こいばなする話

 NRCにも冬が来た。中庭には雪が降り積もり、外は防寒着がなければいられない程寒い。普段中庭で行っていたお茶会も、空き教室を利用して行うようになっていた。
「ジェイド、いるか?」
「おや、カリムさん。ちょうどいい所に」
「今日も悪いな」
「いえ、僕もやりたくてやっていますから」
 カリムが空き教室に着くと、既にジェイドが本を読みながら待っていた。ティーカップから淹れたての紅茶が湯気を立てている。
 ジェイドが茶を淹れ、カリムが飲む。需要と供給が噛み合い行われるお茶会は、意外にも長続きしている。お互い寮で役職についていて、特にジェイドはラウンジのシフトもある。忙しいはずなのにこうして時間を作ってくれることが嬉しいな、とカリムは思っていた。
「今日は珍しい本を持っているんだな」
 カリムはジェイドの手元の本に目を向けた。数年前にベストセラーとなった恋愛小説だ。異種間の男女の壮大な純愛を描いている。流行りものに疎いカリムでもタイトルだけは知っていた。
「ジェイドが恋愛小説なんて意外だな」
「あまり関心はありませんが……話題作りにはなりますね」
 カリムの茶を淹れ終えたジェイドが席に着く。
「意外と思われるかもしれませんが、人魚は一目惚れが多いんですよ。かの人魚の姫がそうだったように」
「そうなのか、意外だな」
 カリムは感心して「へえ」と零す。
「人魚は恋が繁殖に直結する場合が多くて。特に一目惚れした初恋の相手というのは直感的に合う相手なので、その方に入れ込むことも多いんですよ」
「動物みたいだな……」
 カリムは成程、とうなづいた。ジェイドも笑みを深める。
「なので、人魚は結ばれても関係が良好なカップルが多いんです。初恋同士かは分かりませんが、僕の両親も似た者同士で仲が良いですね」
「素敵な事だな!」
「でも、向こうも都合よくこちらに惚れてくれる訳ではありません」
 ジェイドがすっと真顔を作る。話し方が上手だなぁ、カリムは心の中で感心した。
「なので、これという方ができたら、その方の元に通います」
「通う?」
「ええ」
 ジェイドは整ったかんばせに笑みを浮かべる。
「通って尽くして、自分がその人にとって有用であることを証明します」
「ううん、なんだか大変なんだな」
 カリムはぼんやりと答える。頭の隅で、ジェイドが誰かに尽くすところは見たくないな、と思った。
「カリムさんはどうですか?」
 呆けるカリムに尋ねる。
「オレ?」
「ええ、一目惚れをしたことは?」
「うーん、オレ、そういうのまだよくわかんないんだ。ジェイドは?」
「一目惚れは僕もまだですね。現在進行形で恋はしていますが」
 ジェイドの回答にどきん、と心臓が跳ねる。
「そうなんだな」
 カリムは腕を前へ投げ出した。上手い返事が見当たらなくて、口ごもってしまう。
「結ばれたいか?」
「ええ、もちろん」
「そっか。ううん……そうだな。オレはもし恋をしても、その人と絶対に付き合いたいと思わないかもしれない」
「おや、なぜでしょう?」
「その人が幸せであってくれればそれでいい、って思う」
「自分が傍にいられなくても?」
「ああ」
 ジェイドが見定めるような視線を向けてくる。カリムは頷き、心のままに答えた。
「陸では、『人はつねに初恋にもどる』って言葉があるんだ。別の人を好きになっても、初めて好きになったその人の面影をずっと忘れないんだと。
傍に居られなくても、そうやってオレの心に一緒にいてくれるなら、それだけでいいんだ」
 ジェイドはじっとカリムを観察してくる。砂漠の夜、自分の考えを切り捨てられたことを思い出し、カリムは慌てて取り繕った。
「あ、ええと……気持ち悪いか?」
「いえ、付け入る隙はたくさんありそうだな、と。貴方を放っておく様な甲斐性のない方がいたのなら、ですが」
 ジェイドはそう言って、にっこりと笑った。
「またお茶を淹れに来ますからね」
「うん? おう、頼むよ」
 カリムには言葉の意味よく理由が分からなかったが、楽しそうなのでいいか、と受け流した。