくなりましたし……あの辺りは植生も豊かで、春ですがキノコも沢山……ふふ、ご心配には及びません。恋人をほっぽり出して趣味に勤しむほど、僕は愚かではありませんよ? 当日はカリムさんを優先しますから」
「なんで僕はこんな話を聞かされているんだ……」
「必要な犠牲でぇす」
アズールは歯を食いしばる。悪友の聞くに耐えないセリフを聞かされても、菌類とそれに取り憑かれた人魚から自らの城を守らなければならない。
今のアズールにあるのは、寮長として、ひとりの男としての悲壮な覚悟だった。
「……え? キノコ狩りもしてもいい? うちの寮がダメなら、スカラビア寮でキノコ料理を振る舞えばいいと……?」
「なるほどそう来ますか」
アズールはすかさず頭を回し、スカラビア寮生への補填を考える。カリムを巻き込んだ時点で火刑は決まっている。状況を上手く利用してお詫びの品を用意し、被害を減らすまでだ。
「はい、では、おやすみなさい……ふふ、僕も愛してます。はい、それでは」
アズールが拳を握りしめているうちに、通話が終わった。
「……終わったか?」
「はい、今度カリムさんとキャンプデートをしてきます。その際にキノコ狩りもすることになりました。採ったキノコはスカラビア寮に食材として提供してきます」
ほくほく顔のジェイドがアズールにスマートフォンを返却する。そこに居たのはキノコと恋人でウッキウキのウツボ人魚だった。先程までの邪悪ヅラはどこへやら、今はこの世の春という顔をしている。
「あんまり取りすぎてウミヘビくんに迷惑かけんなよ? 部屋にも仮置きしねーからね?」
「すぐにスカラビア寮に持っていくので大丈夫ですよ」
「はぁ……とりあえずキノコは回避出来ました」
アズールは溜息をつきながら椅子の背もたれに身を預ける。
(壺入りする時間を増やしましょう)
暴れん坊のウツボ二匹を追い出せば、寮内も静かになるだろう。その日だけはゆっくりソロで壺に浸れる。
壺の中での静寂を思い描きながら、アズールはジャミルに釈明の電話をかけるのであった。