Before

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静かな談話室によく響く乾いた音。誰かが勢いよく扉を開け、壁に木材を叩きつけた音だ。

「誰です、行儀の悪い……おやアズール、お疲れ様でした」

ジェイドは読んでいた資料から顔を上げ、アズールの顔を見た。アズールの怒りに歪んだ表情を見て、色違いの瞳に期待を滲ませる。

「ひどく愉快な顔をしていますね」
「愉快なのはお前だけです」

アズールは大股で空き椅子に座り、机に契約書を叩きつける。

「ジャミルさんから依頼が来ました」

アズールは大きな溜め息をついた。

「3日後、カリムさんがウチの寮に泊まりに来ます」

曰く、先程寮を訪れたジャミルから、「カリムを一晩オクタヴィネル寮に宿泊させて欲しい」と依頼されたらしい。定価の数倍で。

「宿泊費他2食護衛付き、支度の世話、毒味とサービス料込み……」

ジェイドが契約書を読みながら説明を聞く。

「随分と特別待遇ですね」
「カリムさんはそれが当然なんだそうですよ」

引き合いに出されたカリム、カリム・アルアジームといえば、熱砂が誇る大富豪の子息だ。いざ全寮制の学校に通うとなると溢れんばかりの財産を持たされ、子供の頃から誘拐や暗殺とよろしくやってきている人類だ。

「『アジームの跡取りを泊まらせるんだ、安い方だろう?』と真顔で言われました」

ジャミルは本当に当たり前のことのように言ってきたらしい。

「それはそれは、可哀想に」
「口だけの労りは要りません」

依頼主の従者は札束の分だけ付加価値を要求してきた。

「しかし、カリムさんひとりを泊まらせるだけならそう手間は要らないはずです。迷惑料としてマージンを取ってしまえば良いのでは?」
「僕もそう思っていましたが……」

アズールは苦虫を噛み潰したような顔をした。

「『適当なことしたら、上流階級のやり方に順応できないとみなす』」
「…………」
「『まさか海の商人とあろうものが、将来の得意先からのビジネスチャンスを潰すような真似をするのか?』」
「……つまり煽られた、と」
「ええ、ええ、煽られましたとも!」

アズールはズア、と立ち上がる。

「僕としたことが、アジーム家の前で手を抜こうだなんて! こんな一大チャンスをみすみす逃すなんて僕らしくない!」

鼻息荒くアズールは語る。そして早口でプランの草案を説明した。

「お前達にも協力してもらいますよ。これから忙しくなる……今度こそ、ジャミルさんに僕の有能さを見せつけてやるんです、そしてあわよくば、我が寮に引き込む足がかりにしてあげましょう!」
「まんまと乗せられていますね」

燃え上がるアズールにジェイドの毒舌は聞こえていないようだ。

「では、僕は自室に篭もります。夕食は低カロリーのものを適当に持ってきてください」
「ではキノコ料理を」
「キノコは要らない」

懐から椎茸を取り出したジェイドに律儀に突っ込みを入れ、アズールは自室に帰っていった。

「カリムさんが泊まりに来られるんですって」

話し相手を失ったジェイドは手元の椎茸に話しかけた。
ジャミルがアズールを焚き付けたのも従者としての意識の高さゆえ、というのは容易に想像がつく。主人が預け先で適当にあしらわれ、挙句何らかの被害を受けたとなったら今度こそジャミルは命がない。
それほどまでしてなぜ、カリムを我が寮に泊まらせたがるのだろう。

……正直な話、ジェイドからしたらそんな理由はどうでもいい。

「楽しくなってきましたね」

アズールが本気になり、たぶんフロイドは上機嫌で話に乗ってくるだろう。今回の経験もラウンジにとって利益にもなる。
それになにより。

「好きな方と一晩、合法的に一緒に過ごせます」

目下片思い中のカリムとは別の寮に属し、クラスも違う。
カリムに恋する咬魚として、これほどおいしい話はないのである。