内緒ごと

「ひとつの秘密を共有するってさ、ドキドキしないか?」
 目を細め、息を潜め。まるでこちらを惑わせるように揺れる金のピアス。無邪気な好奇心が僕を誘う。僕は吸い寄せられるようにその耳に触れ、輪郭に掌を寄せた。
「秘密は得意です。僕なら相手にうってつけかと」
「決まりだな」
 そう言って僕らの恋を秘めやかなものにしたのは、僕が十七歳の誕生日を迎えてすぐのことだった。

***

 賢者の島に今年最初の雪が降った。
「一日でだいぶ積もりましたね」
 朝方から降り続く雪はあっという間に学園の敷地を覆い尽くし、今もなおペースを落とさず降り続いている。白い雪が断続的に落ちていく様子は幻想的で、あちこちに匂いのしない花が舞っているようだ。
(少々浮かれすぎですかね)
 NRCは山の上に建っているために気温が低く吹く風も冷たい。しかし皮膚をかすめる冷ややかな風が故郷の水の流れを思い起こさせる。寒い環境は嫌いではない。まして今は雪が音を吸っていつもより雑音が少なく、僕としては快適なシーズンだ。
「カリムさんは喜んでいるでしょうか」
 暑い国出身の恋人はこの雪をどう思うだろう。無邪気なあの人のこと、見慣れない大量の雪にはしゃいで、雪の積もった地面に飛び込んでいきそうだ。
「うう、寒い……」
 昇降口から外を見ていると、真後ろからまさに想い人の声がした。振り向くと、厚着をしたカリムさんが身を縮こまらせていた。
「こういう日は人一倍はしゃぎそうなのに、意外と静かなんですね?」
 嫌そうにしている様子が珍しくて尋ねると、カリムさんはうなりながら呟く。
「去年の最初の頃はすごく楽しかったんだけど、派手に滑ったりずっと寒かったりしてるうちに、もういいかなって……今日だって傘が風で吹き飛んじゃってさ」
 曰く、突風に傘を取られて身体が宙を舞いかけたらしい。その場で踏ん張ったら水溜まりに足を滑らせて派手に転んだそうだ。
「それはさぞ面白い光景だったでしょうね」
「笑うなよ、転んで痛かったんだぜ?」
 僕の秘密の恋人は、よくある物事を面白くして僕を楽しませる才能がある。風に煽られ騒ぐカリムさんと、傍にいたであろう彼の従者の動揺は想像に難くない。痛そうに腰をさする彼には申し訳ないが、僕がその場に居合わせたらもっと笑っていたに違いない。
「待ってても止まないよな。遅くならないうちに戻ろう」
 カリムさんは首をすくめながら言って、屋根の外に踏み出した。
(タイミングよく強風が吹いたりしませんかね)
 僕が思うと、ちょうど良いタイミングで強い北風が吹いた。ついでに屋根の上から水滴が打ちて白い頭部に落ちた。
「寒い、冷たいっ!」
「ぶふっ、そんなにタイミングよく……!」
 カリムさんは律儀に悲鳴を上げる。こういうことが起こるから目が離せないのだ。
「そんなに重装備なのに大袈裟な」
「足が寒いんだよ。あと耳と頭が」
 カリムさんはウールのPコートの上から厚手のマフラーを巻いていた。けれど、頭はターバンのせいでなにも被れなかったようだ。銀の髪に雪が積もり始めている。
「お気の毒なので傘に入れて差し上げましょう」
「助かる!」
 手持ちの傘を開いて差し掛けると、カリムさんは喜んで近寄ってきた。
「傘、大きいんだな」
「傘を忘れたフロイドや大荷物のアズールを入れる事があるので」
「優しい大きさなんだな」
「どうも」
 カリムさんはじんわりと呟く。この人はたまに、わけのわからないことで感動する節があった。言い方がむず痒くて言い返したくなるが、この子に言ったところで効き目はないだろう。
(しかし、いい雰囲気ですね)
 身内を雨から保護していた時は思わなかったが、一つの傘に入るように寄り添って歩いているのでいつもよりカリムさんとの距離が近い。歩くたびに肩と腕が触れそうになっている。彼の歩く音や話し声以外が遠く聞こえるのは、雪や傘のドームのおかげだろうか。胸のあたりの存在しない臓器が暖かくなるのを感じる。
(普段もよく傘に人を入れていますし、この状況を事態を誰からも訝しまれることはないでしょう。このままもう少し楽しみたいです)
 ただでさえ秘密の関係の僕達は、表立って親密にすることは許されない。お茶をしたりお互いの部屋に遊びに行くことはあれど、基本的に周りに怪しまれない程度の頻度を保っている。それが今日、待ち合わせてもいないのに一緒に帰ることができたのだ。機会をふいにしたくない。
(カリムさんの思い付きにも困ったものですね)
 秘密の共有はとても楽しい。普通の交際よりもずっとスリリングで好ましい。しかし、せっかく心を寄せる存在ができたというのに、関りが薄いのは勿体ない。この不可解で奇天烈な生き物をより近くで愛でていたい。
「ジェイドは足も大きいな」
 僕が考え事をしていると、カリムさんがそう指摘した。足のサイズを聞いてきたので答えてやると、やはり大きいと感動された。
「足跡が全然違うぜ」
 後ろを振り返ると、大きさの違う足跡が雪道の上に刻まれていた。
「これだけ体長が違えばそうでしょうね」
「そうだな」
 カリムさんはしみじみ同意した。どこか嬉しそうな様子に気持ちがざわつく。
(カリムさんもこの状況を喜んでいるのでしょうか)
 ならば、仕掛けてみても問題ないかもしれない。僕は脳内の予定帳を開いて適当な用事を見繕った。
「あぁ、いけない」
「どうした?」
 わざとらしく焦った声にカリムさんが顔を上げた。
「植物園の棚の整理をしなくてはいけなかったのを失念していました」
「えっ、今日にか?」
「ええ、年末で他の仕事が立て込んでいて、今日しかできる日がなくて」
「そりゃ早く行った方がいいな! 今日はこれからもっと降るらしいから、オレのことは気にしないで行ってくれ」
 道が植物園に続く曲がり角であったため、カリムさんはすぐさま傘から出ようとした。
「うおっ」
 なので、傘を傾げて進行を妨げた。困惑した表情で見上げてくるカリムさんに笑顔を返すと、彼は少しの考慮ののちに言った。
「手伝ってほしかったのか?」
「その答えでは不正解です……わかるでしょう?」
 彼にだけ聞こえる声で囁くと、カリムさんはふわりと目を細めた。
「もう少しだけ内緒ごとを楽しみましょう」
「そうだな」
 そうして、僕の隣に二回り小さい靴が並んだ。

***

 片づけを終えて寮に戻る頃にはすっかり日も暮れ、気温もぐっと下がっていた。片づけで汗をかいたこともあり、外に出たときに僕ですら寒さを感じたくらいだった。
「お風呂、入っていかれますか?」
 周囲に誰もいないことを確認してから提案すると、カリムさんはひとつだけ頷いた。それから人目をはばかるようにして鏡を越えて、自室に恋人を招き入れる。浴室のバスタブにお湯を貯めている間に身体を清め、ふたりして一緒に湯船に沈んだ。
「ふあぁ~~~………」
「ふう」
 狭い猫足のバスタブの中に、僕はカリムさんを抱え込むようにして座っている。傘を共有していた先ほどより密着率が高い。
「あったかいなー……」
「ええ。今朝打ったところは痛くないですか?」
「心配しすぎだぜ」
 カリムさんは振り向いて笑顔を見せてくる。
「やっぱりドキドキするな。みんなに内緒で恋人になって、こっそりデートしたりイチャイチャしたりするの」
 カリムさんは弾んだ声で言う。同意を返すとさらに楽しそうに頷いた。
「意外でした、貴方がこんな関係を持ちかけるなんて」
「うーん、そうか?」
「隠し事が苦手そうじゃないですか」
「いやぁ、苦手だ! 嘘つけるほど器用じゃないし!」
 カリムさんはこう言うが、驚くべきことに僕達の関係がバレたことはなかった。その理由は実のところ、カリムさんの態度が変わらなかったのが大きい。彼が誰にでも友好的で人懐っこいのが幸いしてか、僕への好意が匂いもしないのだ。同じ秘密を共有する僕が心配になるくらいに。
 バスタブのへりに置いていた腕を湯の中に降ろして薄っぺらな腹を抱く。
「僕への好意ひとつ隠せない、とっても仕方のない貴方を堂々と愛でるつもりでいましたのに」
「ひどい評価だな!」
「騙されていませんよね僕? そうだったら立ち直れません」
「そんなことないって! だったら一緒に風呂になんか入らないよ」
 カリムさんはけらけら笑って僕の頭を撫でた。なんだか悔しくて脇腹を撫でると、ビクン、と肩が揺れる。
「あはははっ、そこだめだって! くすぐったいから!」
「くすぐったい場所は触られ続けていると慣れるそうですよ。弱点を克服しては?」
 暴れる胴体を押さえて腹に触っていると、カリムさんはだんだん大人しくなった。
「なんかこういうの久しぶりだ」
 カリムさんは息を吐きながら僕にもたれかかってくる。そのままズルズルと下に下がると、唐突に脚を僕のそれにくっつけてきた。透明なお湯の下で色の違う脚が並ぶ。
「ジェイドは足が長いんだな。それに大きい」
「さっきも聞きましたよ」
「改めて並べると全然違うって思ってさ。ほら」
 小指の先端が側面の中途半端なところに当たっている。先ほどまで密着していた腰の部分も、少し離れた場所にある。
「……ジェイドが元気でいてくれて嬉しい」
「……唐突ですね」
「なんだろう……雪の道を並んで、寒いなって言いながら歩くだけなのにすごく楽しくってさ」
 伸ばされた手が僕の足の指先に触れる。そのまま落ちるように動いた指が僕の足の甲を撫でた。
「そういう日がずっと続けばいいのにって思ったんだ」
 口にした願いは穏やかなのにどこか湿っぽい。しんしんと降る雪のようなそれは、いつか消えてしまうものを惜しむようだった。
「そんなこと、願えばいくらでもできるでしょう。変な方」
「ほんとだな、あったかくって変になっちまったかも」
 重たい空気に耐えられなくなって上半身を抱きすくめると、カリムさんはくすぐったそうに笑う。
「明日も一緒に帰りましょう。雪がなくても内緒ごとはできますから」
「ごめんな、ありがとう、ジェイド」
 カリムさんは目を閉じ、僕に身を委ねて力を抜いた。