魔力で動くぬいぐるみが若い魔法士の間で流行っているという。それ自体に全く興味はなかったものの、偶然にも手元に入ってきてしまった。
興味本位で魔力を注いでみると、熊のぬいぐるみが足元から色を変える。緑色の体に片目が黄色の熊が起き上がり、恭しくお辞儀をした。
小さな熊は自室の中を見渡すと、僕の後ろのテラリウムをじっと凝視した。
「見たいですか?」
熊をテラリウムに近づけてやると、掌を瓶に押し付け、食い入るように中身を見る。
「ふふ、さすが僕です」
どうやら中身も術者に似てしまうようだ。
「明日、山に行くのですが、貴方も来ますか?」
熊はバンザイをした。どうやら同行してくれるつもりらしい。山を愛する同士が増えて喜ばしい限りだ。
来週は学校に連れて行ってみようか。水曜日にはカリムさんとお茶の約束をしている。彼に見せたら喜ぶかもしれない。
小さな生き物に破顔するカリムさんを想像したら、少し楽しくなった。
「へえ、そんなのが流行ってるのか」
カリムさんが熊を興味深そうに観察する。熊は手を前に組んで人間を見つめ返した。
「小さいのによくできているな! どこに売ってるんだ?」
「僕も人づてに入手したのでわからないです」
「そうか。名前は?」
「まだ決めていなくて」
カリムさんが人差し指を熊の前に差し出した。
「とりあえず、よろしくな」
カリムさんがにこりと笑うと、熊はそっと指を両手で挟んだ。
「おっ、賢いんだな!」
その後もカリムさんは嬉しそうに熊と交流した。ちょっと熊が羨ましいくらいだったが、喜んでくれたので良しとした。
それから、熊はカリムさんに執心するようになった。
「こんな所まで似てしまうとは」
熊は教室を移動する度に辺りを見回し、カリムさんの姿を認めると鞄の中からじっと見つめる。
「おチビ、鞄の中で目ぇ光った。熊なのにウツボみてぇ」
フロイドがうりうりと熊をつつく。熊は特に気にせずカリムさんを見つめ続けた。
「あはっ、ジェイドが岩陰から獲物見てる時の顔してるぅ」
「一言多いですよフロイド」
「よお、ジェイド。今日も熊と一緒なのか?」
一方カリムさんも、小さな熊を見かけると嬉しそうに寄って来るようになった。
「ご主人様と一緒でいいなあ」
カリムさんは熊を目線の高さまで持ち上げて熊に話しかける。男子高校生としては仕草が可愛すぎるが、カリムさんだからとスルーされている。
「大人しいので連れ歩いても問題ないのです」
「あはは、オレなら脱走しちゃうかも」
「それに、ちゃんと連れている意義もありまして……招き熊でして」
「あ~~~、なに、そゆこと?」
フロイドが何かを察したように呟いた。
カリムさんか熊に話しかけに来る、それはすなわち、僕と話す機会も増えるということで。
「注いだ魔力分は働いてもらわなくては」
僕は笑顔で答えた。熊も自分の役割が分かっているようで、最近は鞄の入り口付近、カリムさんにも見つけやすい場所を定位置にしている。
「強かなぬいぐるみですねぇ、全く誰に似たんでしょう」
「可愛いところもあるんですよ。カリムさんに一日中会えないと、夜に自室でしょげているんです」
あまりに落ち込むので、白いモールベアを作って渡してやった話をする。新しい友達に赤いリボンを巻き付ける熊を見ながら苦笑いしたものだ。
「そっか、オレと会えなくて寂しかったか?」
「ええ、とても寂しかったです」
「お前には言っていないのでは?」
「今日はこちらも口が過ぎますね?」
隣の幼馴染が白い目で見てきたが、そんなことは知ったことではない。アズールと睨み合っていると、熊とじゃれていたカリムさんが声を上げた。
「そうだ! ジェイド、明日のお茶の時間、熊も一緒に連れてきてほしい!」
「かしこまりました」
「おチビ良かったじゃーん」
緑色の熊は感動しているらしく、スエードの掌を口元に持っていった。ご指名があったのがよほど嬉しかったらしい。
「待っててくれよな。寂しい思いはさせないからな」
カリムさんはにかり、と熊に笑いかけた。
翌日の放課後、お茶会に来たカリムさんは鞄の中から肌色の熊を取り出した。
「サムの店で売ってたんだ、ほら!」
魔法を掛ける前の素体だった。短いモヘアのそれは、無感情な瞳をこちらに向けてくる。
「友達がいれば寂しくないだろ?」
カリムさんが呪文を唱えると、熊の周りを白い光が回る。ベージュの熊は姿を変えて、白く柔らかな毛並みを持つ熊になった。
「うまくいった!」
起き上がってキョロキョロする熊に、カリムさんが指を差し出す。
「初めまして、よろしくな」
熊はじっとカリムさんを観察すると、ぴょん、と飛び起きて手の甲に抱きついた。
「ははっ、これは間違いなくオレだ!」
「術者の人懐っこさが遺伝していますね」
カリムさんが熊を両手で持ち上げ、ふわふわとモヘアの体を撫でる。
「扱いに慣れていらっしゃるんですね」
「妹が多いせいで、ぬいぐるみとの付き合い方も覚えたんだ」
カリムは熊を優しく机に戻した。白熊は赤い目で周りを見渡すと、僕の傍らで大人しくしていた緑色の熊を見つけた。よちよちと覚束無い足取りで近寄ってくる。
「あ、危ない!」
とすん、カリムさんの熊が机の上で転んだ。すると、僕の熊がもがく白熊に歩み寄り、手を差し伸べた。そのまま手を引いて引っ張り起こす。
「おやおや」
「優しいな」
僕達が和んでいると、緑の方がひざまづいた。彼らはしばらく見つめ合うと、手を繋いだままその場で踊り出した。熊のくせになかなかステップが堪能である。
「さっきは転んでいたのに、もうバランスを取っていらっしゃるとは……」
「オレが踊るのが好きだからからかな。これ、ワルツか? すごく上手だ」
カリムさんは熊達のためにワルツを口ずさんだ。有名な舞踏曲。いつ現れるか分からない王子を信じて待つ、夢物語の歌を。
優しい木漏れ日の下ぬいぐるみ達が踊る、絵本のような光景が繰り広げられる。
「どんな話をしたんだろう」
「さあ、わかりません」
カリムさんが呟いたのでそれに返答する。歌がなくても踊り続ける彼らを横目に話を続けた。
「あはは、随分仲良くなっちゃったな」
「そのようですね」
彼らは言葉を発しないが、なんとなく、自らの分身が彼の分身に恋をしたのはわかった。僕がカリムさんを好きなのと同じように。
(困りましたね)
こんな所で自分の気持ちの強さを見せつけられてしまうなんて。動揺を悟られないように微笑みを意識する。
「なあ、ジェイドも踊れるのか?」
「社交の所作として習われているカリムさんには敵いませんが……」
冗談めかして右手を差し出す。
「試してみますか?」
カリムさんは少し目を開くと、小麦色の手を僕の手に重ねた。
「いいぜ、踊ろう。久々にオレも踊りたくなってきた!」
「ふふ、お手柔らかに」
ああ、心臓が落ち着かない。カリムさんの手を引いて開けた場所へ移動する。
2匹の熊は寄り添いあって僕達を見送った。
翌日、リーチ兄弟の物騒な方とスカラビアの寮長が中庭で優雅に踊っていたと噂になった。周りから茶化されたりどやされたりで面倒だったが、良い時間だったので良しとしよう。
その後、2匹の熊は傍に居ることを望んで、僕もカリムさんと過ごす時間が増えた。
それがきっかけで、僕達の関係が特別なものになったのですが……その話はまた別の機会に。