植物園を辞した後、ジェイドはその足で自寮の空き室へ向かった。客室として提供されるその部屋で、体内の媚薬を発散させるために行為にふけった。
(少し無理をさせたでしょうか)
2人が致しているうちに外はすっかり夜になっていた。ジェイドは自分と気絶したカリムの身を清め、汚れたシーツを取り替える。裸のカリムに自室から持ってきたパジャマを着せ、自らも身を整えた。それでもカリムが目を覚まさなかったので、ジャミルに連絡を入れ、外泊させる旨を伝える。連絡を入れて数分、
『好きにしろ』
と、簡素な回答が返ってきた。
「身内の朝帰りを交際相手から連絡されたら、まあ……ふふ」
液晶の前で渋面を浮かべるジャミルが目に浮かぶ。面白くてジェイドは薄笑いを浮かべた。
一連の仕事を済ませると、ジェイドはカリムの横に腰かけた。
「良く寝ていらっしゃる」
あどけない寝顔に自然に頬が緩む。ジェイドはそっとベッドに乗り上げ、カリムの傍らに長身を横たえた。カリムの腕を自分の方に動かし、その上に頭を置く。細い腕を枕にしながら、カリムの寝顔を見つめた。なめらかな肌に古傷は見当たらない。
(毒の鑑定が必要な生存環境、ですか)
カリムの生い立ちを聞いた時、まるで野生の中で生きてきたようだと思った。
岩影になにが潜むか分からない故郷。弱ければ付け入られ、名実共に食い物にされる。生き残るためには、自力で生きる術を得るしかない。初めて故郷の話をした時、カリムは故郷を怖がった。しかし、彼を知っていくうちに、彼も似たような境遇で生きてきたと知った。
(この人は、ただ自分にできることをしただけ)
ジェイドは考える。幸いにも自分達は鋭い爪と牙を与えられ、大抵のものを返り討ちにできた。逆に彼に求められたのは防衛であり、カリムはそれに抗い、適応して見せた。それまでに、どれほど修羅場を乗り越えたのだろう。自分たちが五体満足で出会い、こうして褥を共にできた確率は奇跡に近い。
ジェイドは指の背でまろい頬を撫でる。するとカリムが「ううん」と唸り、薄く目を開いた。
「ジェイド……?」
ややかすれた声で自分を呼ぶ恋人に、ジェイドはとびきりの微笑みを返す。
「目が覚めましたか」
「わるい、寝てた!」
カリムは起き上がろうとするが、それはかなわなかった。ジェイドの頭に固定された自分の腕を見る。
「うでまくら……」
そう呟くと少し考えて、ジェイドの方に寝返りを打つ。そのまま腕を回し、ジェイドの頭を包み込んだ。
「どうされましたか?」
「ちゃんと甘やかしてなかったからな」
掌がジェイドの頭を優しく撫でる。頭を撫でられるのは不慣れで、柄にもなく心臓が早鐘を打つ。カリムはジェイドを驚かせる天才だった。たまにこうして予想外のことをしてくる。
「心配してくれてありがとう。怖がらせちゃったな」
カリムはエメラルドグリーンの頭に手を回し、ふわりと抱きしめた。
「僕はやりたいようにしただけです」
ジェイドは薄っぺらい胸板に額を寄せる。本当に怖かったら、試験会場に行かせないように妨害したり、試験を中断させることもできた。わざわざ毒をあおる瞬間を見なくてもよかったのだ。
「カリムさんは、カリムさんであろうとしただけでしょう?」
「そう、なんだけど」
カリムは言葉を濁す。
「こんなに心配させるなんて思ってなかったんだ」
カリムはジェイドのつむじに口づける。難しいな。カリムは静かに呟いた。
「毒の鑑定はいつ頃覚えたんですか?」
ジェイドはカリムの腹に腕を回し、カリムの話をねだった。
「いつだったかなぁ、10歳は迎えてたと思うけど」
「どういうきっかけで?」
「何回か家で毒を盛られちまって、飯の度に目の前にある食べ物を疑うようになったんだ。」
ジェイドは背中をさすりながら、黙って続きを促す。
「料理人や同じ卓の誰かを疑いたくなくってさ。それに、毒が入ってても、飲み込む前に気づければ内臓まで毒が回らないだろ? そうすれば、まだ大事には至らない」
「誰かへの疑心を避けるためとは、なんともカリムさんらしい」
「そうか? オレからしたら便利な生活の知恵ぐらいの話なんだけど」
「なるほど、生活の知恵、ですか」
相槌を打ちながら、ジェイドは内心感心していた。
(あの追試も、普段できることの延長程度の認識なんでしょう)
穏やかではないが、カリムからしたらなんて事のない話なのだ。
(まあ、理解はできるんですけどね)
自分達も人魚としての能力を生かし、海で下級生たちを追い回したことがある。
「だけど、監督生達にこの話したらビックリしてたな」
「それは仕方がないのでは? カリムさんだって、僕が故郷の話をすると驚くでしょう?」
「ええ、だって怖いだろ?」
「僕からしたらそちら方がスタンダードです。それと似たようなものですよ」
「んん、そんなもんか……」
カリムは尚も納得していないようだった。頭の上で唇を尖らせているであろう恋人を思い、ジェイドはクスクス笑う。
「僕らには生まれつき鋭い爪や歯がありましたが、カリムさんの場合はそれが後付けでついてきたというだけです」
ジェイドは恋人の胸元から顔を離し、頭をカリムの二の腕の上に置いた。至近距離からカリムの目を覗き込む。
「今まで生きてこられたのはカリムさんの力です」
自分とは最も信頼出来る資本だ。厳しい環境の中で生き残るのは難しい。カリムは子供ながらにそれを悟り、自己を作り替えることを選んだ。自然界の理の中で、生物が環境に適応するように。
ジェイドはにっこり笑った。
「僕はとても好ましいですよ。キノコのようで興味深いです」
「あはは! オレ、キノコなのか!」
「おや、笑うところではありませんが」
カリムはカラカラと笑った。くるくると動く表情が愛らしい。過酷な生い立ちを感じさせないこの明るさもカリムの魅力のひとつだ。カリムはどれだけ害されても周りへの優しさを忘れない。それは決して、当たり前のことではなく、カリムだからこそ成し得ることだった。
(不思議な方ですね、本当に)
いつもの調子が戻ってきたカリムをからかいたくなって、ジェイドはすっと真顔を作る。
「でも、さすがに驚きました」
「ごめん……」
釘を刺すと、カリムはしゅん、と目を閉じた。ジェイドは苦笑いをしてカリムの頬に触れる。
「てっきり毒を舐めるのかと」
「それは最終手段だな。舐めたら最悪死ぬのもあるし」
「本当に詳しいんですね。でも、次は僕にも相談してくださいね」
ジェイドはスリルは好きだが、身内を危険に晒す性根はない。だから勝手に危険に飛び込まれるのは気に食わない。
カリムは謝って、申し訳なさそうに俯いた。そして上目遣いにジェイドを見てくる。
「オレのこと、見損なったか?」
「……まさか」
カリムは知らない。この優しく強い生き物に、嫌われるのが怖いと思ってもらえること。それ自体がとても得がたいことなのだと。寄せられる信頼は酷く甘美で、ジェイドの脳髄を隙間なく侵食していく。
こんなもの、中毒になってしまう。
(もっと手を尽くし、愛を注ぎ、僕なしでは生きられないよう作り替えてあげなくては)
ジェイドは身を起こし、カリムの額に口づけた。
「きっと傍に居ますから、僕のこと大事にしてくださいね?」
「ありがとう、ジェイド」
カリムは瞳をゆるりと蕩けさせ、ジェイドの手にすり寄った。