平等に青

 乾いた風が頬をかすめていく。熱風に眼球を覆う涙まで蒸発しそうな気がして、僕は強く瞼を閉じた。目を開けると、故国とはまったく違う歴史を辿った街並みがある。
 ここは絹の街。人間の暮らす国、熱砂の国の商業都市だ。
「ツノ太郎、なにぼさっとしてんだ? 置いてくゾ」
「すまない、すぐに行こう」
 小さな魔獣に促され、僕は騒々しい路地に踏み出した。
 
 
 
 茨の谷の王族である僕がなぜ護衛もつけずに外国の都市を学友と歩き回っているかというと、一人の臣下と、一人の『友人』の計らいによるものだ。
『マレウス。ワシは明日、急に腹が痛くなる予定がある』
 長い付き合いであるリリアの妄言に首を傾げる。
『ベッドから動けなくなる程度の腹痛に襲われ、絹の街に観光に行けなくなるのじゃ』
 つまり、僕一人で熱砂の観光に行けということか。聞き返すとリリアはニヤッと笑った。
『世界は広い。広い世界を歩いてみると、肩書きも種族も意外と垣根のないものだとわかる。ワシも是非ともお供したかったんじゃけど、どうもシルバーやセベクの世話にならないといけないくらい腹が痛くなる予感がしていてな、困ったもんじゃ』
 リリアとは長い付き合いだ。こんな白々しい言い分の真意を見抜けないわけがない。見聞を広げてこい、とリリアは言っている。学生のうちしか許されない動き方をもってして。
『羽を伸ばすつもりはない。お前達を蔑ろにしているわけでも。心配しなくても自力で解決する。そう2人に伝えておいてもらえるか?』
『あいわかった。楽しんでくるんじゃぞ』
『……恩に着る』
 リリアはにっこり笑ってその場を去った。
 こんな風に突然予定が入るとは。しかも国賓ではなく学生の身分として後輩の国を訪れることになろうとは。何が起こるかわからないものだ。
 
 今日の僕の訪問はリリアの取り計らいによる非公式のものだった。しかし、当日になって問題が発生した。僕の同行が非公式すぎたことだ。
 どうやらリリアは、招待主のアジームにすら、己の欠席と僕の同行を連絡していなかったらしい。
(……随分な出迎えじゃないか)
 合流した面々の驚いた顔を見回す。招かれないことには慣れていたつもりだが、やはり面白くはない。
 そんな中、アジームが一歩前に進み出る。
「そんなことないぜ。大切な『友だち』がうちに遊びに来てくれてうれしい」
 僕に相対するアジームの目に迷いはなかった。
「友人か」
 他国の王族である僕にアジームは『友人』という肩書きを与えた。その瞬間、ここにいる僕はただのアジームの学友、マレウス・ドラコニアとなる。
「歓迎するよ、マレウス」
「いいだろう」
 僕を見上げたアジームが歯を覗かせて笑った。
 
 
 
 日中に絹の街を歩き回り、花火大会を鑑賞して、時間はあっという間に夜になった。照りつける陽射しは鳴りを潜め、花火が散らした噴煙が月の浮かぶ空を覆っている。
 眠る砂漠の都を空から見たらどう見えるだろう。部屋を抜け出すために服を召替え、バルコニーに出る。すると、斜め上にはためく布の影が見えた。
「アジームか」
 相手はまだこちらに気づいていないようだ。瞬間移動をして驚かせたら、挙動の大きいアジームが落ちてしまうかもしれない。
(あのくらいの距離なら造作もない)
 僕は身体に魔力を行き渡らせる。身体は軽く、空でも飛べる。想像しながら石の床を蹴る。
たまには直接飛ぶのも悪くない。
「アジーム」
「……! マレウス!」
 アジームは親しげに僕の名前を呼んだ。
「こんな夜更けに散歩か?」
「うん、なんか寝付けなくってさ。乗るか?」
「いや、こちらの方がいい」
「じゃあどこかに降りようか。絨毯」
 合図をすると、魔道具は緩やかに降下を始めた。
「今日は世話になったな。礼を言うぞ、アジーム」
 地上に降りた僕らは中庭の噴水のへりに腰を掛けた。招待主に伝えられなかった礼を言う。
「マレウスを呼んだのはリリアだし、案内したのはジャミルだぜ?」
「僕の訪問を受け入れる許可を出したのはお前で、ガイドの手配もお前だろう。お前に礼を伝えるのが筋というものだ。礼儀知らずな真似はしない」
「いいって、『友だち』が来てくれるのは大歓迎だぜ。どうだ? 絹の街は楽しかったか?」
「興味深かった。茨の谷には無いものが多かった」
 厳しい環境に都を築いたこともあってか、絹の街の建築物は独特なものが多かった。根付いた魔法の質も違う。
「文化は国の成り立ちを表す要素のひとつだ。食や貿易、暮らしぶり、全てが自然に堆積された生活の積み重ねで、それ自体が歴史だ。無駄はそぎ落とされ、有用なもののみが残って洗練されていく。誰にでも暮らしやすいとは言えないが……とてもいい街だった」
「ありがとう! 褒めてもらえると嬉しいよ。熱さは大丈夫だったか?」
「暑かったが、ターバンのおかげでだいぶ和らいでいたな」
 頭を覆うように巻き付けた派手なターバンは日除けとして役に立った。これも彼らが培った生活の知恵という奴だろう。だが、それだけではない。あのターバンが余所者達を景観に馴染ませ、様々な立場を優しく覆っていた。ちょうど、朝方にアジームが見せた配慮のように。
「アジーム、聞きたいことがある」
「なんだ?」
「リリアに今日の不参加の連絡は受けていたか?」
「いいや、鏡の間で知ったな」
「そうか、迷惑をかけたな」
「謝ることなんてないよ。リリアは具合が悪くなって、マレウスだけがうちに遊びに来ただけだ」
 アジームはにっこりと笑う。
「正直に言うと助かった」
 彼の気配りは立場を同じくしないと有難みが伝わりづらいものだ。過剰な気遣いは時に配慮される側の負担を招く。
「全然いいぜ……あ、そうだ!」
 アジームが急に何かを思い出した。ポケットから液晶端末を取り出してすいすいと操作していく。
「リリアから連絡が来てたんだ。忙しかったからすぐに見られなかったけど……」
 メッセージ画面には黒い四角が映し出されている。アジームが四角をつつくと黒い画面が広がった。
「動画だな」
「……? スカラビア寮か」
「うちの寮生は熱砂の国出身の奴も多いんだけど、そいつらが今日の花火を懐かしがって花火大会をしてるみたいなんだよ。リリアも来てたみたいだな。シルバーとセベクもいる!」
「お前が居なくても宴が行われているのか?」
「みたいだぜ。みんな、楽しそうにしてるな」
 アジームは心底嬉しそうにしている。だが、どこかそれは他人事のように感じられた。
「そぐわないものは受け継がれないと言っただろう。寮生にアジームの熱意が伝わったのだと素直に誇ればいい」
「……そっか」
アジームはくしゃりと笑った。
「ところで……これはリーチか?」
シルバーの横で花火を眺める長身の男を指さすと、アジームは飛び跳ねんばかりに食いついた。
「おおっ、ほんとだ!!」
アジームは動画を消して端末を操作する。
『ジェイド! うちの宴に来てくれてるんだってな。楽しんでるか?』
アジームが文字を打つ手を止めると、すぐに通知音が鳴った。
『僕を置いて故郷に帰った人の分まで』
「ま、まだ怒ってる……」
「アジーム、リーチは呼ばなかったのか?」
あまり交流のない僕ですらリーチとアジームが「そういう仲」であることを知っている。確かに、今日の催しに招いていないのが不自然だ。
「あー……呼べる人数も限られてたし、今回は大きい音に慣れてる軽音部の奴らを誘ったんだ。派手なイベントを楽しんでくれるかなって思って……。それにオレは挨拶もあったから、一緒に回れないから」
「理由があるなら胸を張ればいい」
『その理由は昨日聞きました』
「盗聴か。リーチ、肝が据わっている」
『お褒めいただきどうも』
薄い機械から取り澄ました声が聞こえる。不機嫌なリーチにアジームが面白いくらいうろたえていた。
「アジーム、許可は出しているのか?」
「うん。偉い人と話すときはオフにしてた」
聞かせる内容はアジームで操作できているようだ。
「しつこい男は嫌われると聞いたが、リーチ?」
『僕の故郷では熱意のない男性は相手にされません』
「自信がないと言い換えたほうがよかったか?」
盗聴器とメッセージでノータイムの会話が続く。いちいち返事を読まなければならなくてまどろっこしい。そもそも、立場ある人間に私情で盗聴器を仕掛けるなど言語道断だ。
「アジーム、あまりこういう手合いを付け上がらせない方がいい。厄介だぞ」
アジームが言いづらそうに唸る。
「これ、オレからつけていいって言ったんだ。ジェイドが安心するならそれでいいと思って」
アジームは小さく息を吸い込んだ。
「……オレの恋人だって紹介したら、祭りに紛れてジェイドにひどいことをする人がいるかもしれないだろ」
剝き出しの肩を絨毯が包む。
「リーチがそう簡単にやられるとは思えないが……僕のように立場を偽らせることは考えなかったのか?」
「嘘ついてもすぐばれちまうからさ。……ジェイドに嫌われるのが怖くて、きちんと最後まで説明できてなかったな」
ごめん。アジームは何もない場所に頭を下げた。
「ままならないものだな」
「そういう宿命だからな。オレはそれで諦めがつくけど、ジェイドはそうじゃないから。まだうちには時間が必要だから、恋人とか、そういうのは」
「……つまりアジームはリーチを両親にそういう相手として紹介する気でいるということだな?」
『そこまでで』
核心を突こうとしたところで止めが入った。
『その先は僕が先に聞くべき内容です』
ふむ、それもそうだ。
その発言からややあって、リーチはもうひとつ吹き出しを追加した。
『貴方の真夜中は僕の専売特許です。今後もずっと』
その発言に身に覚えがあるのだろう。端末を支える細い指が震えた。
「熱烈だな。リーチ、なかなかやるではないか」
『恐縮です』
アジームは黙ったまま短い眉を寄せ押し黙っている。言葉ひとつでここまでかき乱されては身が持たないだろう。
『部屋に戻ったら電話をください。五分以内に連絡がないなら今すぐ校長室に忍び込みかねません』
「早く部屋に戻れ、アジーム。このままではリーチが飛んできかねない」
「う、うん!!」
アジームはハッと顔を上げ、慌ただしく絨毯を広げ直す。
「……青いな」
「何か言ったか?」
 振り返るアジームに被りを振る。
「なんでもない。アジーム、今日は世話になった」
「こちらこそ。来てくれて嬉しかったよ、マレウス」
絨毯が慌ただしく来た道を戻るのを見送ってから、僕も上空に舞い上がる。
魔族も人間も人魚も、平等に青く。この月のように。それもきっと、受け継がれるべき真実なのだろう。