「あれ、ジェイド、何してるんだ?」
ジェイドが顔を上げると、カリムが教室の入口で右手を上げていた。
11 月吉日、ハロウィーン実行委員会の会計であるジェイドは、イベントの決算書を纏めていた。
寮に戻るのも面倒なので自教室で作業を進めていたところ、どうやら集中していたらしい。当初は疎らに憩っていた級友達はいなくなり、自教室にはジェイドだけになっていた。
「こんにちは、カリムさん。ハロウィーンの会計の処理をしていました」
「おお、そっか。決算書、集まったんだな」
カリムはとたとたと寄ってきて、すとんとジェイドの隣に座った。
「決算もジェイドがやるのか」
カリムがジェイドの書類を覗き込む。
「最後までひとりがやった方が取りまとめも楽ですしね。先生方からチェックと監査を頂きますので、独断にはなりませんよ」
ジェイドは数字を書き写しながら答えた。
「やっぱりジェイドはしっかりしてるな。決算書、見てもいいか?」
「どうぞ」
実行委員だから見てもいいだろう。ジェイドはそう判断して、カリムを好きにさせておく。
返答したはいいが、ジェイドはおや、と思考を止めた。
(カリムさんはこれを読めるのでしょうか……)
まず、カリムが決算書を読むイメージがあまりない。重ねて、カリムは細かいことは苦手と言っていた。座学もあまり得意ではないようで、アズールやリドルに講釈を受けていたのを見たことがある。大丈夫だろうか、とカリムを横目で見た。
ジェイドが伺うと、意外なことにカリムは黙々と書類を読んでいる。
(……こんな顔もできるんですね)
カリムは珍しく、真剣な表情をしていた。紅玉の瞳は眇られ、魅力的な表情をしている。なんとなく色気を感じるのはきっと惚れた欲目だ。恋の前にはジェイドもただの哀れな人魚の男だった。
だが、見た目だけでは読めているかは分からない。ジェイドは興味が湧いて、カリムに声をかけた。
「読んでいて、わかりますか?」
失礼な物言いの自覚はあるが、カリムがそんなことを気にしないことはよく分かっているので、ジェイドは構わず尋ねる。
「んん、大体は。実行委員もしてたしな」
カリムは顔を上げて答えた。真剣な顔と目が合って、なんとなくドギマギする。
曰く、得意ではないけど大体読めるのだとか。
(相変わらずカリムさんは面白い……)
明るくて底抜けにお人好し、大雑把でガサツな面もあるのに、決算書は読めるし目利きはできる。実はしっかり商人なのだ。二面性につい目が離せなくなる。
(しかし、なんだか落ち着きませんね)
普段元気なこの人が静かにしているだけなのに、気がそぞろになってしまう。
面白い、意外なものは好きだ。本来なら、こういう二面性も好ましいはずだ。その筈なのに、カリムが難しい話をしたり商人のような仕草をすると落ち着かなくなってしまう。まるで、自分の知らない人みたいで。
(僕は知っていたいんでしょうか、カリムさんのこと)
自問自答に入りそうになったところを引き留めたのは、意中の人の声だった。
「なるほどな」
ジェイドが視線を上げると、カリムはオクタヴィネルの決算書を見て深くうなづいていた。
「オクタヴィネル、うまくやったよなぁ」
「ご不満でしたか?」
ジェイドは委員会の会計として、予算不足の相談をしてきたスカラビア寮を退けた。さらにオクタヴィネル寮としては外部の業者を絡めて展示を作った。カリムが大きな水槽のモノの良さを見抜いて、何事かと聞いてきたのを思い出す。
「ああ、ごめん、褒めてるんだ。お前らは普段ラウンジでやってる事をうまく結びつけたんだろ。さすがだな、って思ったよ!」
ずるい、と詰られるかと思っていたが、見当違いだったようだ。ジェイドはカリムの賞賛を受けて嬉しくなる。
「僕らにできる最大限をやらせて貰いました」
「うんうん、どこもハロウィーンは力が入るよな!」
カリムは新たに紙を後ろへ送り、自寮の決算書を眺めた。
「ウチ、寮での話し合いが盛り上がって。アレコレしてるうちに予算がオーバーしちまってな。なんとか削ったんだけど、やっぱり足りなくてさ」
ジェイドは作業の手を止めてカリムを見る。こういう裏話を聞くのは面白い。
「派手になるのは大歓迎だし、テーマもすっげーいい案だった。寮のためになるなら個人的に出資しようかと思ったんだけど……ジェイドに断られた後、みんなで考え直して予算を配分し直したんだ」
ジェイドは当時を思い出す。打診するにしても、寮生皆で話し合った結果を、カリムは寮の代表として掛け合いに来ていた。
カリムの付き添いで来たジャミルも、珍しく食い下がるカリムを叱らなかった。それだけ、力が入っていたのだろう。
その後再提出された予算はしっかり枠内に収まっていた。
「飾りも衣装も沢山考えて工夫して。みんなでアレコレ考えながら作ったら楽しくって。すごくいいものができたし、お客さんにも喜んでもらえた」
褐色の指が自寮の決算書を撫ぜる。カリムは慈母のような、彼らしからぬ表情をしていた。
「途中はどうなることかと思ったけど、すごくいいハロウィーンだった!」
そう言って、カリムはいつもの笑顔で笑った。その姿は秋の西日に背中に照らされて柔らかく輝いている。
「ええ、準備は大変でしたけど、特別なハロウィーンになりました」
ジェイドも心から同意する。予想を裏切り、例年になく盛り上がった今年のハロウィーンは思い出に残るものとなった。何が起こるか分からない、これだからハロウィーンは楽しい。
「よし、オレはこれでいくよ。邪魔したな!」
「いえ、お構いなく。いい息抜きになりました」
「それならよかった!」
カリムは席を立ち、ジェイドに向かってニカッと笑う。
「今度、ジャミルにムナッザラを作ってもらうんだ。その時は呼ぶから、ジェイドも食べに来いよ」
「ええ、ありがとうございます」
「じゃあ、また明日な!」
カリムを見送り、ジェイドは再び書面に向き合った。ふたりっきりで話をして、次の逢瀬のお約束まで。珍しい表情も沢山見られた。
「お土産を考えなくてはなりませんね」
ジェイドは満ち足りた気持ちでひとり微笑んだ。