ハッピーエンドは在庫に含まれるか

 僕の元にその封筒が届いたのは年末、大型休暇の足音に誰もがそわつく時期のことだった。
「年始の購買のアルバイト、受かった」
「は、マジ?」
 封筒の中身はアルバイトの採用通知書だった。向かいのベッドで驚くエースを尻目に仕事の要綱を確認する。けれど、嬉しくて内容なんかちっとも入ってこない。給料の良さから応募者が殺到し、抽選の倍率が数十倍になることで有名な購買部のクルーのアルバイト。ダメもとのつもりで応募したのに、まさか受かるなんて思ってなかった。
「これでヘルメットが買える……!」
 二万マドルって大金だ。僕がまだ学生だからというのもあるけど、それだけあれば何日分の食料が買えることか。日々のタイムセールで数円、数十円の差を気にしていたからこそありがたみがよくわかる。だから代金を母さんにねだるのは気が引けたし、型落ちして安くなるまで待とうって思っていた。
 そう思うと、採用通知書が急に輝いて見える。僕にとってまさに黄金のチケットだ。
「あー、そういえばね……そーいうことなら頑張れば。ムカつくからって客に喧嘩売るなよ、優等生クン?」
 ぐっと拳を握りしめた僕を見て、エースが後ろ頭を掻く。僕の応募理由を知っている分、エースの嫌味はいつもよりマイルドだった。
「カシラ……寮長に話通してくる!」
「いや、だからカシラじゃ」
 ねーってば。エースの声はドアの向こうに閉じ込められた。
 
 
 
「ようやく終わった……」
 初売りの日から数日、購買部のニューイヤーセールはようやく最終日を迎えた。
人の波を縫って品出しをし、客の問い合わせに応え、外に出て待機列を構築する。営業時間いっぱいまで働いて、その後は膨大な数の在庫チェックなどの事務作業。寮に帰ってシャワーを浴び、ようやく教科書と宿題を開く。開いて……三行くらいやって、書いてる文字が蛇みたいになってエースに笑われる。年明け早々そんな日々が続いていた。
「ふぁ……」
 だけど、それも今日で終わりだ。緊張感が抜けて欠伸が出た。すると、隣からも似たような音が聞こえた。
「欠伸、移っちまった」
「小鬼ちゃんたちは仲がいいねぇ」
 あはは、とからっとした笑い声。隣を向くと、一緒に品出しをしていたアジーム先輩が笑いかけてくる。その後ろを店主のサムさんが朗らかに通り過ぎた。
 厳しいアルバイトの日々だったけど、悪いことばかりじゃなかった。それは同僚とオーナーが親切だったことだ。僕はあまり器用な方じゃないから、足手まといになってしまわないか不安だった。けれど、親しみやすいアジーム先輩が一緒だったからこそ気負いすぎず、失敗しても笑って許してくれるサムさんがいたからこそ、アルバイトをやり遂げられたと思う。
 そのことを伝えると、アジーム先輩が急に頭を撫でてきた。
「オレからもありがとう、デュース。オレもデュースと一緒に働けてよかった。いつも一生懸命なデュースに元気をもらってたよ。こういう仕事初めてだったけど楽しかったぜ」
「俺も二人が仲良くしてくれて助かったよ。毎年クルーの小鬼ちゃん同士で喧嘩になることも珍しくなくってね」
「揉めてる場合じゃないのにな」
「忙しすぎて気が立つのかもしれないですね」
 物に溢れたバックヤードの中で笑い合う。背中を預ける仲間がいるのはありがたいなって思う。
「ヘルメット、ほんとに見せに来てくれよ。その時は絨毯に乗せてやるから」
「ありがとうございます」
 アルバイトが終わっても仲良くしてくれる気でいるらしい。ストレートな好意が嬉しくて、僕はアジーム先輩に笑い返した。
「よし、こっち終わった。サム、“あれ”してもいいか?」
 アジーム先輩が声をかけると、「オーケイ、俺は発注作業してるからゆっくり選んで」と返ってくる。
「あれ、ですか?」
 僕が聞き返すと、アジーム先輩はうん、と返事をする。
「ジェイドにプレゼントがしたいんだ」
「……なるほど」
 このアルバイトはシフトの時間が終わるとすっかり日が暮れている。リーチ先輩は決まった時間になると戸口に現れ、アジーム先輩を寮まで送っていた。それもほとんど毎日。仕事が立て込んでいると適当な椅子に座ってお茶を飲むか、気分次第で手伝ってくれる。終わると少し眠たそうなアジーム先輩の肩を抱いて夜の中に消えていく。夜の峠で見かけた野生の動物が森の奥に消えていくように。
「送迎のお礼ですか?」
 どんな事情があるかはわからないけど、アジーム先輩が困っている様子はなかったので詳しく聞いてはいなかった。今なら聞いても許されるだろうか。
「うん。それもあるんだけど、実はこのアルバイトに受かった時に背中を押してくれたんだ。……休みの間に色々あって寮を離れるのが不安だったんだけど、やってみたいことがあるなら躊躇うことないって。ジャミルを説得する時も一緒に話をしてくれてさ。一応、仕事の依頼っていうことにしてアズールにも許可を取ってるから、タダでってわけじゃないんだけど」
 アジーム先輩は少しだけ間を置く。
「しつこいと迷惑になっちまうかな」
「そんなことないです。きっと喜んでくれると思います」
 そんな裏話があったなんて知らなかった。豪胆なアジーム先輩がそんなことを考えていたことも。
「それだけ支えになってくれた相手なら、報いたいと思うのは間違いじゃないと思います。それに引き換え、僕は自分のことばかりだな……」
「デュースは最初から目的があったんだろ?」
「そうなんですけど」
 僕はうまく言えなくて口ごもる。
 自分の望みのためだけに動くのは簡単だ。今回だって、自分で稼いだお金を悪いことに使うわけじゃない。けれど、誰かのためを思ったとき、行動の手札は増える。他にもできることがあるんじゃないかって考えることができる。
 あの頃の僕じゃできなかった選択ができるんじゃないかって。
「……サムさん、僕もお店に出てきてもいいですか?」
「構わないよ」
「デュースも何か買うのか?」
 僕は立ち上がって肩を回す。
「僕も母さんにプレゼントを買おうと思って。地元にいた頃にすごく心配をかけたから、アルバイトを最後までやり遂げたって言えば、ちょっとでも安心してくれるかもしれないから……」
 言い終わったところで、アジーム先輩がぐすっ、と鼻を鳴らした。
「ううっ、デュース、いい子だなぁ!」
「健気な小鬼ちゃん達にお兄さんは感激したよ」
 サムさんが机に頬杖をついたまま暖かい目で見てくる。アジーム先輩に至ってはこの短時間で涙ぐんでいた。
「どんなの買うんだ? オレもお金出してやろうか!?」
「そ、それじゃ意味がありませんよ!」
「小鬼ちゃん同士でお金は出し合わなくていいよ。いい子でバイト頑張ってくれたから送料ぐらいはオマケしてあげる。金ピカの小鬼ちゃんは同じ額、値引きするからね」
「いいんですか?」
「その分これからもご贔屓にね」
「ありがとうございます!」
 それから僕たちは店頭で各々プレゼントの品を選んだ。アジーム先輩は何を贈るか目星をつけていたらしく、シンプルな黒いマフラーをを早速サムさんに包んで貰っている。
「包装は簡単にしておいたからね。すぐ渡すんだろ?」
「! うん、ありがとう」
「小鬼ちゃんの気持ちは間違いなく伝わるよ」
 表口に来客があったのは、サムさんがウインクをしたのと同時だった。
「入っていいよ、小鬼ちゃん」
「こんばんは」
 アーチを潜って静かな方のリーチ先輩が入ってくる。まるで闇から生まれたみたいに夜が似合う人だ。そして隙がない。死角から殴りかかってもすぐにいなされてしまう気がする。
「今日もありがとう、ジェイド」
「お構いなく。好きでやっていることですから。今日でおしまいになることが残念なくらいです」
 リーチ先輩は眉間を歪めて胸に手を当てる。
「これからも会うことはできるだろ?」
 少し不貞腐れた様子のリーチ先輩に、アジーム先輩が笑いかけた。
「ジェイド、これ」
「これは?」
「稼いだお金で買ったんだ。ちゃんとお礼がしたくて……開けてみてくれよ」
 アジーム先輩がリーチ先輩を促す。リーチ先輩は言われるがまま金色のリボンを解いた。
「アルバイト、楽しかった。一緒に歩いてくれてありがとう、ジェイド」
 アジーム先輩の目が、うるりと照明を反射する。リーチ先輩はそれ見て目をすがめた。
「ありがとうございます。お気持ち、確かに受け取りました。大切に使います」
「良かったですね、アジーム先輩!」
「うん!」
 無事に感謝の気持ちは伝わったようだ。嬉しそうな先輩方の様子に心が温まる。
「巻いてやるよ。貸してくれ」
 リーチ先輩はマフラーを腕ごと遠ざけた。
「ここでは人目があって恥ずかしいです」
「気にしなくてもいいのに。俺も仲間も気にしないよ?」
「僕が気になります。外に行きましょう、カリムさん」
「うん。荷物取ってくるな」
 アジーム先輩はバックヤードに飛んでいくのを見送ると、サムさんがリーチ先輩に向き直った。
「欲しいものは手に入りそうかな、紳士的な小鬼ちゃん?」
「ええ、ご心配には及びません」
「この先、必要なものがあったらぜひご用命を」
「恐縮です」
 含みのある会話に首を傾げる。どういうことかと聞く前にアジーム先輩が戻ってきてしまった。
「それでは失礼します」
「世話になったな。デュースも気を付けて帰れよ」
「はい。先輩方も気を付けて」
 パタン、と扉が閉まった。
「サムさん、さっきの会話はどういうことですか?」
「見ていればわかるよ」
 僕はそっと窓に近づいて、縁の下に身を隠す。サムさんもいそいそと窓際に近づいてきた。外を覗くと、建物から少し離れたところに二人分の影が浮かび上がっている。
「仕事終わりに心配だからって迎えに来てくれる男は早々いないよ。いるとすれば親か恋人か仕事の都合……それ以外なら例えば、二人きりの口実が欲しい似非紳士(ジェントルマン)か」
「え、それって?」
 小さな方がマフラーを巻き終えたその時、大きな方が急に片方を抱き寄せた。ぴったりとふたつのシルエットがひとつになる。

「この店はなーんでもIN STOCK!! 素敵な恋の結末もお任せってね!」

 絶句する僕の頭の上で、サムさんは高らかに笑った。